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「――なるほど。つまり、その剣はアズサが探している蒼の迷宮(アクアラビリンス)の唯一の手掛かりってことか」

 追い風を受けてフィエルティア号は順調に海を進む。これもパティちゃんの操作技術の賜物だ。暖かい日差しが差し込む甲板でわたしはユーリさんたちにハリーさんから教えてもらったドンの最期の伝言を伝えた。彼から受け取った二本の剣が蒼の迷宮のアズサという人物の持ち物であるということ。そして、蒼の迷宮は現在全員が行方不明になっているということ。説明を終えたときのユーリさんたちはみんな難しい表情をしていた。

「全員が行方不明……」
「時期とか場所とかは分からなかったのか?」
「色んな土地を点在していたギルドだったからかどうしても詳しい消息が追えなかったそうです」
「大道芸ギルドって言ってたもんね」

 わたしは手に持った剣に視線を落とす。見れば見るほど細部まで装飾が施された剣だ。ユーリさん曰く、これは戦闘向きの剣ではないという。確かに同じ短刀を扱うパティちゃんのものと比べると細身で軽い。本当に剣舞で使われていたものだったんだと思う。

「でも、どうしてそのアズサさんの武器が武器屋で売られていたんでしょう? きっと一点ものだったからドンも持ち主が分かったんですよね?」
「そりゃあ、普通の武器屋じゃなかったからってことでしょ」

 エステルちゃんの疑問にレイヴンさんさんがあっさりと答える。言葉の意味が理解できずに首を傾げるわたしの隣でカロルくんが代わりに口を開いた。

「どういうこと? 普通の武器屋じゃないって」
「世の中にはね、少年。表には見えないところで行われている商売もたくさんあるってことよ」
「……闇市、ってやつか」
「そ。ドンはおそらくそういう店でこれを見つけたってこと」

 闇市、言葉なら聞いたことがある。問題なのはどうしてそんなお店でこの剣が売られていたのか。簡単な話だ――普通のお店には出せない事情があったから。ユーリさんとレイヴンさんの話を聞いたエステルちゃんの表情がますます暗いものに変わる。

「アズサちゃん、ハリーからどこの武器屋で買ったとか聞いてる?」

 わたしは静かに首を横に振った。

「……いいえ。一応、ハリーさんに聞いてはみたんですけど教えてもらえませんでした。どこで手に入れたかは伝えるなとドンに言われていたらしくて」
「でしょうね。もしあたしがドンと同じ立場だったならあたしもアズサに教えないわ。危険だもの」

 リタちゃんの言う通り、ドンが危険だと判断した結果だったのだろう。だからハリーさんに口止めをした。
 きっと、この世界に来たばかりの自分ならドンの言葉に素直に従っていたと思う。だけど……。

「レイヴンさん、どこか思い当たるところってありませんか?」

 両手で剣を抱きしめながらレイヴンさんを見る。驚いたように瞳を瞬かせたレイヴンさんはふと視線を横にそらして頬を掻いた。レイヴンさんらしくない、気まずい表情を浮かべている。

「んー、ドンがあえてアズサちゃんに教えなかったことを考えるとなんとなく候補はあるけど」
「本当ですか……!」
「ちょっと待ってアズサ! 危険な場所だからドンもあんたに教えなかったのよ。ドンの気持ちを無駄にするつもり?」

 彼女にとってわたしの行動は予想外だったのだろう。リタちゃんの鋭い眼光が刺さる。
 リタの言う通りですよアズサ、とエステルちゃんも同意するように首を大きく縦に振った。

「――ドンの気持ちを無駄にしたくないから」
「アズサ……?」
「そんな危険な場所まで行って手掛かりを見つけてきてくれたドンの気持ちを無駄にしたくない。ギルド全員が行方不明になっている理由も気になるし……なによりもこれはわたしの旅の目的でもあるから」

 せっかくドンが見つけてきてくれた手掛かりをわたしが無駄にするわけにはいかない。手に力をこめると剣同士がぶつかって心地よい音を鳴らした。きっとこの剣たちだって本当の持ち主のところに帰りたいだろう。
 前を見ろ、とドンは最後に言った。手が届くかもしれない真実に自分から目を逸らしたらわたしはドンに顔向けができなくなってしまう。

「アズサの気持ちは分かったけど……やっぱり危険だよ」
「うん、多分危険なんだと思う。だから、カロルくんにお願いがあって」
「ボクにお願い?」

 うん、とわたしは再び頷いた。カロルくんの琥珀色の瞳をまっすぐ見据える。

「わたしを――凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)に入れてもらえませんか?」

 アズサもギルドに入らない?
 初めてカロルくんに聞かれたのはダングレストで宿屋に向かう帰り道。あの頃は下町に戻るつもりだったからギルドに入るという考えもなかった。だけど、こうして旅を続けて新しい目的もできて――自分だけでは到底解決できない問題なのだと痛感した。
 やっと手に入れたチャンスを無駄にしたくない。その為に凛々の明星の力が必要だと思った。

「凛々の明星に仕事としてこの剣の持ち主探しをお願いしたいの。本当は報酬を払えればいいんだけど、わたしお金になるようなもの何も持ってないから……。だから、働いて返せそうと思って。もちろん、報酬額に見合った仕事の裁量は首領であるカロルくんに任せるよ。わたしはみんなみたいに武術も魔術も得意じゃないし、力になれることきっと少ないと思うけど――頑張るから」

 不快、と思われなかっただろうか。自分の望みの為にカロルくんが大切にしているギルドを利用しようとしているのだから。
 どきどきと心臓が煩い。カロルくんはしばらくの間わたしを見つめると考え込むように瞼を伏せた。それからちらりとユーリさんに視線を向ける。緊張しながらわたしも視線を追いかけるとユーリさんはいつもと変わらない表情で微笑んでいた。

「オレはカロルの意見に従うぜ」

 カロルくんは再び視線を下に落とす。沈黙の時間が息苦しい。しばらくするとカロルくんは顔を上げた。
 そして、大きく溜め息を吐いた。大げさなくらいに肩を竦めて。

「――アズサってさ、前々から思ってたけどすっごく真面目だよね」
「えっ、そ、そうなのかな……?」

 そうだよ、とカロルくんは力強く頷いた。大雑把な性格ではないとは思うけれど、真面目と言われる程真面目でもない気がする。
 うーんと考えるわたしをカロルくんは下から覗き込んできた。零れ落ちそうなくらいに大きな琥珀色の瞳に自分の戸惑った顔が映る。

「ボク最初に誘った時に言ったでしょ? ギルドに入ってくれたらすっごく嬉しいって」

 そう言ってカロルくんはわたしの前にばっと勢いよく手を差し出した。突然のことに驚いてわたしはぱちくりと瞳を瞬かせる。反応が面白かったのかカロルくんは白い歯を見せて笑った。

「凛々の明星にようこそ、アズサ」
「……いいの?」
「もちろんだよっ!」

 義をもってことをなせ、不義には罰を。
 これはカロルくんたちが凛々の明星を立ち上げたときに作った掟なのだという。ひとりはギルドのために、ギルドはひとりのために。率直に分かりやすくていいなと思った。彼ららしい掟だとも。
 そして、今からはわたしの掟にもなる。

「――ありがとう。よろしくお願いします」

 両手に持っていた剣を片手に抱え直してカロルくんの手を握り返した。緊張から解放されたのもあって自然と口元が緩んでしまう。そんなわたしを見て更にカロルくんは笑みを深めた。

「話はまとまったようだな。けど、今の最優先はジュディだ」

 声が聞こえた方に視線を向けるとユーリさんが立っている。わたしは手を放してこくりと頷いた。

「構いません」
「おっさん、悪いがこの件の情報収集頼んだ」
「しょうがない、アズサちゃんの頼みならおっさん頑張りますか」

 手伝ってくれる人がいることがこんなにも心強いなんて。ありがとうございます、とレイヴンさんにお礼を言うと彼は薄い笑みを浮かべながらひらりと手のひらを振った。良かったですねアズサ、とエステルちゃんも明るい表情で微笑む。わたしは素直に頷いた。

(待っていて)

 まだ目を凝らさないと見えないような微かな手掛かりだけど、きっと手繰り寄せてみせるから。二本の剣をそっと指でなぞる。

「そんじゃ、アズサに凛々の明星としての初仕事だ」

 初仕事? ユーリさんは歩き出したかと思うとわたしの目の前で止まった。長い髪を靡かせる整った顔をぽかんと見上げる。その口角が一瞬持ち上がったかと思ったら突然の浮遊感に襲われた。わっ、と驚いた声が零れる。ユーリさんに抱えあげられたのだ。両手に剣を持ったままのわたしは下手に身動きが取れない。

「ユーリさんっ……!?」
「大人しくしてろよ。お前、自分の顔色が悪いこと気づいてないだろ」
「……そう、なんですか?」

 自分の感覚ではそれほど体調は悪くないと思ってたのだけど。確かめるようにリタちゃんに目線を向けると彼女はその通りとでも言うように黙って首を縦に振った。彼女が言うのだから本当に顔色が良くないのだろう。船酔いでもしてしまったのだろうか。
 唯一、自由のきいていた足もリタちゃんの様子を見て脱力させて身を任せる。身を丸め猫のように大人しくなったわたしを見てユーリさんがふっと笑った。

「船が停泊するまでベッドで絶対安静な」

 言葉通り、デズエール大陸につくまでベッドから一歩も出してもらえなかったのは言うまでもない。


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