009


 煌びやかな建物が立ち並ぶ貴族街。その入り口で笑みを浮かべる女性の手には例のハンカチが握られている。その微笑みの先にはさっきわたしを止めた騎士のお兄さん。遠い階段の下から彼女を見上げ、ぼんやりと思う。もし、届けたのがわたしだったのなら……彼女は同じ笑みを浮かべてくれたのだろうかと。
 市民街から下町へ続く坂道をお兄さんと一緒に下ってゆく。彼の腕には女将さんから頼まれた食材が抱えられていた。なんだかよく分からないけれど気が付いたら荷物が全部お兄さんに移動していた。あまりにもさらりと自然に持ってくれたものだからわたしも目を丸くして見ていることしかできなかった。

「あの……荷物、重たくないですか?」

 隣に並ぶ頭一つ分以上高いお兄さんの顔を見上げ、恐る恐る尋ねる。その人は視線をわたしの方に向けると軽く目を細め首を振った。さっきからずっとこの調子でお兄さんはわたしに荷物を返してくれない。もしかしてこのまま下町まで一緒に向かうつもりなんだろうか。
 まさか自分の人生の中で騎士の人と肩を並べることになるなんて思ってもみなかった。荷物を持ってくれるのはありがたいけど、この人は仕事の途中だったんじゃないだろうか。わたしはちらっとお兄さんの横顔を伺う。この人は貴族街の警備をしていた騎士と同じ甲冑を着ている。多分この人は貴族街にそびえたつ大きな城に務めているのだろう。ここに来るまでも人々の熱を帯びた視線が彼に向けられているのがひしひしと伝わって来た。そんな人が下町に向かって良いのだろうか。女将さんの様子から察するに異なる階級の人とでは良好な関係が築かれているとは考えにくい。

「ええと、もうすぐ下町になのでこの辺りで大丈夫ですので……」

 このままお兄さんが下町に入ってしまったら大変なことになってしまうんじゃないだろうか。次第に見えてくる下町と隣のお兄さんを交互に見ながらおろおろとしていると不意に碧眼が細められた。

「僕も下町に用事があるから構わないよ」
「……それならいいんですけど」

 わざと合わせてくれているのか、それとも実際に用事があったからなのか。本音は分からないけれど実際に助かっていることは確かだったからお礼を伝えておく。そうするとやはりその人は柔らかく笑った。
 そう言えば、彼が紙袋を抱えた時に足が向いていたのは間違いなく下町だった。何故この人はわたしが下町に向かうことを知っていたのだろうか。ちらりと横目で彼を見つめる。目的の場所はもう目と鼻の先にまで近づいていた。

「……あの」
「なんだい?」
「どうしてわたしが下町に住んでいると分かったんですか?」
「実は、前に君とは一度会っているんだ。その時君はまだ目を覚ましていなかったけれど」

 結界魔導器(シルトブラスティア)の境界で意識を失い、取り戻したのはハンクスさんの家だった。その間にわたしは彼と出会っていたということだろうか。踏み出していた足が止まる。噴水から絶え間なく流れる水音を聞きながら思考を重ねた。間抜けな寝顔を晒してしまったのではないかとかそういうことではなく、つまりは彼もまた下町に縁のある人物ということになる。
 ……どうしてこう、必要のない部分にまでわたしは足を突っ込んでしまうのだろう。極力関わりを持ちたくないのに。前を歩くお兄さんを見つめながら小さく溜め息を吐いた時のことだった、彼の向こうにユーリさんを見つけたのは。

「お、仲良く揃って帰宅か? フレン」
(フレン……?)

 ちょうど坂道を下った辺りで立ち止まった二人を追いかけるようにわたしも歩みを止める。フレンと呼ばれたお兄さんの後ろ姿を見つめて小首を傾げた。前にも一度、どこかでフレンという名前を聞いたことがある。あれはどこでだっただろうか、上手く思い出せない。思考をそちらに向けながら整った顔立ちの彼らをぼんやりと眺めているとなんだかやけに親しい。城に仕える騎士なら下町に住むユーリさんと接点なんてほとんどないだろうに。タイミングよく会話が一度切れたのを良いことにわたしは思い切って尋ねる。

「あの……二人は、お知り合いなんですか?」

 新参者からすれば何気ない質問でも二人からすれば意外な質問だったようで互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべる彼らに疑問符が浮かぶ。そんなに変な質問をしてしまったのだろうか……? 知り合いっつーか、と大げさに肩を竦めたユーリさんに続くようにフレンさんが補足してくれた。

「ユーリとは昔馴染みでね。僕も下町でずっと暮らしていたんだ」

 ……わたしは今、とても重要な話を聞いてしまったのではないだろうか。ユーリさんの昔馴染み、ということは目の前のこの人もゲーム上でストーリーに関わる人物の可能性が高い。なにがいけなかったのだろう。落し物を届けようと思ってしまったからだろうか、それとも女将さんに頼まれたいつもと違う買い物を引き受けてしまったからだろうか。
 いや、違う。そもそもこんなゲームの中の世界に来てしまったのが全ての元凶なのだ。

「そういえば自己紹介がまだだったね。僕はフレン・シーフォ。よろしくアズサ」


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