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「到着〜。ここがテムザ山よ」

 コゴール砂漠の北に位置するテムザ山。砂漠の近くにある山だからなのか、緑は少なく岩肌が目立つ。辛うじて道端に草木は生えているが枯れているのがほとんどで物寂しい。ここにクリティア族の街があるとレイヴンさんは言っていたけれど本当に街なんてあるのだろうか。人が生活するのに向いている土地だとは到底思えなかった。
 辺りをきょろきょろと見渡しているとわたしの近くにいたラピードが小さく一吠えする。ラピードはわたしと視線が合ったのを確認すると鼻先を地面に向けた。どうやら何かを見つけたらしい。その先を目で追いかけて――咄嗟にユーリさんの名前を呼ぶ。わたしの声に反応したユーリさんは不思議そうに首を傾げた。

「どうした? アズサ」
「ラピードが見つけてくれたんですけど、あれ……」

 ラピードが教えてくれたのはわたしたちが進む道の先にある足跡。間違いなく魔物のものではない。大小さまざまな足跡が同じ方向に向かってたくさん残されていた。

「これ、人の足跡だよね? ずいぶんたくさんあるな」

 じいっと地面を見つめていたカロルくんは足跡を辿るように続く坂道を駆け上がっていく。足跡がくっきりと残るくらい舗装されていないデコボコな道をすいすいと登るカロルくんに感心していると、隣でエステルちゃんが顎に指を添えながら視線を下に落としていた。その横顔に陰りを感じるのはわたしの気のせいではないだろう。
 多分、エステルちゃんとわたしは同じことを考えている。

「魔狩りの剣(マガりのツルギ)、でしょうか?」
「騎士団かもな」
「え? どうして騎士団が?」
「フレンも聖核(アパティア)を探してた。魔狩りの剣が聖核を狙ってここに来てるんなら、騎士団も聖核を狙って来てるかもしれない」

 魔狩りの剣と騎士団。相反する二つの組織から探しているという聖核。それとジュディスさんが狙われていることと何が関係あるのだろう。聖核とジュディスさん、一見どこにも繋がりはなさそうなのに。もし魔狩りの剣と騎士団の両方に襲われているのだとしたら――ジュディスさんは大丈夫なのだろうか。

「ねえ! ちょっと来てよ! ここ、なんかすごいよ!」

 遠くから聞こえたカロルくんの声にはっと意識を戻す。立ち止まっていた足を再び動かし始めるユーリさんたち。足元に注意しながら後を追いかけて坂を上っていけばカロルくんが声を張り上げた理由もすぐに分かった。目の前に広がった異様な景色にわたしは瞑目する。

(なにこれ)

 そこは開けた土地のようだった。しかし、あちこちに目立つのは不自然な程に巨大なへこみ。まるで大量の隕石でも降ってきたみたいだ。ユーリさんたちも流石に驚いてるようで言葉を失って見下ろしている。

「こんなんでホントに街なんてあるのかな……」

 けれど、たった一人だけ驚いていない人物がいた。レイヴンさんは首の後ろに両手を回してうーんと首を捻る。

「十年前には確かにあったんだがなぁ。今はどうかわかんないわ」
「十年前? そんな前の話なのか? その時はなんでこんなところに来たんだ?」
「そりゃ……」

 ユーリさんの問いかけにレイヴンさんが答えようとしたその時、乾いた風の音だけが響いていたテムザ山に咆哮が響き渡る。あまりにも突然だったためにびくりと身体が震えた。反射的に腰の棍に伸ばそうとして――慣れない感触に違和感を覚える。目で指先を辿るとそこには一振りの剣。風に揺れて蒼の飾りがゆらゆらと揺れていた。

(忘れてた)

 ドンから預かったあの子の双剣。身に着けていれば見覚えのある人が声をかけてくれるかもしれないと思ってカロルくんにベルトを改造してもらったんだった。そのおかげで棍を装備していた場所が今までより前方にずれている。これは慣れるまでに時間がかかりそうだ。手持ち無沙汰になった手のひらを意味もなく開いたり閉じたりしていると隣からリタちゃんがわたしの顔を怪訝そうに覗き込んでくる。

「何やってるのよアズサ」
「リタちゃん……」
「ぼーっとしてたら置いていくわよ。それともまだ調子が、」
「ううん、違うよ。大丈夫」

 有言実行とはまさにこのこと。船が停泊するまで本当にユーリさんにベッドから出してもらえなかったから、むしろ寝過ぎで身体が怠いくらいだ。頭痛もあれから全くない。ふるふると首を横に振って答えるとリタちゃんは何か言いたそうにしていたけれど、前を向いたと思ったら先を行くユーリさんたちを追いかけていった。わたしも彼女の後ろについていく。
 さっきの魔物のような咆哮。わたしの聞き違えでなければ、あれはジュディスさんを迎えに来た鯨のような生き物の声だ。やはり彼女はここにいるのだろうか。嫌な胸騒ぎを覚えながら足をひたすら動かした。

***

 坂道を上がって見下ろした光景。近くまで来てみると想像以上に悲惨な景色が待っていた。
 荒々しくえぐり取られたような地面。きっとそこに立っていたのであろう木々は根っこから倒れたものもあれば半分から上がごっそりとなくなっているものもあった。それに何かが焦げたような臭いもする。まるで土地に染み付いているかのように風の流れに乗って鼻腔を刺激した。思わず服の裾で鼻を覆ってしまう。
 レイヴンさんの話によれば、ここはかつて人魔戦争の戦場だったらしい。人と始祖の隷長(エンテレケイア)――ベリウスも参加していたという人魔戦争。その時の惨状が今のまま目の前に広がっているのだと思ったらぞわりと背筋を冷たいものが走った。生存者がほとんどいなかった、とエステルちゃんから聞いたのもあったのだろう。この場所で……多くの人間が死んだのだ。
 更に驚いたのはレイヴンさんがその数少ない生存者の一人だったということ。すごいね、と称賛するカロルくんにレイヴンさんは荒廃した土地をまっすぐに見つめながら薄い笑みを浮かべていた。

「大人の事情ってヤツさ」

 かつての戦場を抜けひたすらにテムザ山を登っていくと、少しずつ街らしい景色が映るようになってきた。けれど、人の気配はほとんどなく街と言っても辛うじて形を保っている建物が少しだけ。きっとこの辺りも戦争で被害にあったのだろうということは容易に想像ができた。同じ砂漠に位置する街でもマンタイクとは比べ物にならないくらい寂しい空気を纏っている。

「ここがクリティア族の街……?」
「みたいです、けど」
「街というより、街の跡ね」

 無残に倒れた石柱にそっと指先を乗せる。この街が人魔戦争で滅びたのだとしたらもう十年はこのまま放置された状態なのだろう。手入れのされていない石柱は凍っているかのように冷たかった。
 ジュディスさんを探す為あちこちに散らばるユーリさんたち。わたしも同じように彼女の姿を探していると、一緒についてきてくれていたラピードが急に足を止め低く唸りだす。

「ラピード……?」

 どうしたの? とわたしが聞くより早く――状況は一変した。鈍い音と共に目の前に飛んできた二人の男。ひっと引きつった声が漏れる。アズサっ! と誰かがわたしを呼んだ気がした。誰か分からなかったのはいきなり視界に現れた男たちに思考が止まっていたからだ。突然の出来事に目を白黒させていたけれどカロルくんとエステルちゃんの声で一気に意識を戻される。

「魔狩りの剣!」
「ジュディス!」

 見上げた視線の向こう。高い位置で結わえた青い髪が乾いた風に揺れていた。


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