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 槍を握ったまま冷たい目で男たちを見下ろしていたジュディスさんはわたしたちを見つけるとぱちぱちと瞳を瞬かせた。真一文字に引かれていた唇がうっすらと開く。

「あなたたち……」

 良かった、無事で。
 ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、彼女にやられた男たちがのそりと起き上がったのが視界の端に映り身体を強張らせる。

「くそっ!」
「ティソンさんとナンに知らせろ!」

 テムザ山の入り口で見つけたたくさんの足跡。やっぱりあれは魔狩りの剣(マガりのツルギ)が残したものだったみたいだ。
 地面に転がった武器を拾いなおして男たちはジュディスさんを睨み上げる。彼女も槍を構えなおした。張りつめた緊張感が流れるのを肌に感じながらわたしもそっと棍に手を伸ばす。今度は空振りしないようにベルトに指先を滑らせながら確実にそれを引き寄せた。いつでも詠唱ができるように両手で棍を握りしめる。
 ジュディスさんが魔狩りの剣に襲われている理由は分からないけれど、今自分がやるべきことは分かる――彼女を助けることだ。

「おまえら! うちのモンに手ぇ出すんじゃねぇよ。掟に反しているならケジメはオレらでつける。引っ込んでな!」

 ユーリさんを始めそれぞれが武器を構え男たちを取り囲む。数でも力でもこちら側が圧倒的に有利なのは明らかだった。やがて男たちは分が悪いと判断したのか黙って武器を下ろし走り去っていく。相手の姿が見えなくなるまでわたしは背中を見つめ続けた。

(これで襲うのを止めてくれればいいけど)

 魔狩りの剣の執着の強さはベリウスの一件で嫌というほど知っている。それに、男のどちらかが聞き覚えのある名前を叫んでいた。足跡の数を考えるにあの二人だけでテムザ山に乗り込んできたとは考えにくい。下手に増援を呼ばれていなければいいのだが。

「ジュディス……」

 エステルちゃんの呟きが耳に届いてはっと意識を戻す。気づけばジュディスさんを取り囲むようにユーリさんたちが集まっていてわたしも武器をしまい駆け寄った。近くで見る彼女の表情は淡々としていてちくんと胸が痛む。ジュディスさんの中でわたしたちはもう他人になってしまったのだろうか。

「追ってきたのね。私を」
「ジュディス。全部話して欲しいんだよ」
「何故魔導器を壊したのか。聖核のこと。始祖の隷長のこと。フェローとの関係。知ってること全部ね」
「事と次第によっちゃ、ジュディでも許すわけにはいかない」

 一瞬、息を呑む。ちらりとユーリさんの横顔を覗き込むと紫黒の瞳がより一層濃くなったような気がした。
 ユーリさんの言葉の意味が分からないジュディスさんではない。カロルくんやパティちゃんですら彼の言葉を聞いて表情を変えたのだ。それでもジュディスさんは顔色を変えず、ただ静かにユーリさんを見つめ返す。

「不義には罰を……だったかしらね」

 小さな声で呟いたジュディスさんは長い睫毛に縁どられた瞳を伏せた。

「……そうね。それがいいことなのか正直分からないけど。あなたたちはもうここまで来てしまったのだから。来て」


***


 ジュディスさんを先頭に廃墟となってしまったクリティア族の街を通り抜けて更に山の頂上へと向かう。標高が高くなっていくにつれてなのか、心なしか肌をさらう風が冷たい。肌寒さに腕を擦っているとほんのりと膝のあたりにぬくもりを感じて視線を落とした。歩きながらも器用に足元にすり寄ってきてくれるラピードに小さな声でありがとう、というと気にするなとでも言うように鼻を鳴らす。
 足場の悪い道を進みながらジュディスさんは少しずつ話をしてくれた。人魔戦争が引き起こされたきっかけ、ジュディスさんが竜使いとして魔導器(ブラスティア)を壊していた理由。彼女の言うヘルメス式魔導器がどれくらいすごいものなのか、正直わたしは理解しきれていないのだと思う。それでも、博識なリタちゃんやエステルちゃんの狼狽ぶりからジュディスさんが抱え込んでいたものが相当大きなものだというのは察することが出来た。

「テムザの街が戦争で滅んで、ヘルメス式魔導器の技術は失われたはずだった……」
「まさか! そのヘルメス式がまだ稼働してる!?」
「そう。ラゴウの館、エフミドの丘、ガスファロスト、そして……」
「フィエルティア号の駆動魔導器(セロスブラスティア)か……」
「交換した駆動魔導器がヘルメス式だったんじゃな」
「それじゃあ、ジュディスは始祖の隷長(エンテレケイア)に替わって魔導器を壊して……」

 たとえ仲間を裏切る形となってしまっても選び取ったジュディスさんの"道"。魔導器を壊していなくなってしまったのにはちゃんとした理由があったのだ。

(やっぱり否定なんてできない)
「なら! 言えば良かったじゃない! どうして話さなかったのよ! 一人で世界を救ってるつもり? バカじゃないの!?」

 ――でも、リタちゃんの主張もちょっぴり分かる。わたしも心のどこかでは話して欲しかったと思っているのだろう。
 眦を吊り上げてジュディスさんを睨むリタちゃんの背中をそっと擦る。そのまま視線を落とすと強く強く握りしめられた手は細かく震えていた。ジュディスさんから話を聞いた矢先、感情が上手く整理しきれていないんだろう。微かに翡翠色の瞳は潤んでいた。

「……リタちゃん、」

一回落ち着こう、と口を開こうとした時のことだった。

「バウル!」

 山の奥の方から突然眩い光が差し込む。とてもじゃないけど目を開けていられなくて思わず瞼をきゅっと下した。ちかちかと眩い視界。何度か瞬きを繰り返し、目尻を擦り、視覚を取り戻していく。

「大丈夫か? アズサ姐」
「う、うん。なんとか……」

 不安げにこちらを見上げるパティちゃんを横目に見て返事をする。一体、何が起こったのだろう。
 混乱の最中、更に状況は目まぐるしく変化していく。

「どうやら獲物はそこにいるようだな」

 その声を聴いた瞬間、身体に緊張が走る。忘れもしない。ノードポリカでベリウスを襲った男の声だ。
 顔を上げ、反射的に武器に手を伸ばす。男の隣にはナンと名乗る少女もいた。おそらくさっきの男たちがこの二人を呼んでしまったのだろう。ひっそりと下唇を噛む。

「人でありながら魔物を守るなんて理解できない!」

 魔狩りの剣は魔物を狩るのを生業とするギルドだ。つまり、ジュディスさんは魔物を守る為に戦っている。彼女の身近にいる魔物。脳裏に浮かぶのはあの夜ジュディスさんを迎えに来た鯨のような大きな生き物。

(もしかして、)

 点と点がひとつの線で結ばれたような気がした。
 ぐっと足元に力を入れる。構えた棍を握りしめ小さく息を吐く。途中でリタちゃんと目が合って軽く頷いた。戦闘前、彼女に視線を送られた時は後方で防衛支援と決まっている。相手は魔物を狩る戦闘のプロだ。前線はユーリさんたちに任せる方が賢明だと判断したのだろう。いつでもバリアーを張れるように胸の中で何回も詠唱を唱える。

「あなたたち……」

 ぽつりと耳に届いた声は微かに驚きを含んでいた。わたしたちはジュディスさんと話がしたくて追いかけてきたのだ。邪魔する人たちを止めたってなにもおかしい話ではないのに。いつも大人っぽく見えていた彼女が急に年相応に見えてきて、なんだか微笑ましく見てしまう。もっと驚く様子が見たくてついジュディスさん、と名前を呼んでしまった。切れ長の真紅の瞳がわたしを捉える。

「聞いてください。わたし、凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)の一員になったんですよ」

 ひとりはギルドのために、ギルドはひとりのために。
 わたしは、わたしにできることをやるのだ。


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