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 力なく地面に横たわる少女を見つめカロルくんはごめん、と小さく零す。かつて同じギルドに所属していた者同士、戦うのは相当な覚悟が必要だったに違いない。どんな想いであの子と戦っていたのだろう。悲しそうに瞳を伏せるカロルくんにわたしはかける言葉が見つからなかった。
 ジュディスさんを先頭に山の奥へと進んでいく。意外にもそれほど暗く感じないのは山の頂上が空洞になっていて太陽が差し込んでいるからだろう。こつんこつんと靴音を響かせながら奥へと入っていく。すると、前を歩いていたユーリさんが不意に立ち止まったのでわたしも足を止めた。

「これは……」

 そっとユーリさんの横から顔を覗かせると山の最奥、突き当りの場所で何か大きな物体がちかちかと点滅するように光っている。よくよく目を凝らすとそれはジュディスさんを迎えに来たあの魔物だった。バウル、とジュディスさんは呼んでいた気がする。最初にテムザ山に着いた時に聞いた咆哮と魔狩りの剣と戦う前に見た眩い光。多分、あれはバウルが引き起こしたものだったのだろう。

「バウルは成長しようとしているの……始祖の隷長(エンテレケイア)としてね」

 耳をすますと時々、低い呻き声が聞こえる。なんだか苦しそうな声だった。聞いているこちらもきゅっと胸が締め付けられる。頑張れ、と声をかけてあげることしかできないのが心苦しい。
 不規則に強まったり弱まったりするバウルの光。胸の前で手を合わせ静かに見つめていると突然、エステルちゃんがバウルの元に駆け寄った。もしバウルが本当に始祖の隷長になろうとしているなら、エステルちゃんが治癒術を使えば――咄嗟に伸ばした手が空を切る。

「だめ!」

 ジュディスさんの鋭い声にエステルちゃんはびくりと身体を震わせて立ち止まった。きっと、なんとかしたい一心だったのだろう。彼女は優しいから。けれど、エステルちゃんの力は始祖の隷長にとって毒になってしまう。ベリウスのような結末はもう二度と見たくない。伸ばしかけた手を引っ込めたエステルちゃんは今にも泣きそうな顔でバウルを見つめる。

「バウルにも伝わっているわ。きっと……。あなたの気持ち」

 緩やかに微笑むジュディスさんを見てエステルちゃんは静かに頷く。その時、バウルの身体に変化が訪れた。じわじわと強くなっていく光。より一層大きくなっていく苦しむ声。やがて、辺り一帯が一瞬にして眩い光に包み込まれ目をきゅっと強く瞑る。鼓膜には雄叫びが直接響いて頭がくらくらしそうだった。
 バウルは大丈夫だったのだろうか。そろそろと瞼を持ち上げて目の前に飛び込んできた景色に思わず感嘆の声が漏れた。

「うわぁ……!」

 真上を見上げても頭のてっぺんが見えないくらいに大きな姿。始祖の隷長であるフェローやベリウスも大きくて威厳のある姿をしていたけれど、純粋に体格だけならバウルの方が上なのではないだろうか。

(おめでとう、バウル)

 ふよふよと宙に浮かぶ体をそっと撫でるとバウルは低く吠えた。嫌だったかなと思ってぱっと手を引っ込めたけれど、喜んでるわ、とジュディスさんが微笑むので再び手を伸ばす。つるりと滑らかな見た目だけど意外にも触り心地が良くてとても不思議な感触だった。

「ありがとう。バウルを守ってくれて……。私だけだと、きっと守りきれなかったわ」
「仲間だもん。当たり前だよ!」
「じゃの!」

 カロルくんとパティちゃんの元気な返事にジュディスさんは軽く目を見開いたかと思うとうっすらと微笑んだ。その様子を微笑ましく見守っているとバウルが一吠えしたので顔を見上げる。太陽の光に反射してきらきらと輝く緑色の大きな瞳がまっすぐにエステルちゃんを捉えていた。

「言ったでしょう? ちゃんと伝わってるって」
「ふふ」
「フェローにも、伝わるかもしれない。会う? フェローに」

 ジュディスさんの問いかけにエステルちゃんは少しだけ視線を彷徨わせる。まだ彼女の中で迷いがあるのかもしれない。助言を求めるようにユーリさんの方をちらりと見る。ユーリさんの後押しもあり、エステルちゃんはゆっくりと頷いた。それが旅の目的だから、と。忌み嫌われ、殺意すら向けてくる相手に自分から赴くことがどんなに勇気のいることか。相当な覚悟を必要としただろう。
 ふと視線を感じて周囲を見渡す。ぱちりと目線がぶつかったのはジュディスさんだった。

「アズサも、よね?」

 "歪み"が生み出した不安定な存在。
 ずっと言葉の意味を知りたかった。それをフェローが知っている。わたしはこくりと頷いた。

「はい、わたしもフェローに会いたいです」
「アズサはフェローに会って何が知りたいの?」
「それは……」
「そろそろ魔狩りの剣(マガりのツルギ)の増援が来そうよ。ややこしくなる前に、移動した方がいいんじゃない?」

 レイヴンさんの発言にカロルくんが焦ったように辺りを見渡す。完全にカロルくんの意識がわたしから逸れたことに胸の内で安堵の息を吐いた。なんて説明したらいいのか自分でも分からなかったから。
 でも、これだけは分かる。フェローが知っているのは――"アズサ"についてだ。


***


「本来、エアルが多少乱れたところで世界には影響はないわ。エアルのバランスを取るために、常にエアルの流れを感じているものがいるから。それがフェローやバウルたち始祖の隷長」

 バウルの背中に乗って魔狩りの剣から逃れたわたしたちはフィエルティア号に乗り込む。そのままテムザ山を出港すると思っていたのだけど突然、船体がぐらりと大きく揺れた。その場にしゃがみこんで慌てて周囲を見渡すと景色がどんどん空に近づいている。まさかと思って頭上を見上げればバウルがフィエルティア号を引っ張りあげていた。空を飛んで移動すること自体は前の世界でも経験があるけど、こんな間近で空を感じながら移動するなんて初めてだ。高鳴る胸を押さえながら目の前に広がる光景を眺めていると背後で何かが倒れる物音が聞こえた。驚くユーリさんの声。

「ジュディ!?」

 ――そこまでが昨日の話。
 バウルを守る為にたった一人で寝ずに戦っていたジュディスさん。エステルちゃんとベッドに運んだ時に見た彼女の目元にはうっすらと隈があった。結局、話を聞くのは明日にしようという話になり翌朝までわたしたちもそれぞれの時間を過ごした。

「始祖の隷長がエアルの調整役……」
「長い間、始祖の隷長はエアルを調整し続けてきた。だけど近頃エアルの増加が、彼らのエアル調整の力を上回ってきている」
「その原因がヘルメス式魔導器(ブラスティア)か」

 ジュディスさんは静かに頷く。この世界にあるヘルメス式魔導器を壊す。それがジュディスさんの道だと言っていた。

「最近は聖核(アパティア)を求めて始祖の隷長に挑む人さえいる。始祖の隷長はその役目を果たすことがより難しくなっているわ」

 乾いた風が頬を撫でる。聖核は始祖の隷長の命と引き換えに得るもの。脳裏にベリウスの記憶が蘇り、無意識に眉を潜める。あんな悲しい思いはもう二度としたくない。そもそも聖核が狙われる理由は何なのだろう。魔狩りの剣の口ぶりからしてただの綺麗な石……というわけでもなさそうだった。ユーリさんはジュディスさんに問いかけたけれど、分からないと首を横に振る。理由までは知らないみたいだ。リタちゃんも聖核についてはあまり詳しくないらしく難しい表情をしている。

「でも……どうして最初に話してくれなかったの?」
「まったくだ。話してくれれば、こんなややこしいことにはならなかった。ちがうか?」

 もし先にジュディスさんが自分の"道"について話してくれていたら、わたしたちは素直にフィエルティア号の駆動魔導器(セロスブラスティア)を渡していた。一緒にバウルを敵から守ることだってできた。誰も……傷つかなかったはずだ。
 ジュディスさんは一度、唇を引き結ぶ。瞳を伏せて懸命に言葉を探しているようにも見えた。しばらく沈黙が続いた後、やがてジュディスさんはゆっくりと話し出す。それはわたしがみんなの為にまだ何も出来なかった頃、ヘリオードの宿屋でユーリさんたちが休んでいた部屋で騒ぎが起きた時の話だった。わたしは宿屋の一階にいて状況を詳しく知らなかったけれど、あの騒ぎはジュディスさんとバウルが引き起こしたものだったらしい。エアルの乱れを感じ取ったバウルの先にいたのがエステルちゃんだった。初めてのことでジュディスさんも戸惑ったのだと言う。

「何故、バウルがエステルをエアルの乱れと感じたか。私は知る必要があったの。私の道を歩むために。そんな時、フェローが現れた」
「フェローがジュディスさんの元に……?」
「彼はエステルが何者なのか知っているようだった。私の役目はヘルメス式魔導器を破壊すること。だけど、エステルは魔導器じゃない。だから見極めさせて欲しい……。私は彼にある約束を持ちかけた。彼は私に時間をくれた」
「その約束って……」
「もし消さなければならない存在なら私が……殺す」

 ぞわりと背筋が凍った。身体が強張って上手く声が出せない。
 固まるわたしの隣を小柄な身体が横切る。リタちゃんは眦を吊り上げ、今にもジュディスさんに殴りかかろうとしていた。慌ててパティちゃんとレイヴンさんが止めにはいる。

「ベリウスは言ってたわね。あなたには心があると。フェローにもあなたの心が伝われば、これからどうするべきか、わかるかもしれない」

 フェローに会って無傷で戻れるかは賭けに近い。それでもエステルちゃんはフェローに会いたいと言った。長い睫毛に縁どられた翡翠色の瞳に曇りは見えない。エステルちゃんの覚悟が揺らぐことはもうないのだろう。これ以上、誰も彼女を止めようとする人はいなかった。

「フェローに会いに行こう。オレたちの旅の最初の目的、それをこなしちまおう。後のことはそれからだ」


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