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 ――テイルズオブヴェスペリア。
 わたしはゲームの世界に迷い込んだ。ゲームにはもちろんストーリーが存在する。冒険して戦って、世界を救う。よくある物語の道筋のひとつであり、彼らの物語も同じような運命を辿るのだろうと思っていた。そして、その中にいる自分は完全にイレギュラーな存在であることも分かっていた。

「エアルが乱れれば世界が乱れる。始祖の隷長(エンテレケイア)で調整が追いつかなければ、今度は世界そのものが修正しようとする。無意識に、均衡を保つために。しかし……無理矢理繋ぎ合わせた修正には必ず"綻び"が生まれる」

 フェローと視線がぶつかる。何もかも見透かされたような瞳にぞわりと背筋が凍った。
 頭の中ではなんとなく理解していたはずだ。フェローに会えば自分自身について何か分かるはずだと。でも、ユーリさんたちの物語に自分が関わってくるなんて全く想定していなかった。だって、本来ならわたしはいるはずのない存在なのだから。予想外の展開にさっきから頭の中で警鐘が鳴り続けている。気を付けないと口から心臓が飛び出してきてしまいそうだ。

「その"綻び"を一身に受けたのがその娘だ」
「っ……!」
「フェロー、それはどういう意味なの?」

 明らかに動揺するわたしを見てのことだったのだろう。怪訝そうな表情をしたジュディスさんがフェローに問いかける。
 その間もわたしはフェローから目を逸らせなかった。だからこそ、気づいてしまったのかもしれない。ジュディスさんの問いかけにフェローはほんの僅かに目を細める。その表情を見て咄嗟にハッとした。つい最近、ノードポリカでも同じ顔を見たではないか。わたしを見て表情を曇らせた始祖の隷長を。

(きっと、フェローも知っているんだ)

 わたしが異世界の人間だということを。
 多分フェローが今から話そうとしているのはわたしが一番知りたくて、ユーリさんたちに一番知られたくなかった事実。あの時、ベリウスの口からは聞くことが出来なかった自分自身に関してのこと。またひとつ、探していたピースが見つかる。思わずこくりと喉が鳴った。
 それと同時にあれだけ爆発しそうになっていた心臓は収まり、背筋がすっと冷たくなっていく。わたしの推測が間違っていなければ……これから伝えられる事実は確実にユーリさんたちとの関係を壊してしまう。

(できることなら……ずっと、ユーリさんたちには知らないままでいてほしかったな)

 諦めと虚しさを抱えながらわたしは静かに目を閉じる。彼らの顔を見るのが、とても怖かったから。
 頭上から降ってくるフェローの口調は淡々としていた。

「この娘は――我らとは異なる世界からやってきた人間だ」

 真っ暗な視界の中で誰かが息を呑んだのが分かる。嫌われてしまうだろうか。気味悪がられてしまうだろうか。強く握った手のひらに爪が食い込む。
 ――ところが、フェローの言葉はそこで終らなかった。

「厳密に言えば"躰"はこちらの世界、"魂"のみが異世界からやってきた」
「……え?」

 どういう、こと……?
 フェローから放たれた意外な言葉に思わず瞼を持ち上げぱちぱちと瞬きを繰り返す。"躰"とか"魂"とか、単語の意味は知っているけれどいきなりファンタジーみたいな話をされても簡単についていけない。ましてや自分に自覚がなければ尚更だった。
 状況を呑み込めず固まるわたしの代わりにユーリさんが口を開く。

「……アズサも混乱してるみたいだ。オレたちにも分かりやすく説明してくれるよな、フェロー?」
「当然だ。娘はその身に受けた災いを、満月の子は己が犯した罪を知らねばなるまい」
「災いと、罪……?」

 この世界にやってきたのは偶然に偶然が重なった結果なのだと思っていた。自分の運が悪かっただけなんだと。でも、フェローの口ぶりからしてただの偶然ではないのだろうか……?
 ふと、誰かの視線を感じて周囲を見渡すと肩越しに振り返ったエステルちゃんと視線がぶつかる。零れ落ちてしまいそうな翡翠色の瞳は明らかに戸惑いの色を隠せていなかった。心配させないように口角を持ち上げてみたけれど、ほぼ間違いなく引きつっているだろう。微かに震える彼女の唇がアズサ、と小さく呟いたような気がした。

「……そもそも異世界なんて本当にあるの?」
「この世にはテルカ・リュミレースとは違う世界がいくつも存在する。文化も環境も異なっている。そして、その世界には自分と同じ"魂"と"躰"を持つ者が存在する。娘の"魂"が生きていた世界もその中のひとつだ」
「それじゃあ、ボクと同じ"魂"と"躰"を持った人が他の世界にもいるってこと?」
「こりゃまた随分とスケールのでっかい話になってきたねぇ」

 両手を頭の後ろで組みながらレイヴンさんがぽつりと零す。カロルくんは大きく首を縦に振っていた。
レイヴンさんたちが簡単に信じられないのも無理はない。わたしだって最初は自分がゲームの世界に迷い込んだなんて信じられなかったのだから。静かに唇を引き結んで話の続きを聞く。

「信じられないのも無理はないだろう。本来、異なる世界同士が交わることはない。世界の理が崩れるからだ。だが、満月の子の影響で始祖の隷長の調整が追いつけないほどに乱れていたこの世界は――他の世界に交わる一歩手前まできていた」

 フェローはそのまま言葉を続けた。

「世界同士が交わってしまえば今度は世界の理自体が崩れてしまう。それだけはなんとしても防がねばならなかった。世界は修正を行い、始祖の隷長たちも必死にエアルの調整を行った。その結果、ギリギリではあったが世界の均衡は保たれた……ように見えた」
「違ったのね。実際に"躰"と"魂"の異なるアズサはここにいるもの」

 眉間に皺を寄せるジュディスさんと目が合ってわたしは戸惑いながらもこくりと頷く。この手や足が自分のものではない。なかなか理解しがたい事実ではあるが……そんなわけないと否定するには心当たりが多すぎた。己の意志に関係なく動く身体、頭の中に直接響く声、夢の中で見たわたしとそっくりな彼女。あまりにも似すぎていて旅の途中で何度も間違えられた。あれはただの偶然ではなかったのだ。
 それに……そもそも異世界に迷い込んだ時点で常識を遥かに逸脱している。本当に、信じ難いが。

(多分、あの子がこの世界の……)
「世界と始祖の隷長がなんとか修正を行っている最中、一人の娘の"魂"が消滅した」
「オレたちの世界のアズサの"魂"だな」
「元来、"魂"が消滅した"躰"は機能しない。死んだも同然なのだから。だが他の世界に干渉しかけていたこの世界は異世界の娘の"魂"を引き寄せてしまった。……分かるか? 満月の子がエアルを乱さなければ、起きることはなかった災いだ」

 びくり、とエステルちゃんの肩が震える。フェローの威圧感がまたぴりぴりと高まっていくのが分かった。

「異なる世界同士の"躰"と"魂"が融合した。だからこそ、娘の存在は実に不安定で――そして、エアルの乱れが招いた最悪の世界の"歪み"の象徴だ」

 不安定な存在。その言葉をわたしは以前にも言われたことがある。
 初めて出会ったのはデイドン砦だった。何処から来たかと問われひどく怯えたのを覚えている。あの時からデュークさんはわたしが異世界の人間だと見抜いていたのだろうか。

「わたしのせいで、アズサが……?」
「けど分からねえ。なんでオレたちの世界のアズサの"魂"がなくなったんだ?」
「それは我の知るところではない。だが、死ぬ間際に他の世界の"魂"を引き寄せてしまう程の強い願いがこちらの世界の娘にはあったのだろう」
(強い願い……)

 わたしは渇いた地面に視線を落とす。その途中でマントの隙間から胸元で光るペンダントが見えた。手を伸ばして握りしめると指の隙間から赤い輝きが零れる。今までまともに戦ってこれたのはこの武醒魔導器(ボーディブラスティア)のお陰だと思っていたけど、"躰"がわたしのものではないのならあれだけ機敏に動けたのも納得できた。きっとこっちの世界のわたしは戦える人だったのだろう。だからこそ余計に疑問が浮かぶ。
 ――いったい、彼女の身に何が起こったのだろうか?


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