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 フェローとの話を終え、わたしたちはフィエルティア号に戻ることにした。最後の最後で体調を崩した所為なんだろう。傍にはラピードが寄り添うようにぴったりとくっついて歩いていた。それがユーリさんの指示なのかラピードの意思なのかは分からなかったが、おそらく後者に違いない。
 来た道と同じ畦道を下りながらわたしは悶々と考えていた。フェローから得た情報は実に大きい収穫だったが、それにより新しい疑問が生まれたのもまた事実。まだまだ考えなければならないことは多い。

(それにユーリさんたちにはどこまで話す……?)

 半分、自分の正体を明かしてしまったようなものだ。いっその事全てを話してしまったほうが良いんだろうか。これまでの自分の生い立ちや夢の中に出てきたあの子のことも。如何せんわたしは秘密を抱え過ぎていた。あれもこれもと説明していたら日が暮れてしまうかもしれない。それに――自分自身でもまだ確信を持てない部分もある。せっかくエステルちゃんの一件が落ち着いたように見えるのにこれ以上ユーリさんたちの頭を悩ませるわけにはいかない。とりあえずは聞かれたことだけを答えるようにしよう。自分からはあまり余計なことは喋らないように……うん、そうしよう。
 フィエルティア号に入るとじりじりと容赦なく照らしていた太陽がバウルの大きな身体に隠れる。心なしか風も涼しく感じた。ここならもうフードを外してもリタちゃんに咎められることもないだろう。船の中に入ってしまえば着用する必要もなくなるのだから。目深に被っていたそれを取り払ってぱたぱたと手で顔に風を送り込んでいると不意に頭上が陰った。紫がかった艶やかな髪が一束、わたしの首元に垂れる。頭に何かついていたのだろうか。真後ろに立っているらしいユーリさんを見上げたけれど逆光で顔はよく見えなかった。

「ユーリさん? どうかしま……うわっ!」

 おもむろに背後のユーリさんが屈む。腰に腕が回されぎょっとしたのも束の間、次の瞬間には担ぎ上げられていた。宙ぶらりんになった足が心もとない。いきなり襲われた浮遊感にわたしは驚きの声を上げた。咄嗟の抵抗にばたばたと足を動かしたがビクともしない。

「降ろしてくださいユーリさんっ……!」
「ちょっとアズサ休ませて来るわ。いいよなカロル?」
「うん。いいよ」

 そんなあっさりと……! 何から話そうか一所懸命考えてたのに。
 米俵のように運ばれていくわたしをひらひらと手を振って見送るカロルくん。強制的に休憩室に連れていかれるなら、せめて女性陣にお願いしたい。わたしは慌てて女性陣に助けてと念を送ってみたけれどリタちゃんは当然だというようにこちらを睨みつけてくるし、ジュディスさんも微笑んでるだけ。頼みの綱であったエステルちゃんは苦笑いで止めてくれる様子もなく、パティちゃんに至ってはレイヴンさんと話していてこちらに気付いてもいない始末。あっという間にユーリさんは船の中に入っていき、彼女らの姿は扉に阻まれ見えなくなってしまった。わたしは行き場のなくなった手を虚しく下ろす。そして、諦めにも近い気持ちを抱えながら無言でずんずんと目的地へと進むユーリさんに声をかけた。

「……ユーリさん。わたし、自分で歩けますか」
「却下だ」

 ぴしゃんとユーリさんに言い切られてしまいわたしは言葉を詰まらせる。

(最近、ユーリさんに丸め込まれる機会が多いような気がする……)

 結局、下ろされることも許されないまま寝室へと連れていかれた。
 扉を抜けて向かい合うように設置された二段ベッドの下の方。ユーリさんはベッドの端にわたしを下ろすとマントの留め具を外してマントを脱がした。そしておもむろにしゃがみ込むとブーツに手を伸ばす。するりと靴紐を解かれそのまま脱がそうとするものだからわたしは慌ててユーリさんを制した。不満げな瞳がこちらを見上げる。

「なんだよ。靴脱がないと寝れないだろ」
「さ、流石に自分でやります」

 申し訳ないという気持ちも勿論あったが、なんだか急に恥ずかしくなってきてしまったのだ。異性に跪かれた経験などまずなかったから。しかも驚くほど整った顔立ちの人になら尚更。なんというか……視覚的に良くない。
 ユーリさんから半ば奪い取るように自分で紐を緩めブーツを脱いでベッドに座る。その間にユーリさんは水を持ってきてくれたようでわたしは喉を潤した。水分を口に含むと身体が少し楽になったような気がする。今の調子ならカロルくんたちと話しても大丈夫なのではないだろうか。空になったコップを両手に持ち、わたしはベッドサイドに座るユーリさんを見やった。

「あの、ユーリさん。わたし……」
「アズサ」
「はい?」

 小首を傾げるわたしの頭にぽんと手のひらを乗せる。

「絶対にベッドから出るなよ?」

 にこりと張りつけた笑み。しかし、目元は全く笑っておらずわたしは頬を引きつらせながら何度も頷いた。ユーリさんは人の心が読めるのだろうか。わたしが喋ろうとしていたことを見透かしているかのように圧力を被せてきた。仕方ない、少しの間休ませてもらおう。コップを渡して大人しくベッドに潜るとユーリさんは満足げにわたしの前髪を撫でつけ部屋を出ていった。ぱたんと扉が閉まるとぼそぼそと声が聞こえてくる。どうやらみんなで話し合いをしているらしい。耳を澄ませるとフェローがどうとかエアルがどうとか辛うじて会話を拾うことが出来た。やはり、話しているのは今後についての話だろう。

(これからどうするのかな……)

 問題は山ほどある。けれど、残された時間は決して長くはない。エステルちゃんをフェローに殺させないために、わたしには何ができるのだろうか。
 そうして考えている内にわたしはみんなの声を子守歌にいつの間にか意識を落としていった。



 ぎしり、と鼓膜に届いたスプリングの音。ゆっくりと瞼を持ち上げるとベッドサイドにユーリさんが腰かけてわたしを覗き込んでいた。ぼんやりと霞む視界に柔らかい目元が映り込む。ちゃんと言いつけ通りに休んだからか普段の優しいユーリさんに戻っていた。わたしはゆっくり上体を起こす。

「起きたか? 具合はどうだ?」
「……身体が大分軽くなりました。すみません、わたし寝ちゃってたんですね」

 どのくらい眠ってしまったんだろうか。状態を起こして部屋にある唯一の窓を見る。ガラス越しに映る世界は眩い青。バウルは既にコゴール砂漠を出発しているようだった。太陽がまだ暮れていないところをみるとそれほど長い時間眠っていたわけではないらしい。
 だけど、バウルが空を飛んでいるということは目的地が決まったということになる。話し合いで決まったのだろうか。ユーリさんにどこに向かっているのか尋ねるとアスピオだと返事が来た。

「アスピオ、ですか……?」
「クリティア族の故郷を探るためだ」

 どういうことなのだろう。クリティア族の故郷はテムザではなかったのだろうか。眉を潜めるわたしにユーリさんは苦笑しながら説明してくれた。

「……つまり、フェローの言ってた罪を受け継ぐ者っていうのは魔導器(ブラスティア)を発明したクリティア族のことで、クリティア族に話を聞けば何か分かるかもしれない、ってことですか?」
「ああ。この世界の何処かにミョルゾっていうクリティア族の故郷があるらしいんだがジュディも知らねえみたいでな。リタがアスピオで聞き覚えがあるっていうからとりあえず当たってみることにしたんだ」

なるほど、それでアスピオに向かっているのか。そうなんですね、とわたしは相槌を打つ。

「そんな大事な話し合いをしている時に参加できなくて……すみません」
「アズサが気にすることじゃねえよ」
「でも……」

 ユーリさんに向けていた視線を下に落として真っ白なシーツを握る。本来ならわたしもその場にいるべきだった。そして話をするべきだった、中断させてしまっている自分の話を。無意識に手はペンダントに伸ばす。
 悶々と考え込んでいると不意に紫黒の瞳が俯いていたわたしの顔を覗き込んできて思わず身体を後ろに引く。でも、すぐに壁にぶつかってしまい逃げ道がなくなってしまった。ユーリさんは無表情のままベッドに片膝を乗せ距離を詰めてくる。いきなりどうしたんだろう。ユーリさんっ、と戸惑いながら名前を呼んでも無反応で。じいっとこちらを見つめながら徐々に、確実に近づいてくる端正な顔。じわりじわりとわたしの顔にも熱が集まる。背後は壁、前にはユーリさん。なにが起きているのかさっぱり分からない。
 訳の分からない状況にわたしは咄嗟に目を瞑ることしかできなかった。


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