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 陸や海を渡り何日もかかってしまう道のりも空を飛ぶバウルにかかってしまえばあっという間に目的地に辿り着いた。久々に訪れたアスピオは相変わらず薄暗い空間に包まれている。この街でクリティア族の故郷、ミョルゾについて情報を探るらしい。手がかりがあまりにも少ないから何か得られるものがあるといいけれど。

「クリティア族の故郷ならクリティア族に聞くのが一番手っ取り早いだろ」

 ユーリさんの発言に同意したジュディスさん、カロルくん、わたしの三人は街中にいるクリティア族に話を聞くことにした。残りの人たちは先にリタちゃんの小屋で休んでもらっている。休憩せずに人探しをすること。それが個人個人で掟を破った凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)の罰であり再出発の一歩だと決まったからだ。アズサは無理しなくてもいいよ、とカロルくんには言われたのだが自分もギルドの一員だからと言って一緒に行動させてもらっている。わたし自身は船の中で充分に休ませてもらったし、アスピオの独特な街の雰囲気を味わいたいという気持ちも少しあった。前回は魔核(コア)ドロボウ探しで全然街を楽しむ余裕なんてなかったから。

「ねえ、アズサ……本当に体調とか悪くない? 気分とか平気?」
「え? うん、体調は大丈夫だよ。どうして?」

 クリティア族を探しつつも街の様子を観察していると隣を歩いていたカロルくんが心配そうにわたしを見上げる。カロルくんはきょろきょろと辺りを見渡すと小さく手招きをした。特にひそひそ話をするような内容でもないとは思うけど。疑問に感じながらも素直に前かがみになって耳を寄せた。

「だって……今のアズサの"躰"は本当のアズサの"躰"じゃないんでしょ? 違和感とかあるんじゃないの?」

 アスピオは学術都市というだけあって学者がたくさん住んでいる。エアルに影響されないわたしの特異体質を知られてしまえば必ず研究対象の恰好の餌になってしまう。だからむやみやたらにその話はするな、とリタちゃんに口酸っぱく言われたのだ。だからカロルくんも気にかけてくれているのだろう。そっと口元を緩め、わたしもカロルくんの耳に顔を寄せた。

「むしろ違和感がなかったからわたしもびっくりしてる」
「えっ、そうなんだ」

 同じ"魂"を持つ人物だからなのだろうか。この手や足が不自由だと思ったことは一度もなかった。自分の意志に関係なく身体が動き出すことは何回かあったけれど。けれど今ここで話すのはやめたほうがいいだろう。それこそ学者たちの注目の的になってしまう。
 ふうん、とカロルくんは呟く。

「もしかしてアズサが体調崩しやすいのってそういうことなのかなって思ってたんだけど……」

 うん、それはただ単純にわたしの体力がないから……かな。
 苦い笑みを零していると先を歩いていたジュディスさんとユーリさんが広場の前で立ち止まったのが見えてわたしたちも足を止める。マントを羽織った学者たちが行き交う広場の街灯の下に立っている一人の男の人。尖った耳の下に垂れる長い触角はクリティア族の特徴なのだとジュディスさんに教えてもらったことがある。長い前髪で片方の目を隠したその人はわたしたちが近づくとにこりと笑みを浮かべた。

「こんにちは」
「ごきげんよう、我が同胞殿」
「ジュディスよ」
「私はトート」

 ジュディスさんがミョルゾについてトートさんに尋ねている間、ふとわたしが周囲に視線を巡らすとマントを羽織った人がこちらを見ていたような気がした。見ていた、と言い切れないのは目深に被ったフードで顔が全く見れなかったからだ。けれど僅かにフードの下から見える唇はひどく狼狽したように震えていた。わたしが首を軽く傾げると驚いたようにびくりと肩を震わせて小走りに広場から立ち去っていく。なんだったのだろう、と頭に疑問符を浮かべていると不審に思ったらしいユーリさんが不思議そうにわたしの名前を呼んだ。

「どうかしたのか?」
「あ、いえ、なんか誰かに見られていたような気がしたんですけど……気のせいだったみたいです」

 そもそもあの人が見てたのもわたしたちだったとも限らない。顔はフードに隠れて全く見えなかったのだから。リタちゃんの言葉もあって自意識過剰になっているのかもしれないな。なんでもないです、とわたしはユーリさんに頭を振ってトートさんとジュディスさんに意識を戻した。

「我が同胞以外にミョルゾへの道は教えるな、それが代々の掟だからな」
「人間とかクリティア族とかよりも信用できるかできないか、じゃないかしら。少なくとも彼らは信用に足る人たちだわ」
「……もう一度聞くが、なんのためにミョルゾを求める?」
「世界が色々とマズイ方向に向かってる。魔導器のせいでな。過去に何があったか、どうすれば止められるか、それを知るために行く。クリティアを含む、すべての人のため……ってところでどうだ?」

 トートさんは考え込むように口を閉ざす。返事はトートさん次第だ。緊張しながら返事を待つ。やがて彼は決心したようにゆっくりと頷いた。

「……いいだろう。そこであんたたちが答えを見つけられるかどうか保証は出来ないが、教えよう」

 ミョルゾへ向かうためには色々な手順を踏む必要があるようで、まずはヒピオニア大陸にある鐘を見つけなければならないらしい。

「洞窟は赤い花の咲く岸辺にある。それを目印にすればたどり着けるよ。それから、その洞窟の奥にある扉は我らクリティアにしか聞くことができないから」
「どういうこと……?」
「大丈夫よ、そこはわたしがなんとかするわ」

 鐘を見つけたら今度は同じくヒピオニア大陸にあるというエゴソーの森へ行く。そこにミョルゾに続く扉があり、そこで鐘を使えば扉が開くらしい。兎にも角にもヒピオニア大陸に向かわないといけないようだ。自分の足で向かうとなると途方もない話のように思えるけど、幸いなことにわたしたちにはバウルがいる。空から探せば鐘のある洞窟もエゴソーの森も見つけるのはそんなに難しくないはずだ。

「ただ一つ、問題がある」
「問題?」

 こくりと頷いたトートさんは眉間に皺を寄せる。話を聞くと今エゴソーの森は謎の集団によって踏み荒らされているらしい。しかも妙な魔導器まで持ち込んでいるとか。自分たちが大切にしている場所を汚されたら確かにいい気はしないだろう。こちらとしてもその人たちにミョルゾへの道のりを邪魔されるのは遠慮してもらいたい。

「なるほど。つまり、鐘を手に入れて、その聖地ってところで謎の集団ぶっ飛ばして、鐘を鳴らせば扉は開くってことなんだな」
「そういうことだね」
「わかったわ……ありがとう」

 話がひと段落したところでわたしはちらりと視線を外す。本を何冊も抱える人、あるいは本を読みながら歩く人。学者が多いからかアスピオは本を携える人が多いように感じる。リタちゃんもいつも魔術書を身に着けているから余計にそう思うのかもしれない。わたしはさっき走り去っていった人物を思い出す。

(さっきの人、腰に短剣があった)

 走り去る時にマントの隙間から見えていたのだ。もちろん、護身用の可能性は十分にある。だけどここは魔術の研究者が数多く集まる場所。魔術を得意とする人たちがわざわざ接近戦に使う剣を持ち歩くだろうか。もしかするとアスピオの人間ではないのかもしれない。実際に下町の魔核を盗んだのはリタちゃんに扮装した全くの別人だったのだから。
 ――いや、今は考えるのはやめよう。さっきの人はもういなくなってしまったし、単純に誰かと見間違いをしたのかもしれない。やっぱり自意識過剰になってしまっているんだろう。頭の中のもやもやとした感情を振り払ってリタちゃんの小屋に向かうユーリさんたちを追いかけた。


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