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 あれからリタちゃんの小屋に向かってわたしたちを待っていたエステルちゃんたちに事情を説明した。直接トートさんから話を聞いたわたしすらいまいち実感が湧きにくいミョルゾへの手がかり。伝言ゲームのように話を聞かされた彼女たちはますます理解がしにくいのだろう。特にリタちゃんの眉間に皺が寄る。けれど、クリティア族の掟を破ってまでトートさんが教えてくれた情報。きっとわたしたちをミョルゾに導いてくれるはずだ。
 その日はカロルくんが体力の限界だったこともありそのまま一晩泊まることになった。床にごろんと寝転がりすやすやと眠り込んでしまったカロルくん。その様子を微笑ましく見守りながらわたしも身体を休めるのだった。


***


 翌日、十分に休憩をとったわたしたちはさっそくヒピオニア大陸にあるという赤い花の咲き誇る岸辺を探すことにした。その為にはまず街のどこかにいるパティちゃんを見つけなければならない。昨日から麗しの星(マリス・ステラ)の手がかりを探ると言って小屋から出たきり帰ってきていなかったのだ。

「…………」
「アズサ姐、うちは大丈夫なのじゃ。ああいうのは……慣れているのじゃ」

 街の外へと向かう道を黙々と下る。わたしの隣には探していたパティちゃんが並んでいた。口を開こうとしないわたしをちらちらと横目で追ってはその表情に暗い影を落とす。決して喧嘩をしたわけではない。だけど迂闊に口を開いてしまうと胸の中で必死に抑え込んでいる怒りの感情が爆発してしまいそうだったから、唇を閉ざすしか方法が思いつかなかったのだ。
 アスピオでパティちゃんを見つけるのはそれほど難しくなかった。この住人は日を浴びない街に住んでいるというのにマントを羽織っている人が多い。その中で眩い金色のおさげ髪に大きな海賊帽という出で立ちの彼女は非常に目立っていた。広場のベンチに座りいかにも難しそうな本と睨めっこをしていたパティちゃん。そのままアスピオを出発できればなにも問題はなかったのだが、一人の男が彼女をアイフリードの孫だと気づいてしまった。その男はパティちゃんが何も言い返せないのをいい事に批判の言葉を浴びせてきたのだ。まだ年端もいかない少女に大の大人が責める構図は見ていてもとても気分が良くなかった。

「駄目だよ、パティちゃん」

 足を止めずまっすぐ前を見つめたまま呟く。思いの外はっきりとした口調になってしまったのだまだ胸の中で感情が燻っているからなのだろう。

「アズサ姐……」
「あんなのに慣れたら、駄目だよ」

 パティちゃんのおじいさんは罪を犯してしまったのかもしれない。でも、彼女が責められる理由にはならないのだ。
 街の外に出ればバウルが上空で待機してくれている。早く乗り込んでさっきの出来事を忘れてしまいたい。街の外に出れば暖かい陽射しがわたしたちを出迎えてくれた。ジュディスさんの呼び笛に応えたバウルが地上に降り立ってくれるのをみんなで待っていると突然、誰かを呼び止める大きな声が耳に届く。

「――おいっ、オマエ!」

 驚きと焦りそれに恐怖が入り混じったような、切羽詰まった声だった。アスピオの入り口の方から聞こえたような気がして背後を振り返る。薄暗い洞窟の奥からゆっくりと出てきたその人物はアスピオ住人の特徴であるマントを羽織っていた。顔はフードに隠れて見えなかったが、声からして男性なのは判断できる。先ほどパティちゃんを悪く言っていた人物とは別人のようだったが、また同じような要件なのだろうか。無意識に眉間に皺が寄る。

「オレたちに何か用か。ギルドの依頼なら今は手いっぱいだ」
「違う! オレが用事あるのは……そこの女だっ!」

 男は震える声で叫ぶといきなり駆け出した。何故か、わたしのところへ。
 風にはためくマント。その隙間からきらりと光る刀身が見えてひゅっと喉が震える。

「アズサっ!」

 視界の端で駆け出すユーリさんたちが見えたけれど、男を止めるには間に合わない。男は両手でしっかりと短剣を握りこちらに突っ込んでくる。わたしはただ茫然と目の前の現状を受け止めていた。
 ふとリタちゃんの言葉が脳裏に蘇る。わたしは怪我を負えない。治癒術で回復することが出来ないから。ひたすら自分の身を守ることに徹しろ、と。昨日の今日で約束を破ってしまったらリタちゃんに何を言われるか……考えただけでも恐ろしい。わたしは咄嗟に両手でペンダントを握り、そして願う。

(お願い、助けて)

 指の隙間からぼんやりと赤い光が零れた。強張っていたはずの身体の緊張がほぐれていく。大丈夫、後は"躰"に身を委ねればなんとかしてるはずだ。
 瞬時にペンダントから離れた手が腰の剣を抜く。姿勢が自然と低くなり、大きさの異なる二本の剣が男の短剣を受け止めた。ガチン、と激しく剣同士がぶつかる。衝撃で手がびりびりと痺れた。普段のわたしだったら数秒も持たない鍔迫り合いも"今"のわたしなら相手を押し返すことができるらしい。短剣を弾き飛ばされた男はその勢いのまま大きく尻もちをつく。あまり戦いには慣れていないようだ。片方の剣の切っ先を向けると分かりやすく身体を震わせた。

「……勝負、あったわね」
「アズサ、大丈夫ですか! 怪我は?」
「してないよ。大丈夫」

 男から視線を逸らさないようにしながら、わたしは駆け寄ってきたエステルちゃんに言葉を返す。相手に敵意がないと判断したのかもう身体は自由が効くようだ。剣の重みが徐々に手のひらに伝わってくる。けれど、いきなり殴りかかれても怖いから警戒は緩めずにフードの下にあるであろう顔を睨み続けた。男はひいっ! と引きつった声を上げる。

「オ、オマエ、なんで生きてるんだよっ……! オレを殺しにきたのかっ!?」
「はあ? アズサがあんたを殺すとか何言ってんの? 先に殺そうとしたのはあんたじゃない」
「お知り合い……ではないんですよね、アズサ?」
「うん。初対面だと、思うんだけど……」

 どこかで見たことがあるような、ないような。
 アスピオに知り合いはいないはずだが、顔を見ていない以上はっきりとは言い切れない。エステルちゃんの問いかけに曖昧な受け答えしかできないでいると剣を持った方の肩をぽんぽんと叩かれた。肩越しに紫色の羽織が目に留まる。レイヴンさんはいそいそと男の元に近づくとフードに隠れた顔をしゃがみ込んで下から覗き込んだ。いきなり顔を覗き込まれて後ずさる男を見てにやりと笑みを浮かべる。

「あららー、探しに行くつもりがまさか自分からやってきてくれるなんてね。こりゃラッキーだわ」
「レイヴンさん、それはどういう……」
「レイヴンってまさか天を射る矢(アルトスク)の……!? オレに文句を言いにきたのか? フン、一度はオマエらが買ったんだ。売った金はもう返さないからな!」

 一体、レイヴンさんたちは何の話をしているのだろう。近くにいたエステルちゃんに視線を送ってみたけど彼女も困ったように首を傾げるだけだった。とりあえず刃を向けられることはもうなさそうだとわたしは剣をしまう。正直言うと、そろそろ腕が疲れてきた頃だった。棍も装備していたけれど咄嗟に抜いたのは剣だったからやはりこの"躰"は剣の方が合っているのだろうか。男は相変わらずレイヴンさんに向かって騒ぎ立てている。

(あ、そうだ。短剣)

 わたしが弾き飛ばしてしまった短剣は何処にいってしまったんだろう。危険な思いをしたとは言え、誰かの持ち物を紛失させてしまうのは居心地が悪い。きょろきょろと辺りを探していると視界の隅に光るものが横切ったような気がして瞬きをする。次の瞬間、ぎゃあっ! と悲鳴のような声が聞こえて慌てて目を向ければ青白い顔をしたレイヴンさんとわなわなと唇を震わせる男の間に位置する場所に短剣が突き刺さっていた。さっき何かが光ったような気がしたのは投げられた短剣だったのだ。そして、それを流石とも言えるコントロール力を持つ人物をわたしはこの場に一人しか知らない。
 おそるおそる飛んできた方向を見やる。そこには爽やかすぎる笑顔で立つユーリさんがいた。

「ここじゃ何かと目立つだろ。場所を変えて話をしようぜ。いいだろ、おっさん?」
「う、うん、それは構わないんだけどね? 青年、ナイフ刺さってんの俺様が立ってた場所じゃない……?」
「気のせいだよ、気のせい」

 緑の生い茂る地面に突き刺さった短剣を見て、ふと思い出す。昨日、わたしを見て慌てたように広場を走り去っていたマントを羽織った謎の人物。そしてちらっと見えた腰の短剣。
 ……やっぱり見間違いではなかったんだ。


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