119


 せっかくジュディスさんにバウルを呼んでもらったのにまた上空で待機させる事態になってしまった。すみません、と謝るわたしにジュディスさんは気にしないでと微笑んだ。

「あの子はのんびりやさんだから大丈夫よ」

 無事に話を終えて船に乗り込んだら、一番にバウルにお礼を言わなければ。そう心に決めたのがほんの少し前のこと。
 ユーリさんが話し合いの場所として選んだのはアスピオから少し離れた雑木林の中だった。草木をかき分けて道なき道をひたすら進むわたしたちに流れる空気は完全に冷え切っている。今朝のパティちゃんの一件もあってか、わたしも口を開く気分にもなれずひたすらに足を動かしていた。突然襲い掛かってきた男も先程のユーリさんの牽制が効いているのか敵意を向ける様子もなく大人しくついてきている。素性をバラしたくないからフードを被ったまま話をしたい、というのが男が提示してきた唯一の条件だった。そもそも都合が良かったからアスピオのマントを纏っているだけで彼はアスピオの住人ではないらしい。この男といい、下町の魔核(コア)ドロボウといい、変装するのにアスピオのマントはそんなに使い勝手が良いのだろうか。

「…………この辺りでいいだろ」

 ユーリさんの足がぴたりと止まったのを見てわたしたちも足を止める。周辺に人の気配は感じられない。ここなら誰かに話を聞かれる心配もないだろう。さあ話せ、とばかりに腕を組むユーリさん。ぎくりと肩を震わせた男は一度口を開きかけたがすぐに閉ざすとそのまま黙り込んでしまった。しばらくの間、沈黙が続く。我慢の限界を超えたリタちゃんが地面に魔法陣を浮かばせたところでで男はやっと重たい口を持ち上げた。

「その女……本当にオレを殺しにきたんじゃないよな?」

 またその話か。
 何回目か分からない同じ質問にわたしはうんざりした表情で男を見た。移動している間にも何度も質問してきてその度にこちらが返事をしようとすればヒッと喉を引きつらせて怯えるものだからいい加減応えるのも面倒になってきていたのだ。いっそのことイエスと答えてしまえば納得してくれるのだろうか。脳裏に考えが過ぎったがすぐに打ち消す。更に話がややこしくなるだけのような気がした。最悪の場合、話をしてくれないかもしれない。せっかく手に入れたチャンスを無駄にするのは勿体ない。ため息が零れそうになったのをぐっと堪えてわたしは違う、と応えようとしたのだが、

「ええ、違うわ。だけどあなたの思ってる彼女とはおそらく別人よ」
「ジュディスさん?」
「は? どういう意味だよ」

 男との間に滑り込むように立ったジュディスさんに阻まれてしまってわたしは露出度の高い背中をぽかんと見上げる。もしかして、レイヴンさんと同じようにジュディスさんもこの男について何か知っているのだろうか。それとも今の状況を把握しきれていないのがわたしだけなのだろうか? ちらりと周囲を見渡してユーリさんたちの顔色を伺ってみたが、カロルくんやエステルちゃんが眉間に皺を寄せているところを見るとみんながみんな分かっているという感じでもなさそうだ。
 そうなるといよいよ話が分からなくなってくる。おそらく首を傾げるわたしの様子を見ていたのだろう。隣でくすくすとレイヴンさんが忍び笑いをしていた。

「あのねアズサちゃん。こいつ、武器屋の商人なんだ……と言っても、イケナイ取引をする方の商人なんだけど」
「商人……?」

 普通のお店では取り扱いのできない商品を売る人。レイヴンさんの言葉を聞いて欠けていたパズルのピースがまたひとつ浮かび上がったような気がした。
 探して欲しいとお願いしてからまだ数日しか経っていない。まさか、こんなに早く見つかるなんて。わたしは勢いよくレイヴンさんの顔を見上げる。目が合うとにんまりと弧を描いていた口元がさらに吊り上がった。

「……もしかして、ドンに剣を売った人、なんですか?」
「アズサちゃんご名答」

 なるほど、それなら男の過剰すぎる反応にも説明がつく。
 わたしは腰のベルトに固定していた二本の剣を急いで外すと両手に抱えジュディスさんの隣に並んだ。突然、目の前に飛び出してきたわたしを見て男は身体を震わせたが気づかないフリをして剣を男の前に突き出す。勢いよく取り出したで柄の部分に付いた海色のタッセルが激しく揺れた。

「教えてください。この二本の剣、どこで手に入れたんですか?」
「オ、オマエ……本当にアイツじゃねえんだな? オレに復讐しにきたんじゃないよな?」
「違います。わたしはあなたに会うのは今が初めてですし、この剣の持ち主でもありません。なので復讐するつもりも全くありません。だから教えてください。どういった経緯であなたはこの剣を手に入れたんですか?」

 この剣は蒼の迷宮(アクアラビリンス)のアズサ――つまり、こちらの世界のアズサの所有物だった。そして今は蒼の迷宮の行方を探るためのたったひとつの手がかりでもある。蜘蛛の糸を掴むような話だったが獲物はしっかりとかかってくれたのだ。わたしの心臓は静かに高鳴っていた。
 男は最初こそ戸惑うような反応をしていたがごくりと生唾を呑み込んだかと思うと剣を誰かに預けてくれと小さく呟いた。おそらく念には念を入れてという事なのだろう。既に男が持っていた短剣はユーリさんが取り上げてしまっている。わたしは二本の剣を隣にいたジュディスさんに預けた。本当は服の裾に隠してある棍も誰かに渡さないといけなかったんだろうけど、気づいていないみたいだから黙っておこう。わたしが丸腰なのを確認した男はようやくぽつりぽつりと話し出した。

「……それは、ザーフィアス近くの森で見つけたんだ。その日、森ではある事故が起きていた。魔物の群れが帝都に移動していたある集団を襲ったんだ」
「蒼の迷宮(アクアラビリンス)のことだな」
「そうだ。あいつらは瑠璃色のマントが特徴的だから一目見てすぐに分かった」

 夢の中に出てきたあの子も瑠璃色のマントを羽織っていた。あれはギルドの団員の証だったのか。蒼の迷宮について新しい情報に瞑目しながらも男の言葉に耳を傾ける。
 男は貴族に非合法的な武器を売る為に帝都に向かっていた。その途中で遭遇したのだという。話の流れからして嫌な予感しかしない。背中をぞわぞわと冷たいものがうごめいていた。

「……襲われた方々はどうなったんですか」
「オレが見た時には全員死んでた。喉元は掻き切られ、中には手足が引き千切れてる奴もいた。この商売してて色んなものを見てきたが、あれは惨い光景だったよ」

 余程、その光景は酷い有様だったのだろう。当時を思い出してか男は居心地悪そうにフードの下から言葉を吐き捨てた。男の発言にカロルくんの顔色が一気に青ざめる。

「それで、この剣の持ち主も――亡くなられていたんですか」
「ああ。近くに寄って確認もしたが、息をしていなかった」

 ハリーさんからギルド全員の行方が分かっていないと教えてもらった時からその可能性はずっと心の奥底にあった。杞憂であってほしいと願いながら。ドンがギルドの行方を追えなかったのも無理はない。様々な街に行っても蒼の迷宮について新しい情報がほとんど得られなかったのも同じ理由だったのだろう。思いの外すとんと胸に落ちた真実を受け止めつつもわたしは話の続きを聞いた。
 蒼の迷宮は凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)と同じように規模の小さなギルドだったらしい。そのほとんどが移動用の馬車の近くで事切れていたという。辺りに幾つもの血溜まりを作りながら。

「あなたはどうして蒼の迷宮を襲ったのが魔物だって言い切れるのかしら? 盗賊の可能性だってあると思うけれど」
「その女の周りで大量の魔物が死んでたからだよ。おそらくそいつだけ魔物の襲撃を逃れたんだろう。仲間を殺された仇を打つ為に戦ったんじゃないか。その剣に魔物の返り血がべっとりと付いていたからな」

 当時の彼女は一体、どんな気持ちだったのだろう。大切な仲間を殺されてたった一人で戦って。平穏だった日常が簡単に崩れてしまう怖さはわたしも身をもって知っている。

「蒼の迷宮が持つ武器には珍しい装飾が施されているんだ。魂の鉄槌(スミス・ザ・ソウル)でも作れないギルド独自で編み出した技法だと聞いている。だが、蒼の迷宮はそれを所属している人間にしか持つことを許さなかった。つまり門外不出の貴重品なんだ。その手のコレクターからすれば喉から手が出るほど欲しがる一点ものだ。あんなに血が付いていなかったらすぐにでも帝都の貴族に売ってたのに」
「だから彼女が死んでるのを確認してから盗んだのね」
「なるほどな、話の筋は通る」

 男がすぐに武器を手放さなかったことで偶然にもドンの目に留まり、巡り巡ってわたしの元にやってきた。否、厳密に言えば"帰ってきた"というべきか。これもまたひとつの運命だったと言えるのだろう。胸に抱えた剣を見下ろす。まさかこの二本の剣にそれほどの価値があるなんて思ってもみなかった。何か情報が得られればと思って持ち歩いていたが、最初に訪れた街が武器の価値に詳しくないアスピオの街で良かったのかもしれない。これがダングレストや帝都の貴族街だったら大変なことになっていた可能性がある。
 男はわたしの抱えた剣を気まずそうにちらりと見た。

「あの双剣は天を射る矢(アルトスク)がいくらでも出すって言うから言い値で買わせた商品なんだ。それなのにそれを身に着けてた奴が死んでた奴と同じ顔してたら誰だって焦るだろ。生霊でも現れたのかと思うじゃねえかっ……!」
「んー、確かに死んだと思ってた人間とそっくりな人間が突然現れたら自分を恨みにきたと勘違いしても仕方ないかもねえ」
「だろ! アンタもそう思うよな」
「まーねー、気持ちは分からなくもないわ」

 でもねぇ。
 レイヴンさんはそう言って意味ありげに視線をずらす。違和感を抱いたわたしはそれを目で追いかけてぎょっと見開いた。地面に広がる魔法陣。気付けばリタちゃんが今にも魔術を発動させようとしていた。こめかみには綺麗な青筋を立てている。

「だからってアズサを怪我させていい理由にはならないのよ……!」
「ひっ、た、助けてくれ!」
「リ、リタちゃんっ、落ち着いて! わたし怪我してないから、大丈夫だから」
「ぶっとべ! ストーンブラストっ!」

 あー……間に合わなかった。
 わたしは頭を抱える。足元にはまともにリタちゃんの攻撃をくらった男が意識を失って伸びていた。確かに刃を向けられたのは事実だけど怪我を負ったわけでもないし、そこまで制裁を受ける必要はなかったのではないだろうか……。おずおずとリタちゃんに尋ねてみたけれど、そもそも悪い商売してるこいつが悪い、と一刀両断されてしまった。結局、男はアスピオ経由で騎士団に突き出されるらしい。ただ話を聞きたかっただけなのになんだか申し訳ないような気もする。これで良かったのだろうか、と兵士に連れていかれる男の背中を見つめながら悩むわたしの肩をユーリさんが叩く。

「別にアズサはなにもしてないんだからあんまり気にすぎんなよ」

 心なしか晴れやかな笑みを向けてくるユーリさんにわたしは苦笑するしかなかった。
 後になって考えてみれば、最初に違う場所で話そうと言い出したのはユーリさんではなかっただろうか。こうなる展開が読めていたのだとしたら、やっぱり頭の良い人だなと思ったしこの人を怒らせてはいけないなと改めて思った。


top