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「ここがエゴソーの森、クリティア族の聖地よ」

 ジュディスさんに案内されてやってきたエゴソーの森。以前訪れたケーブ・モック大森林に比べると本当にのどかな森というのが最初の印象だった。ピクニックとかできたら楽しいかもしれない。開けた土地もあるし、大きくはないが山もある。山頂で食べるサンドイッチはさぞおいしく感じられるだろう。
 でも、実際にピクニックをするためにはやらなければならないことがある。わたしは山の頂上付近にあるこの場に不釣り合いな異物を見上げて眉を潜めた。

「……あれだな、謎の集団が持ち込んだ魔導器(ブラスティア)ってのは」
「兵装魔導器(ホブローブラスティア)じゃない……」
「大きいですね……」

 発射口のついた巨大な装置。どうやらあれも魔導器らしい。どのように使うのかリタちゃんに聞いてみたところ、広範囲に攻撃ができる武器なのだと教えてくれた。おそらく大砲のようなものなのだろう。あれを持ち込んだ人たちを追い払うのがミョルゾへの行き方を教えてくれたトートさんとの約束だった。よくよく目を凝らすと兵装魔導器の周りで動く小さな人影が見える。あれが例の謎の集団なのだろう。彼らは一体何の為に魔導器をエゴソーの森に持ち込んだのだろうか。そもそも彼らは何者なのだろうか。詳しい話が分からない以上、近くまで行って調べるしかない。まずは山を登ってみようという話になった。
 それぞれが山に向かって歩き始める中、一人だけその場から動こうとしない人物を見かけてわたしは足を止める。大きな海賊帽に隠れて表情は良く見えなかったが、いつもより元気がないのは明らかだった。

(パティちゃん……)

 鐘を探すために訪れた赤い花の咲く岸辺。その洞窟の中で見つけたのは目的の鐘とそれから――おびただしい数のお墓だった。墓石にはブラックホープ号の被害者であることが示されており、それはつまりアイフリード……パティちゃんのおじいさんが殺した人たちのお墓で。あれを見てからというもの彼女の表情はずっと暗い。一度は迷惑をかけたくないからと別れを告げようとした時もあった。いつも笑顔なパティちゃんがずっと暗い顔をしているのは見ていて心苦しい。けれど声をかけようにもどんな風に声をかければ良いのか分からなくなってしまって、結局見守ることしかできなくて。わたしはきゅっと唇を引き結ぶ。

「船で休んでるか?」
「……行く、のじゃ……」

 とぼとぼと歩き出す小さな背中。洞窟の中で見た光景は目を背けたくなるような悲惨なものだった。簡単に忘れられるわけがない。それが信じたくないことなら尚更だろう。わたしよりずっと小柄な身体で抱えるにはあまりにも現実が大きすぎた。同じようにパティちゃんの後ろ姿を見つめるユーリさんにそっと問いかける。

「パティちゃん……大丈夫でしょうか」
「あいつの中で答えが見つかるまでは見守るしかないだろうな」
「そうですね。分かってはいるんですけど……やっぱり心配ですね」
「…………」
「ユーリさん……?」

 急に無言になったユーリさんの横顔を見上げる。でも彼がわたしの問いかけに答えることはなく、なんでもないとでも言うように頭を振った。

「オレたちも行こうぜ」

 エステルちゃんたちに追いついてから少しするとさっそく噂の集団に引き止められる。その姿を見て思わず目を見張った。いかにも重たそうな甲冑に見覚えのある紋章。騎士団がどうしてこんなところにいるのだろう。しかもレイヴンさんが言うに、彼らは親衛隊と呼ばれる騎士団長直属のエリート部隊らしい。騎士団長って確かヘリオードで会ったフレンさんの上司、だったはず。ということはあの人もこのエゴソーの森にいるのだろうか。

「んー、その可能性は低いと思うなあ」
「え、でも、親衛隊ってその人の身辺警護が仕事じゃないんですか?」

 自分の身長よりも長い棍をバラバラに分解しながらわたしはレイヴンさんに問いかける。やはり使い慣れているからなのか魔術の詠唱は棍の方がやりやすい。手を頭の後ろで組んだレイヴンさんの足元には気絶した親衛隊の一人が地面に転がっていた。いきなり襲い掛かってきたから仕方なくこちらも応戦したが、ユーリさんたちの手にかかればあっさりとついてしまった勝敗。だが、さっきの戦闘は山の頂上付近にいる騎士団にも伝わってしまったようでなんだか頭上が騒がしい。本当に彼らは何をしているんだろう?

「確かにそれも親衛隊の大事な仕事なんだけど、どっちかっていうとこいつらは騎士団長の雑用係ってところかな。そもそもこんな辺鄙な土地に騎士団長が来てることの方が考えにくいからねえ」

 そう言うとレイヴンさんはおもむろにその場にしゃがみこんで騎士団の甲冑をつんつんとつつき始める。ぴくりとも反応しないところを見ると完全に意識を失っているらしい。ユーリさんの拳が見事に鳩尾に入ってからなあ。あれはすごく痛そうだった。

「レイヴンさん、騎士団の事情に詳しいんですね。もしかして騎士団長さんとお知合いとかなんですか?」

 ドンの右腕ともなれば騎士団との繋がりもあるものなのだろうか。それともその辺りの事情に詳しい人が知り合いにいるとか。何気なく尋ねた質問にレイヴンさんは肯定も否定もしなかった。つついていた指を止めその手を顎に添える。そしてただいつものように笑うだけ。微妙な沈黙の時間に違和感を感じたわたしは口を開く。何かまずいことでも聞いてしまったのだろうかと聞こうとしたその時、エステルちゃんの切羽詰まった声が耳に届いた。

「危ない……!」

 視界の端で綺麗に切り揃えられた桃色の髪が駆け抜けてゆく。それと頭上で眩い光が現れたのはほぼ同じタイミングだった。突然の眩しさに咄嗟に目を瞑って腕で顔を覆う。

(なに……!?)
「エステル……!」

 おそるおそる瞼を持ち上げればリタちゃんが慌てたようにエステルちゃんに駆け寄り身体に異常がないか調べているようだった。それにしても一体何が起こったのだろう。現状が理解できなくて目を白黒させているとわたしと同じようにぽかんとした表情で立ち尽くしていたカロルくんがゆっくりと口を開いた。

「……今、何、したの?」
「ヘリオードでやったのと同じ……! エステルの力が、エアルを制御して分解したのよ! あんたまたそんな無理して……」
「ご、ごめんなさい、みんなが危ないと思ったら、力が勝手に……!」
「力が無意識に感情と反応するようになり始めてるんだわ……」
「さっきの攻撃、あれの仕業よね。あたしたちを狙い撃ちしてきた」

 攻撃……? リタちゃんの視線を追いかけるようにして頭上を見上げる。するとさっきまで上空を向いていたはずの兵装魔導器の発射口が間違いなくわたしたちに向けられていて背筋に冷たいものが走った。もしかしてさっきの眩しい光の正体は騎士団の攻撃で、それをエステルちゃんが守ってくれたってことなのだろうか。だって兵装魔導器は広範囲に攻撃ができる魔導器だとリタちゃんが言っていた。あんなの、人間がまともに受ければ――確実に死んでいた。

「要するにあの魔導器をなんとかすりゃいいってこった」
「そういうことね」
「あの魔導器使ってる奴ら、ボコってやる」
「……そうですね、ボコボコにしてやりましょう」

 一瞬、しんと静まりかえる空間。えっと、と戸惑いながらカロルくんがわたしの顔を覗き込んだ。

「アズサ、今、なんて言ったの……?」

 信じられないような騎士団の行動にふつふつと湧き上がってきた怒りの感情。なんとか抑えられたら良かったのだけど、口を開いたらもう押さえつけることは出来なかった。

「だって今の攻撃、もしエステルちゃんが守ってくれなかったら確実に当たってましたよ? さっきの騎士たちだって先に手を出してきたのはあっちの方ですっ。それなのにあんな大型の武器を無抵抗の人間に向けるなんて……ありえません! いくら騎士団長さんの直属の部下だからってやっていいことと悪いことがあります!」

 あんなのただの職権乱用じゃないですか!
 自分でも驚くくらいに感情が爆発している。エステルちゃんやリタちゃんが信じられないようなものを見る目でこちらを見ているのは分かっていた。こんなに怒りの感情を表に出したのは久しぶりかもしれない。だけど、今のはどうしても許せなかった。下手をすれば命にかかわる大事なことだ。ありえない、本っ当にありえない! ぶつぶつと何度も呟くわたしを見てみんなはびっくりした顔をしていたけれど唯一、ユーリさんはからからと楽しそうに笑っていた。

「ははっ、アズサの言うとおりだな。よし行こう。なるべく目立たないようにな」


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