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「ふきゃん!」

 ドンっ! という人がぶつかったような鈍い音と一緒に聞こえたパティちゃんの驚く声。急いで背後を振り返ると尻もちをついたパティちゃんの向こう側に走り去る魔導器(ブラスティア)研究員の後ろ姿が見えた。どうやらユーリさんたちが目を離している隙を見て逃げ出したらしい。しかもなんて逃げ足の速いこと。研究員の行動に呆気にとられたが、すぐに意識を戻してパティちゃんに駆け寄る。一見して大きな怪我はしてなさそうだったけれど当たり所が悪かったら大変だ。それでなくても今のパティちゃんは本調子ではないのに。

「大丈夫、パティちゃん? 怪我してない?」
「平気、なのじゃ。でも……」

 彼女の視線は申し訳なさそうに逃げていった研究員の方に向けられる。兵装魔導器(ホブローブラスティア)を制御するためのパスワードを知っているのは彼しかいない。取り逃がしてしまったとなると魔導器の操作は難しくなるとリタちゃんの言葉が脳裏を過ぎる。最初に砲撃された時はエステルちゃんが庇ってくれたけれど、もしさっきのような攻撃を何回もされてしまったらいくら命があっても足りない。

「リタ姐……すまないのじゃ……逃がしてしまったのじゃ」
「……いいわ、ここはあたしがなんとかするから」
「え……でも簡単じゃないって」

 わたしはパティちゃんを助け起こしながらカロルくんたちを見守る。兵装魔導器の発射口は今こそ光を失っているが操作パネルは淡い輝きを帯びながら空中を漂っている。兵装魔導器自体はまだ稼働しているということだ。あのままだと蹴散らした騎士団が戻ってきたらまたすぐに使われてしまうだろう。リタちゃんの中で何か策でもあるのだろうか。

「騎士団さえいなくなりゃ、そんなに慌てる必要もないでしょ。それに、あたしを誰だと思ってんの? 天才魔導士リタ・モルディオ様よ? 魔導器相手なら死ぬ気でやるわよ」

 その勝気な笑みを浮かべる横顔がなんとも頼もしい。おお、と感嘆の声が思わず零れた。

「リタちゃん、かっこいい……!」
「あら、アズサの棍捌きも十分素敵だったわ」

 ぎくり。背後から聞こえた称賛の声にわたしは肩を震わせる。ゆっくりと背後を振り返るとジュディスさんが妖艶な微笑みでこちらを見つめていた。細められた切れ長の瞳は心の中を覗き込まれているようで。わたしは後ろで手を組みながらやんわりと笑う。

「あれは……つい、夢中でしたので」

 どうしても騎士団の卑怯な一手が許せなかった。軽い苛立ちを覚えながら兵装魔導器を動かす騎士団と対峙した時に、つい、うっかり、身体が動いてしまったのだ。今になって考えてみれば胸の武醒魔導器(ボーディブラスティア)が常に輝いていたような気もする。問答無用で斬りかかってきた騎士を棍で瞬く間に返り討ちにしていた。ただ、一打で騎士を気絶させてしまったのは少しまずかったかもしれない。ジュディスさんが怪しむのも無理はないだろう。時々、ひとりでに動き出すこの"躰"のことをわたしはまだ彼女たちに話していないから。
 騎士団が戻ってきても簡単に操作されないようにリタちゃんは兵装魔導器に細工を施した。そして、わたしたちは別の山の上にあるもうひとつの兵装魔導器に向かって移動する。実は兵装魔導器は一台だけではなかったのだ。そちらの魔導器からも光線を放たれ、ユーリさんが剣で防ごうとして吹き飛ばされてしまった。わたしはユーリさんたちの背中を追いかけながら今しがた光線が飛んできた方向を見上げる。銃口が明らかに移動するわたしたちに合わせて動いているのに気づいてしまいぞわりと背筋を凍らせた。騎士団が本気で敵意を向けている証拠だ。ごくりと生唾を呑みこんで動かす足を速めた。

***

「あの魔導器、なんか変な音してるよ」

 カロルくんの声に頭上を見上げて耳を澄ませてみると確かに兵装魔導器が妙な音が聞こえる。モーターが回っているような低い音。

「エアルを充填してんのよ。後もう少しは大丈夫。撃ってこられないわ」

 リタちゃんが言うのなら間違いないだろう。あんな肝を冷やすような体験は二度としたくない。内心、安堵の息を吐いていると兵装魔導器とは違う音を耳が拾った。たくさんの足音と、それからがちゃがちゃと金属同士がぶつかる音。気のせいではないと確信を得たのは足元にいたラピードが低く唸り始めたからだ。わたしはそろりと棍に手を伸ばす。

「さっさと足元にもぐりこめば、敵さんも手の出しようはないみたいね」
「そうも言ってられないんじゃなくて?」

 そして、疑問は確信に変わる。

「親衛隊だ!」
「向こうからも……」
「挟み撃ち!?」

 前と後ろの両方からたくさんの騎士たちが武器を携えわたしたちを取り囲む。戦いの場としては不向きな山道の真ん中。ここで騎士団は一気に畳みかけるつもりなのだろう。更に時間さえ稼げれば兵装魔導器も使える。わたしたちにとっては非常に不利な状況だ。棍を握る手に自然と力がこもった。
 最初に騎士団と対峙した時でもそれなりに人数はいたはずなのに、まだこれだけの人数を抱えていたことに驚く。普段のわたしなら圧倒的な人数の差に怯えていたかもしれない。けれど、今のわたしはさっきの戦いで消化しきれなかった怒りがまだ胸の中に僅かながら残っていた。じわりじわりと武醒魔導器が赤く燃え上がる。

「負けません……!」
「こりゃ、踏ん張っていかねぇとな!」

 戦闘が始まる。まずは先陣をきって駆け出していくラピード。その後にわたしの背後からレイヴンさんの矢が飛んでいき一人の騎士の腕を掠めた。後ろから迫ってきた騎士を対応するのはわたしとラピードとレイヴンさん、そしてパティちゃんの四人。まずは圧倒的に多い敵の数を減らなければ。少しでも詠唱時間を確保するため、レイヴンさんの後方に立ち棍を構える。

「レイヴンさんっ、すみませんが少しだけ時間稼ぎをお願いします」
「了解!」

 くるりと棍を回せば地面に魔法陣が浮かび上がる。色は青。そして、頭の中でイメージを膨らませる。上空から滝のごとく降り注ぐ水。その場に立っているのもままならず流されてしまう程の。
 水属性の魔術ならきっとできるはず。わたしは詠唱を唇に乗せる。

「――穢れなき汝の清浄を彼の者に与えん……スプラッシュ!」

 空に現れた幾つもの水瓶。同時にひっくり返ったそれはイメージ通りに騎士たちを直撃した。場所が坂道だったこともあり、勢いを増した水流は騎士たちの足元を攫う。激流に耐え切れなくなった騎士たちが何人も押し流されていった。これでそれなりに敵の数は減らせたはず。よし、と心の中で小さくガッツポーズをしているとユーリさんの鋭い声が鼓膜を揺らした。

「アズサ!」

 ぴりっと肌に緊張感が走る。反射的に後ろを振り返って棍を横に構えた。がちん、と剣のぶつかる音と手のひらに伝わるびりびりとした感触。切っ先が微かに髪に触れ、数本はらりと零れ落ちた。相手は自分よりも圧倒的に力がある。少しでも力を緩めてしまえば無傷ではすまない。じわじわと顔に近づいてくる剣を必死に棍で抵抗した。

「っ……!」
「蒼破刃っ!」

 鋭利な刃先が顔に触れる直前、ユーリさんの剣技が騎士の真横に当たって吹っ飛んでいく。突然抗っていた力がなくなったわたしは勢い余ってうわっと声を上げながら前につんのめった。棍で支えるにも間に合わない。せめて地面と顔の正面衝突だけでも避けられないかと手を伸ばしかけたその時、お腹の周りを逞しい腕に支えられた。ぶらんと宙に垂れ下がる二本の腕。自分の置かれた状況が分からずにぽかんとするわたしの頭上で誰かが小さく溜息を零した。

「あんまり無茶するとまたリタに怒られるぞ」
「……すみません。つい、夢中で」

 ――なんだかさっきも同じような言い訳を言ったような気がするなあ。苦笑交じりでそろりと肩越しに見やるとユーリさんが呆れたように笑っていた。
 確かにリタちゃんに怒られるのは避けたい。それからはユーリさんに言われた通りに後方支援に集中した。まずはバリアーを張って身を守る。わたしには治癒術が効かない。それを知ったのはつい最近のことで、リタちゃん曰く"魂"と"躰"が一致していないからだと言われた。だから戦闘においてわたしが何よりも重要視しなければいけないのはとにかく怪我をしないこと。それがユーリさんたちが思いっきり戦える要因に繋がっていく。もちろん、相手に隙を見つければこちらから攻撃も仕掛けていった。無理をしない範囲で。山頂から弓を構えた騎士を見つけたわたしは短い詠唱でファイアーボールを放つ。威力は低いものの徐々に加速した火の弾は勢いを保ったまま数十メートル離れた騎士に直撃した。

「おっ! アズサちゃんナイスコントロール」
「ありがとうございます、レイヴンさん」

 魔術を教わった最初の頃に比べれば随分と扱えるようになってきた気がする。わたしの場合、属性によってあまりにも威力のばらつきがあるからまだ下級魔術しか教えられてないけれど。それでも強くイメージすれば比較的思い通りに扱える魔術の方が性に合っているのかもしれない。体術は直に攻撃しなければならないから――やっぱりあまり慣れないのだ。棍から直接手のひらに伝わってくるあの感触が。
 だけど、咄嗟に動いてしまうのはやはり"躰"の方で自然と棍に手が伸びてしまう。もしかしてこちらの世界にいたわたしは身体を動かすことの方が得意だったのだろうか。そんなことを考えているとじんわりと武醒魔導器が再び熱を帯びる。パティちゃんの背後で剣を振り上げる騎士を見つけた瞬間、駆け出したわたしの身体は棍で騎士を吹っ飛ばしていた。


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