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「ホントに勝手に入っていいんでしょうか?」

 長老の屋敷に足を踏み入れてそれなりの時間が経とうとしている。わたしはちらりと屋敷の入り口を見たが、人がやってくる気配は感じられない。流石に不安になってきたのだろう。戸惑うエステルちゃんとは対照的にリタちゃんはふんと鼻を鳴らした。

「本人が入って待ってろって言ったんだから良いでしょ」
「まあ……確かに」

 だからと言って、途中で切り上げずに日課の散歩をこなす長老もなかなかの人物だと思うが。
 広場で会った長老は魔導器について知りたいというと、家にうってつけのものがあるからと言って屋敷に入る許可をくれた。窓もなく太陽の光も差し込まない部屋にはぼんやりと明かりが灯っているだけ。ミョルゾは魔導器(ブラスティア)発祥の土地だ。普通なら光を灯す魔導器を使っていそうなところだが、実際に部屋を照らしているのはごく普通の蝋燭だった。わたしはゆらゆらと揺れる炎を見つめて眉間に皺を寄せる。

(魔導器を捨てた、か──)

 長老が広場で教えてくれたのはかなり驚く内容だった。魔核(コア)は聖核(アパティア)を砕いたもの。そして、聖核は始祖の隷長(エンテレケイア)の命そのもの。魔導器は魔核がなければ使えない。つまり……この世界で稼働している魔導器の全てが始祖の隷長の命によって生かされていたものだった。フェローがあれだけ魔導器を嫌っていたのも当然の話だ。

「ただいま」

 ようやく日課の散歩から戻ってきた長老。ジュディスさんが言っていた通り、本当にクリティア族はマイペースな人が多いようだ。リタちゃんなんて待ちくたびれて苛立ちが分かりやすく顔に現れてしまっているというのに。そんな彼女の様子を見ても特に気にする様子もなく長老はのんびりと屋敷に足を踏み入れる。

「待たせたの。それじゃ、その奥に行くとよい」

 長老に案内されて屋敷の壁の前に集まったわたしたち。ここに何があると言うのだろうか。見たところ何も描かれていないただの壁だが。わたしは隣に立っていたエステルちゃんと互いに目を合わせながら首を傾げる。視線を前に戻してもう一度目を凝らして壁を見つめてみるが、やっぱりただの壁にしか見えなかった。

「これこそがミョルゾに伝わる伝承を表すものなのじゃよ」
「でも、ただの壁だぜ?」
「ジュディスよ、ナギークで壁に触れながら、こう唱えるのじゃ。……霧のまにまに浮かぶ夢の都、それが現実の続き」
「霧のまにまに浮かぶ夢の都、それが現実の続き……?」

 半信半疑といった様子でジュディスさんが長老の言葉を繰り返す。すると壁が一瞬ちかっと光ったかと思ったら瞬く間にそれは壁全体に広がっていき、気付けば一枚の巨大な壁画が浮かび上がっていた。まるで魔法みたいだ。わたしたちは壁画に釘付けになった。
 一番目立つのは禍々しい太陽のような化け物に向かっていく人と魔物の絵。他にも大きな扉や何かの装置みたいな絵も描かれている。一体、これらの絵が持つ意味とはなんなのだろうか。悶々と考えているとジュディスさんが自分の能力を使って壁画に隠された文字を読み上げてくれる。ゲライオスだとか賢人だとか、時々分からない単語も出てきたけれど、それでもわたしにもなんとなく理解はできた。やはり過去にも魔導器によるエアルの乱れが引き起こされていたらしい。

「エアルの穢れ、嵩じて大いなる災いを招き、我ら怖れもてこれを星喰みと名付けたり」
「星喰み……」
「ここに世のことごとく一丸となりて星喰みに挑み、忌まわしき力を消さんとす」

 エアルの乱れが起きるとやがて星喰みが起こる。始祖の隷長は、フェローは、これを危惧していた。だからエアルを大量に消費してしまう満月の子を世界の毒として消そうとしたのだ。星喰みが起きたら世界がエアルに飲み込まれてしまうから。

(それなら、世界の"歪み"はいつ起きたの……?)

 エアルが乱れれば世界が乱れる。世界の理が崩れてしまう。フェローは間違いなくそう言っていた。そして、始祖の隷長だけで修正しきれなくなれば世界そのものが修正を始める。無理矢理に繋ぎ合わせた綻びから生まれた存在――それがわたしだと。ミョルゾの伝承の中では"歪み"に関する情報はなかった。どういうことなのだろう。過去に世界の"歪み"は起きていなかったのだろうか。

「ジュディ?」

 不思議そうにジュディスさんを呼ぶユーリさんの声にはっと意識を戻す。目を向ければ躊躇うように唇を閉ざすジュディスさんの姿があった。嫌な予感が胸をよぎる。

「……世の祈りを受け満月の子らは命燃え果つ。星喰みは虚空へと消え去れり」
「え……」
「なんだと?」

 ぞわっと冷たい空気が背中をなぞった。命燃え果つ……って、それって。息を呑んだわたしは思わずエステルちゃんに視線を向ける。彼女の顔色は今までに見たことがないくらい青くなっていた。

「かくて世は永らえたり。されど我らは罪を忘れず、ここに世々語り継がん」

 ミョルゾの伝承を素直に受け止めるなら、満月の子は星喰みを阻止するために自らの命を差し出したということになる。そんなの、生贄になったって言っているようなものじゃないか。

「どういうこと!」
「個々の言葉の全部が全部、何を意味しているのかまでは伝わっておらんのじゃ。とにかく魔導器を生み出し、ひとつの文明の滅びを導く事となった我らの祖先は、魔導器を捨て、外界と関わりを断つ道を選んだとされておる」

 人々が多くの魔導器を使ったことで引き起こされた星喰み。その中でも特に大量のエアルを使用してしまう満月の子が人柱になる──決して理屈の通っていない話ではない。だけど、
 勢いよく床を蹴る音がした。反射的に顔を向けると、光が差し込む外に駆け出していくエステルちゃんの姿。カロルくんが名前を呼んだけれど、彼女が振り返ることはなかった。手を伸ばしかけたカロルくんをユーリさんが止める。カロルくんは彼に対して何か言いたげだったが、ぐっと口を閉ざして力の入っていた手を下ろした。わたしはエステルちゃんが消えていった入り口へと目を映す。追いかけたい気持ちはあったが、今のわたしが彼女にどんな言葉をかけられるだろう。わたしたちの関係は非常に複雑だ。ユーリさんの言うとおり、そっとしてあげるのが一番良い気がした。

「ミョルゾに伝わる伝承はこれですべてじゃ」
「ありがとな、じいさん。参考になった」
「ふむ。もっと参考になるどんな料理もおいしくなる幻のきゅうりの話があるのじゃが……」
「結構よ。それと、長老さま。もうひとつ聞きたいことがあるの」
(もうひとつ?)

 ジュディスさんの発言にみんなの注目が集まる。ミョルゾを訪れたのは魔導器について調べる為だ。フェローがエステルちゃんを殺そうとしたのは彼女がエアルの乱れを引き起こす強い要因のひとつだったから。結果は残酷なものとして終わってしまったが。本来の目的は達成されたはずだ。わたしは整った横顔を見つめる。

「"災いの子"って言葉を聞いたことがあるかしら?」

 ぴくりと片眉が反応した。その言葉自体を聞いたことはない。でも、どこか他人事ではないような気がしたのだ。

「災いの子? さあ、聞いたことがないな」
「そう、ありがとう。長老さま」

 エステルちゃんのこともあってジュディスさんが休める場所を借りたいというと、長老は隣の家を使っていいと言ってくれた。誰も使っていない空き家なのだという。提供してくれるのは助かるが、あまりにも警戒心が薄くて少し心配になってくる。これがクリティア族の気質なのだろうか。
 長老の屋敷を出て移動する途中、わたしは歩を早めて先を歩いていたジュディスさんの隣に並んだ。頭一つ分近く高い位置にあるワインレッドの瞳がわたしの存在に気が付いてこちらを見下ろす。なにかしら? と薄い笑みを浮かべてジュディスさんは小首を傾げた。

「さっき長老に聞いていた"災いの子"って」
「以前、私がヘルメス式魔導器を探していた時にフェローが言っていたの。『ついに"災いの子"も生まれてしまった。時は一刻を争う』って」
「そうなんですか……」

 異世界同士の"魂"と"躰"が融合する。フェローはわたしの身に起きた出来事を”災い”と言った。あながちわたしの予想は間違っていないのかもしれない。
 歩きながら視線を下に落とす。足元には魔核が抜かれて機能しなくなった魔導器が無造作に転がっていた。

「やっぱり、わたしのこと……なんですかね」
「長老さまが何か知ってれば良かったのだけど、余計なこと聞かせてしまったわね」
「いえ、そんなことないですよ」

 長老が知らないとなるとやはり以前に世界の"歪み"は起きていなかったのだろうか。それともミョルゾが外との関わりを絶った後に起きている現象ということもある。フェローに直接会って聞ければ良かったが、今後会える保証は今のところない。こればっかりは地道に情報をかき集めていくしかなさそうだ。
 それにしても、"災いの子"か。まるで自分が災いの元凶になっているかのような響きであまり好きにはなれそうにない。


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