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「世界の災い、星喰みかぁ」

 椅子の上で膝を抱え込み、わたしはラピードの背中に手を置いて何度も往復させる。気持ちが落ち込みそうになると不意にぬくもりが欲しくなってしまうのは何故なんだろう。近くに寄ってきてくれたラピードに手が伸びていたのはほとんど無意識に近い。いつもなら嫌がりそうなのにこういう時だけ大人しくしていてくれるからラピードはずるいと思う。それでも今はその優しさが嬉しかった。
 カロルくんがぽつりと呟いたのはそんな時のこと。わたしと反対側の椅子に座っていたカロルくんは背もたれによりかかって途方に暮れるように天井を見上げていた。

「あの伝承からだと前に星喰みが起きたのは、満月の子の力が原因とは言い切れないもんだった」
「けどよ。世の祈りを受け満月の子らは命燃え果つってのは……」
「星喰みの原因の満月の子の命を絶ったことで、危機を回避したとも取れるわ」

 ずきりと胸が痛む。脳裏に蘇るジュディスさんが伝承を読み上げた時のエステルちゃんの表情。屋敷を出ていってからというもの、エステルちゃんが戻ってくる様子はない。

「で、でもさ、ボクたちが、確実に原因になってるヘルメス式魔導器(ブラスティア)を止めれば良いんだよね……?」
「ヘルメス式だけじゃないかもな。あの伝承からすると、すべての魔導器がエアルを乱してるって感じだった」

 違うか、リタ?
 膝を抱えて床に座り込んでいたリタちゃんの肩がピクリと揺れる。わたしが覚えている限り、リタちゃんはここに来てからというもの一言も発していない。長い長い沈黙の後、ようやく彼女は重たく閉ざしていた口を開いた。

「長老、魔導器に普通も特殊もないって言ってた。つまり違うのは術式によって扱うエアルの量の大小のみって事だと思う」
「オレたちが使ってるこいつもか?」
「武醒魔導器(ボーディブラスティア)は特殊だけど、術式によってエアルを用いる以上、どの魔導器も同じよ……。それに術技はどのみちエアルを必要とするもの。多分、ヘルメス式も満月の子も、本質的には危険の一部でしかない。魔導器の数が増え続ければ、遅かれ早かれ星喰みが起こる。始祖の隷長(エンテレケイア)はそれを恐れてるんだわ」

 微かに震えるリタちゃんの声。多分、彼女は誰よりも早く辿り着いてしまっていたのだ。認めたくない真実に。地上にある全ての魔導器が星喰みを引き起こす要因となってしまうことを。
 彼女は押し殺していた感情を爆発させるように声を荒げる。

「認めたくなかった……! 悪いのは魔導器じゃない、悪いことに使ってるヤツが悪いんだって。そう信じてた……でも……違った」
「じゃあ全部の魔導器を止めなきゃダメなの? このミョルゾの人たちみたいに?」
「それじゃ。魔導器全部、捨てればいいのじゃ。船もオールで漕げ、なのじゃ」
「そりゃ無理な話だ。魔導器はもう俺たちの生活には無くてはならないものだぜ。結界魔導器(シルトブラスティア)や水道魔導器(アクエスラスティア)とか……もちろん武醒魔導器も、な」

 レイヴンさんの意見は最もだ。わたしは胸で揺れる滴型のペンダントを見下ろした。この世界の人たちにとって魔導器は既に生活の基盤となっている。安定的な水の供給も、街を守る結界も、闇夜を照らす灯りも、魔導器があるから成立っているのだ。それを全ていきなり無くすというのは難しいだろう。わたしだって今すぐ武醒魔導器を手放せと言われて素直に出来る自信はない。ようやく手に入れた自分の身を守る手段なのだから。

「魔導器を使ってもエアルが消費しなければ良いのだけど……。夢物語なのかしらね」
「リゾマータの公式……」
「リゾマータ……?」

 ぽつりとリタちゃんが零した言葉になんだそれ? とユーリさんが首を傾げる。わたしは向かい合うカロルくんに目配せをしたけれど、彼も聞いたことがないようで眉間に皺を寄せていた。どうやら彼女しか知りえない専門用語らしい。わたしたちはおもむろに立ち上がったリタちゃんの言葉の続きを待った。

「あらゆるものはエアルの昇華、還元、構築、分解により成り立ってるんだけど、そのエアルの仕組み自体に自由に干渉することが可能になるはずの未知の理論が予想されてるの。それを確立するために、世界中の魔導士が追い求めている現代魔導学の最終到達点よ」
「それがリゾマータの公式?」

 仕方のないことだが、わたしはこの手の話に疎い。とにかくリタちゃんの言葉を細かく噛み砕いて自分の分かりやすいように解釈するしかないのだ。今回も同様でわたしにはさっぱり分からなかった。ええと、つまりエアルそのものを再利用できるような……リサイクルみたいなものだろうか。

「確立されれば、エアルの制御は今よりずっと容易になるはず。もちろんエアルから変換された力をまたエアルとして再構成するような未知の術式が必要だけど……。でも現にエステルの力はエアルに直接干渉してる。リゾマータの公式に一番近い存在なのはエステルなのよ。公式でエステルの力に干渉して相殺すればあるいは……」
「なんだかよくわかんねえが、その公式ってのにたどり着けばエステルは安心して生きてけるってことだな?」
「増えすぎたエアルも制御できれば、星喰みを招くこともなくなる理屈ね」

 すごい! すごい! とカロルくんとパティちゃんがはしゃぐ。もしかしたらエステルちゃんが犠牲にならなくて済む方法があるかもしれない。それなのにレイヴンさんだけがやけに冷静に物事を受け止めていた。

「で、その世界中の学者共が見つけられない公式ってのを探すっての? それこそ夢物語でしょ」
「絶対たどり着いてみせるわ。エステルのためにも、あたしのためにも」

 きっと本人なりの決意表明なのだろう。自分に言い聞かせるように呟くリタちゃんに頑張って、と心の中でエールを送っていると不意に彼女がわたしの名前を呼んだ。わたしはラピードの背中に乗せていた手を離す。踵を返してこちらを見つめるリタちゃんの翡翠色の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

「確か、あんたが前にいた世界ってエアルがないって言ってたわよね?」

 なんとなくリタちゃんの言いたいことが分かったような気がした。わたしは瞳を細めて微笑む。

「──うん。エアルじゃないけどエアルに近いものはあったよ」
「今度その話、詳しく聞かせなさい。何かヒントが得られるかもしれないわ」

 わたしはリタちゃんのようにエアルの知識はほとんど無いけれど、その代わりに彼女の知らない技術や科学を知っている。それがどこまで役に立つかは分からないが、少しでも彼女の助けになるのなら……エステルちゃんを救う手立てになるのならいくらでも提供するつもりだ。
 こくりとわたしは頷く。

「リタちゃんの助けになるなら喜んで」
「あれ? どこいくの? レイヴン?」

 不思議そうなカロルくんの声に視線を移すと部屋の扉に向かって歩いていく紫の羽織。足を止めたレイヴンさんは背中越しにひらりと手を振って、散歩よ、と軽い調子で応えた。

「世界を救うとか、魔導学の最高到達点とか、話が壮大すぎて、おっさん、ちっとついていけないわ」

 パタンと閉まった扉。ユーリさんたちは特に気に止めることも無く話を再開させていたけれど、わたしはそのまま扉をじいっと見つめていた。なんとなくだけど、レイヴンさんの様子が気になってしまって。いつものレイヴンさんらしくないというか。それに、まだ戻ってこないエステルちゃんのことも心配だった。声はかけられないかもしれないが、せめて無事な姿だけでも確認しておきたい。
 ユーリさんたちがこっちを見ていないのを確認してそろりと腰を浮かす。気付かれたら止められそうな気がしたのだ。すると足元にすり寄ってくる温かいぬくもり。勝手に行動するなと言ってるのだろうか。本当にラピードはよく気づく。わたしはゆるりと口元を緩めてラピードの背中に触れる。

「大丈夫。ちょっとだけ様子を見てくるだけだから」

 ひそひそと内緒話をするように小さな声で。わたしはポンポンと背中を軽く叩くといよいよ扉に向かって息を殺して移動する。ラピードはそれ以上わたしを追いかけてくることはなかった。

「アズサ? どうした?」

 ユーリさんがわたしの行動に気がついたのはわたしが素でにドアノブに手をかけた時の頃。闇夜を取り込んだ瞳を見てはぐらかすように笑う。

「すみません、わたしもちょっと出かけてきます。すぐ戻りますので」
「待て、アズサっ」

 背後でユーリさんの引き止める声が聞こえたけど、聞こえなかったふりをしてわたしは部屋を飛び出した。


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