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 幸いにもミョルゾはさほど大きな街でもない。広場にはエステルちゃんの姿もレイヴンさんの姿も見当たらなかったが、捜し回っていればそのうち見つかるだろう。わたしは目に留まった道を小走りで進んでいった。けれど、簡単には二人を見つけることができなかった。
 ミョルゾの入り口に歩いていく女の子の人影を見たという情報をようやく街の人からもらい急いで向かう。あそこにはバウルがいるはずだ。もしかしたらエステルちゃんは一足早くフィエルティア号に乗り込んだのかもしれない。それならどれだけ街を探しても見つからないはずだ。息を切らしながら辿り着いたミョルゾの入り口。いかにも重たそうな扉に手をかけた時のことだった。わたしは違和感を感じて目を凝らす。

(誰かいる……?)

 微かに開いた扉の隙間から見えた桃色の髪。それが何を意味しているか察したわたしは全身で扉をこじ開け、転がり込むように倒れたエステルちゃんに駆け寄った。

「エステルちゃんっ!」

 身体を揺すってみるがエステルちゃんの瞳は開かない。嫌な予感が過ぎったが、ほんの少しだけ残っていた理性がわたしの震える手を彼女の手首に導く。指先から感じる確かな脈拍は彼女が生きていることを証明していた。大丈夫、息はある。どうやら意識を失っているだけのようだった。わたしはひとまず安堵の息を吐く。

(でも、なんでこんな場所で……)

 考え込みそうになる頭をふるふると振って思考を断つ。考えるのは後だ。まずはユーリさんたちに今の状況を説明しなければならない。わたしはぐっと唇を噛む。こんなことになるならラピードに着いてきてもらえば良かった。歯がゆい思いでわたしはエステルちゃんの腕や顔に触れた。見たところ、外傷も見当たらない。とりあえず大きな怪我とかもなさそうだ。
 ユーリさんたちを呼んでくるまでどこか安全な場所に移動させてあげたいところだけど、わたし一人でエステルちゃんを抱えて歩くのは難しい。大声で叫んだら誰が気が付いてくれるだろうか。でも、基本的にミョルゾを出ないクリティア族が街の入り口にやってくる可能性は低い。一瞬大きな魔術を発動させることも考えたが、万が一コントロールを間違えてミョルゾを守っている始祖の隷長(エンテレケイア)に当たったりでもしたら大変だ。街の人たちにも迷惑をかけてしまう。

(どうしよう……)

 このままエステルちゃんを置いていくわけにはいかない。だけど、誰かに助けを求めに行くこともできない。
 八方ふさがりの状態にわたしは身動きが取れなくなってしまっていた。混乱と不安が入り混じってじわりと視界が滲む。目を覚まさないエステルちゃんの頬に手を触れた時のことだった。突然、背後に人の気配を感じて勢いよく振り返る。ずっと探していた紫色の羽織が視界に映り目を見張った。

「レイヴンさん……っ!」

 良かった、これでユーリさんたちを呼びに行ける。わたしは藁にも縋る思いでレイヴンさんに駆け寄った。

「大変なんですっ。エステルちゃん探してたらここで倒れてて、わたし、助けを呼ばなくちゃって思ったんですけどエステルちゃん置いていくわけにもいかなくて」
「……」
「レイヴンさん、わたしユーリさんたちを呼んできますのでここでエステルちゃんと待っていてもらえませんか?」
「……」
「レイヴンさん……?」

 どうして返事をしてくれないんだろう。わたしは唇を真一文字に引き結んだレイヴンさんを見上げる。それどころか倒れたエステルちゃんを見ても眉ひとつ動かさない。様子のおかしいレイヴンさんを前にわたしは困惑していた。
どくんどくんと心臓が大きく跳ねる。わたしは一歩、一歩、と無意識に足を引く。けれど、そのたびにレイヴンさんが歩を進めて距離を詰めてきた。次第に縮まっていく距離。歩幅が違うのだから当然のことだった。あっという間にわたしとレイヴンさんの距離は手を伸ばせばすぐ届くところまで迫っていた。氷のように冷たい瞳がこちらを見下ろしている。目の前にいるレイヴンさんは本当にわたしの知っているレイヴンさんなんだろうか。密かに息を呑んだ。

「──あーあ、なんでアズサちゃん来ちゃったかなあ」
「どういう、意味ですか……」

 声が、震える。わたしはきゅっと胸のペンダントを握りしめた。いつも楽しそうに細めているはずの切れ長の瞳は光が見えず心なしか濁って見える。ぞわりと背中に冷たいものが走った。

「アズサちゃんいい子だし、おっさん的にはあんまり巻き込みたくなかったんだけど、」
「っ……!」

 咄嗟に身を引こうとした時には遅い。突然、ぐんっと腕が引っ張られて前に傾く身体。首元に鋭い痛みが走って全身の力が抜けていく。そのままレイヴンさんの胸元に倒れ込んだ。遠のく意識の中で微かに感じる肩に置かれた手のぬくもり。 

「ごめんね」

 耳元で聞こえたレイヴンさんの苦し気な声。どうして、という呟きは空気に紛れてわたしは意識を手放した。

***

「ん……」

 ほんのりと鼻腔をくすぐる草の匂い。ゆっくりと瞼を持ち上げると霞んだ視界に緑色が広がる。おかしい、ミョルゾの街に植物はほとんど生えていなかったはずなのに。ぼんやりとしたまま風に揺れる草を見つめる。

「目は覚めたかな」

 どこかで聞いたことのある声だった。ハッと意識を覚醒させてわたしは首を持ち上げる。血のような真紅の瞳に艶やかな白い髪。どこかで見覚えのある顔にわたしは記憶を巡らせる。彼の手には宙に浮かび上がる不思議な石があった。そして、その隣にあったものにわたしは思わず目を見張る。

「っ、エステルちゃん!」

 そうだ、思い出した。ヘリオードで会った人だ。フレンさんの上司で名前は確か、アレクセイ。
 彼の隣には気味の悪い色をした球体の中に閉じ込められたエステルちゃんがいた。意識を失っているのかぐったりとしている。咄嗟に立ち上がろうとしたが手を動かせなくて再び顔を地面にこすりつけてしまった。口の中に草が入って顔をしかめる。肩越しに後ろを見たら両手を縄で縛られていた。自由だった足と上半身を使ってなんとか起き上がる。駆け寄ろうとしたがアレクセイの傍に控えていた騎士たちに行く手を阻まれてしまった。

「エステルちゃん! ねえ起きてっ、エステルちゃん!」

 必死にエステルちゃんに呼びかけるが彼女の瞼は開かない。時々、球体がバチバチと火花のようなものを散らすと苦しそうに表情を曇らせた。悲痛な声が彼女の唇から漏れる。

(何が、起こってるの)

 エステルちゃんを探してたらミョルゾの入り口で彼女が倒れていて、助けを呼べずに困っていたらレイヴンさんが来てくれて。だけど、レイヴンさんに気絶させられて気が付いたらここにいた。そもそもここはどこなのだろう。奥にそびえたつのは神殿だろうか。それに、レイヴンさんの姿も見当たらない。周りにいるのはアレクセイの配下の騎士たちだけだった。
 限られた情報の中で必死に思考を巡らせる。おそらく、ユーリさんたちはここにはいない。わたしとエステルちゃんは何らかの理由で攫われてしまったのだ。そしてエステルちゃんは謎の球体に捕らえられ、わたしは自由の身を奪われている。不安に駆られる身体を奮い立たせ、わたしは目の前でにやりと笑うアレクセイを睨みつけた。

「……エステルちゃんを放してください」
「それはできない相談だ。姫にはこれから存分に働いてもらわねば」

 働くってどういう意味? エステルちゃんを守る立場のはずの人間がどうして彼女を攫う必要があるのだ。そもそもアレクセイの目的はなに?
 分からないことは山ほどあったけれど、目の前でエステルちゃんが苦しんでいるのだ。とにかくエステルちゃんを助けなきゃ。胸元のペンダントが淡く光を放つ。わたしは地面を蹴って騎士から距離をとった。まずは縛られた縄を解かなければ。いくら武醒魔導器(ボーディブラスティア)で身体能力が上がっているとはいえ、縄を引き千切るなんて芸当はわたしにはできない。それなら魔術を使うだけだ。

「──揺らめく焔、猛追」

 相手には聞こえないよう小さな声で唱えた詠唱。指先に小さな炎を生み出して縄にぶつけた。手首に残った燃え炭を軽く払ってわたしは素早く棍を構える。アレクセイは早々に縄を解いたわたしを見ても驚くどころか楽しむかのように口角を持ち上げた。それが逆に不気味でごくりと生唾を呑み込む。自然と棍を握る力が強まった。
 さっきまでわたしを捕まえていた騎士たちも静かに剣を抜く。たった一人で複数の敵と対峙するのはほとんど初めてに近かった。ちらっと見下ろすペンダントはさっきよりもずっと明るい。その灯が今はなによりも心強かった。

(お願い、力を貸して)

 棍を握りしめて勢いよく地面を蹴る。大丈夫、きっと一人じゃないから。


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