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 ユーリさんたちが助けに来てくれた。驚くことにその中にはフレンさんもいて、代わりにとでも言うようにレイヴンさんの姿はない。意識を失う直前のレイヴンさんの言葉が蘇る。やっぱり……そういうことだったのだろうか。受け入れたくない事実にちくんと胸が痛む。
 だけど、今はとにかく目の前のエステルちゃんを救うのが最優先だ。わたしは剣を握りしめて声を張り上げた。

「わたしは大丈夫ですっ。でも、エステルちゃんが……!」
「イエガーめ。雑魚の始末も出来ぬほど腑抜けたか」
「イエガー……?」

 イエガーって、あのイエガー?
 まさか、この男は海凶の爪(リヴァイアサンのつめ)とも繋がっていたというのだろうか。アレクセイの言葉にひっそりと眉を潜める。守るべき存在だったはずのエステルちゃんを利用してまでこの男は何をしようとしているのだろう。

「アレクセイ、あなたは一体、エステリーゼ様に何を……!」
「エステルを返せ!」
「エステル、目を覚まして! エステル!」
「よかろう」
「っ……!」

 にやりと口元を歪めるアレクセイ。彼が何をしようとしているのか分かって咄嗟に手を伸ばしたが──届かなかった。
 目の前で稲光が散る。エステルちゃんの悲鳴と共に襲いかかってくる突風。さっきとは比べ物にならない程、強い風に身体が吹き飛ばされてしまいそうだった。手に持っていた剣を地面に突き立てて懸命に留まる。でも、これはエアルの影響を受けないわたしだからこそ風のみで済んでいるような代物だ。まともにユーリさんたちが受けてしまえばなんて考えたくなかった。
 ようやく肺に入り込んできた新鮮な空気に咳き込みながら瞼を持ち上げる。霞んだ視界に映った傷だらけのユーリさんたちの姿にわたしは言葉を失った。

「このとおり、何の補助もなしに力を使えば姫の生命力が削られる。諸君も姫のことを思うならこれ以上邪魔しないことだな」

 たとえどんな逆境に追い込まれても持ち前の実力で跳ね返してきたユーリさんたち。そんな彼らが全員、地面に倒れ込んでいた。エステルちゃんを閉じ込めた球体が及ぼす影響がいかに凄まじいものかを見せつけられる。わたしは身体の痛みも忘れてユーリさんたちの元に駆け寄った。辛うじてユーリさんとフレンさんは意識があったけれど、それ以外の人たちは必死に声をかけても反応がない。

「大丈夫ですか……っ」
「アレクセイ……!」
「く……そ……」

 アレクセイの持っている石が輝くとエステルちゃんが苦しむ。なんとなく予感はしていたが、実際に仕組みを知ってしまうとただただ怒りが湧いてきた。眦を吊り上げてアレクセイを睨みつけるが、彼はもうわたしたちには見向きもせず騎士を従えて神殿の中へと向かっていく。その傍らには未だに球体に囚われたままのエステルちゃんの姿。追いかけたくてもこのままユーリさんたちを置いていくわけにもいかない。結局、アレクセイの背中が神殿の暗闇に消えていくのを黙って見ていることしかできなかった。
 周辺を見渡すと咲いていた花々がほとんどなくなってしまっている。まるで乱雑に鎌で刈り取られてしまったみたいだった。それだけ鋭い衝撃がユーリさんたちを襲ったのだろう。とりあえず全員の息は確認して息をつく。だけど、彼らが意識を取り戻すまでは身動きが取れない。

(せめて、治癒術を使えたら良かったんだけど……)

 以前に何度かエステルちゃんに教えてもらって治癒術を習得しようとしたのだが上手くできなかった。あの時は仕組みを理解できていなかったからだと勝手に思っていたけど、今になって考えてみればこの体質が関わっていたのだろう。水や火といった物質を利用する攻撃魔術と違って治癒術は直接エアルで干渉する。おそらく、エアルに影響されないのなら同じくエアルで影響を与えることもできないのだ。試しに己の記憶を頼りに治癒術の詠唱をしてみたけれどユーリさんたちに目に見える変化はなくて。一応、自分にも治癒術をかけてみたが同じような結果にしかならなかった。頬の傷は残ったままだし背中もまだずきずきと痛みが残っている。自分の無力さにため息が零れそうだ。

「アズサさん?」

 意気消沈するわたしの背後から突然聞こえた呼び声。この世界でわたしを知っている人なんて両手で足りるほどしかいないはずなのに。のろのろと肩越しに振り返ると見覚えのある姿があった。どうしてここにいるんだろう。わたしはパチパチと瞳を瞬かせる。

「ウィチルさんと、ソディアさん……?」
「やっぱりアズサさんだ! 良かった、無事だったんですね!」

 ウィチルさんは呆けるわたしに駆け寄ると眼鏡の奥で瞳を細めた。けれど、周囲の状況を見て表情を一変させる。真剣な表情で倒れたユーリさんたちの怪我の状態を確認して後からやってきた騎士たちに指示を始めた。そしてウィチルさん自身もフレンさんに治癒術をかけ始める。的確な状況判断はと行動力はフレンさん譲りなのだろう。ぼんやりと見ていることしかできないでいると、今度はソディアさんが真面目な表情でわたしの顔を覗き込む。真剣な眼差しがこちらを捉える。

「ここでなにがあった」
「……実は」

 さっきのウィチルさんの口ぶりからして、おそらくソディアさんはこちらの事情を知っているのだろう。そう思ったわたしはここまでの経緯をソディアさんに説明した。エステルちゃんと一緒に攫われてしまったこと、目を覚ましたらここにいたこと、ユーリさんたちが助けに来てくれたけどアレクセイにやられてしまったこと。ぽつりぽつりと呟くわたしの言葉をソディアさんは黙って聞いてくれた。自分だけアレクセイの攻撃を免れているのを怪しんだりもせず。やがてソディアさんはそうか、と瞳を細める。

「隊長を守ってくれて感謝する」

 ユーリさんたちが意識を取り戻すまでの間、ソディアさんはわたしの傷の手当てをかって出てくれた。頬の傷に手をかざし、桃色の唇が詠唱を紡ぎ出したを見てわたしは慌てて自分の頬を押さえる。ぴくりと不振がるように彼女の片眉が動いた。だけど、治癒術が効かないことをあまり多くの人に知られたくない。わたしは曖昧な笑みを浮かべる。

「えっと、わたし治癒術はちょっと、苦手で……」

 治癒術に得意も苦手もあるんだろうか。自分で言ってても良く分からない。
 苦しい言い訳にソディアさんは何か言いたげな顔をしながらも消毒液と包帯を用意してくれた。背中はぐるぐるに包帯を巻かれ、頬の傷にもぺたりとガーゼを貼られる。ぶつけた背中は既に痣になってしまっているらしい。頬の傷も跡が残らないことを祈るばかりだ。手足の擦り傷に消毒液を塗られひりひりとした痛みに苦い顔を浮かべているとソディアさんは黙って一粒のグミを差し出した。しかも一見するとどんな味なのか全く想像できない紺色。どうやら食べろということらしい。
 この世界でグミというのは嗜好品ではなく、薬のような役割を果たしている。だからグミ一粒でもそれなりにお金がかかる。しかも紺色のグミなんてお店でほとんど見たことがない。きっと高級なものなのではないだろうか。わたしはグミとソディアさんを交互に見る。最初は遠慮していたのだが、ソディアさんの無言の圧力に勝てず受け取ってしまった。

(本当に効果なんてあるのかな)

 疑問には思いながらも食べないわけにはいかない。ソディアさんの視線をひしひしと感じつつ、諦めてえいっと口に放り込んだ。ドキドキしながら勢いよく噛んでみると口の中いっぱいに広がる果実の味。思っていたよりも悪くない。しかも不思議なことに噛めば噛むほど身体の怠さが抜けていく。ただのグミだと思っていたけど、それ以上の効果だ。なんで今まで避けてきていたのだろう。

「ソディアさん、グミってすごいんですね」
「変わったやつだな。お前は」

 呆れ顔のソディアさんから治療を受けた後、わたしは落としたもう片方の剣を探しに向かうことにした。診てくれたウィチルさんの話によればユーリさんたちの怪我はそれほど大きなものではなかったらしい。ユーリさんたちが目を覚ましたらきっとすぐにエステルちゃんの救助に向かう。その時に少しでも自分の身を守れる武器を持っている方が良いだろうと思った。棍はさっきの戦いで折れてしまったから。
 きょろきょろと辺りを見渡しながら剣を探していると木の根元に剣が落ちているのを見つけた。駆け寄って刃こぼれがないかを確かめる。どうやら目に見える傷は見当たらない。ホッと安堵の息を吐きながら腰の鞘に剣をしまった。これで少しは自分の身を守れずはずだ。

(……まだ少し、変な感じ)

 わたしはペンダントを握りしめる。胸の奥でずっと彼女の感情が渦巻いていて落ち着かない。怒り、悲しみ、そして──後悔。きっと無理矢理に彼女を自分の中に閉じ込めたからなのだろう。でもあのまま彼女を表に出しておくわけにはいかなかった。
 エステルちゃんを救う為、アレクセイとの戦いは逃れられない。その時、わたしは彼女を止められるだろうか。仲間の死の真相を知った彼女を。


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