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 ほどなくしてユーリさんたちが目を覚まし、これまでの経緯を説明してくれた。やっぱりわたしとエステルちゃんはミョルゾから連れ去られていたらしい。今、わたしたちがいる場所はヒピオニア大陸のバクティオン神殿。随分と遠い所まで移動させられたみたいだ。
 ユーリさんたちは使用された転送魔導器(キネスブラスティア)のエアルの気配を追いヨームゲンに辿り着いた。だけど実際にいたのはわたしたちではなくアレクセイで、そこでフレンさんとも会ったのだと言う。始まりは下町の水道魔導器(アクエブラスティア)からバルボス、ラゴウのことまで、全てアレクセイが黒幕だったと聞いて驚いた。そこまでして彼は一体、何をしようとしているのだろうか。とにかく追い付かないことには何も始まらない。わたしたちはバクティオン神殿へと足を踏み入れた。
 薄暗い天井に照らされた進めど進めど繰り返される同じ部屋。気を付けないと迷子になってしまいそうだ。迷ってる時間などないというのに。フレンさんが言うには神殿の奥部まで今のような景色が続くだろうとのこと。そこでジュディスさんが用意したのは一枚の紙とペンだった。地図を描きながら進めばいいとカロルくんに渡す。用意周到なジュディスさんにカロルくんは苦笑いを浮かべながらもペンを受け取る。さらさらと器用に描かれていく地図を後ろから眺めていると不意に頬の傷にぬくもりが触れた。ぴくりと肩を跳ねさせながら視線を持ち上げると薄い唇を真一文字に引き結んだユーリさんの姿。長い睫毛に縁どられた瞳が影を作る。

「ユーリさん……?」
「無茶すんなって前にリタに言われただろ」

 戦闘においてわたしの体質は非常に厄介だ。エアルを用いた攻撃は無効化できるが、反対に傷を受けてしまったら簡単には治すことができない。でも、あの戦闘は決して逃れられるものではなかった。逆にあれだけの人数を相手にして頬の傷のみで済んだのだからかなりマシな方だと思っている。でも、リタちゃんにはそうではなかったようでかなり説教をくらった。護身用の棍も折ってしまったから余計なのだろう。しばらくは戦闘に参加するな! と傍にラピードをつけられてしまっている始末だ。

「すみません……つい、必死で」

 わたしは眉を下げて苦い笑みを浮かべた。嘘をついているつもりはない。エステルちゃんを助けたい気持ちは本物だった。
 ユーリさんは頬に触れていた手を頭の上に乗せるとくしゃりと前髪を撫でる。

「ま、よく頑張ったな」

 頭上から降ってきたユーリさんの柔らかい声。正直、怒られるかもと思っていたから予想外の言葉に瞳を瞬かせた。
 頑張った……そっか。頑張ったんだ、わたし。じわりじわりとユーリさんの言葉が胸に広がって染み渡っていく。ふっと口元が緩むのが自分でも分かった。

「……ありがとうございます、ユーリさん」

 カロルくんの地図を頼りに神殿を進んでいるとラピードが突然わたしの服の裾を引っ張る。足を止めると部屋の奥の方から何かの音が聞こえて近くにいたパティちゃんと顔を見合わせた。息を潜めてこっそりと覗き込むと今までの部屋とは明らかに構造の異なる部屋が現れる。カロルくんの地図のお陰で思っていたより迷わずに進めて良かった。
奥に続く部屋を塞ぐように奇妙な赤い光を放つ壁。その前にはアレクセイの親衛隊の姿。おそらくエステルちゃんはあの奥にいるのだろう。リタちゃんがフレンさんに親衛隊を動かせないか小声で尋ねたけれど、彼は首を静かに横に振るだけだった。

「親衛隊は騎士団長の命令にしか従わない」
「どうしますか?」
「時間が惜しい。一気に行くぞ」

 ユーリさんたちの奇襲により親衛隊はあっさりと地面に倒れる。しかし、ここからが問題だった。
 リタちゃんが光の壁を調べると封印結界という博識な彼女でもほとんど知らない古代技術だと分かった。まともに解析してたらどれだけ時間がかかるか分からない、と。厳重な警備が施されたこの奥に何があるというのだろうか。わたしはそっと結界に手を伸ばす。その腕をリタちゃんが急に掴むものだからびっくりして肩が震えた。彼女の顔を見下ろすと形の整った眉が吊り上がっている。

「むやみやたらに体質を晒すなって言ったでしょ」

 最初はどういう意味か分からなかったけど、リタちゃんの"体質"の一言でやっと意味を理解した。いくら古代の技術とはいえ根本はエアルだ。おそらくわたしにこの結界は通用しない。簡単にすり抜けてしまうのだろう。わたしはちらっとユーリさんと話をしているフレンさんを見た。彼にはまだ素性を話せてはいなかった。フレンさんなら話しても問題ないとは思うけど、今がそのタイミングではないのは流石のわたしでも分かる。結界に触れかけた手を静かに下ろした。

「……そうだね、ごめん」
「誰?」

 ジュディスさんの張りつめた声に緊張が走る。カツン、と靴音が背後から聞こえて咄嗟に後ろを振り返った。薄暗い部屋に浮かび上がる艶やかな白い髪。血のような真っ赤な瞳がわたしたちを捉える。確か、最後に会ったのはヨームゲンだっただろうか。帰りたい、とぽろぽろ泣いた記憶が不意に蘇る。

「デューク……なんでここに」
「おまえたちか……あの娘、満月の子はどうした」
「アレクセイがこの奥に連れ去っちゃったんだ!」
「……なるほどな。そういうことか」

 アレクセイに用事があるのかと尋ねるユーリさんにデュークさんはエアルクレーネを収めに来たと答えた。今、エアルクレーネが乱れているのはきっとエステルちゃんの力の影響だ。つまり、デュークさんとわたしたちの目的はほとんど同じだ。アレクセイを止める。だけど、デュークさんの場合は──。詳しい事情を知らないフレンさん以外の人たちの表情がどんどん険しいものに変わっていく。

「はっきり言ったらどう? エステルを殺すって」
「なんだって!?」
「ったくどいつもこいつも。よってたかって小娘ひとりに背負い込ませやがって」

 ユーリさんがデュークさんを鋭い目で睨みつける。ぴりぴりとした空気が周りを覆い始め、わたしは緊張から宙ぶらりんになっていた手のひらを握りしめた。二人の対峙をハラハラと見つめていると、不意にデュークさんの赤い瞳がこちらを捉える。初めて出会った時から変わらないわたしを見つめる無機質な視線。ずっと怖くて怖くて仕方がなかった。

「何故、おまえは満月の子を助けようとする"災いの子"。己を生み出した原因を」

 世界の"歪み"が引き起こされた最大の原因はエアルの乱れ。言い換えればわたしがこの世界にやってきたのはエステルちゃんの力が関係していた。だからデュークさんはヨームゲンで言ったのだろう。わたしを助けようとしてくれたエステルちゃんを見て……皮肉なものだ、と。
 それでも、わたしはエステルちゃんを助けたい。満月の子だとか災いの子だとか関係ない。だって、エステルちゃんは、

「エステルちゃんは……わたしの友達だから」

 彼女はこの世界で初めて出来た友達。困っている友達を助けたいと思って何が悪いのだ。
 わたしはデュークさんをまっすぐ見つめ返す。デュークさんはふと視線を下に落とすと小さな声で何か呟いたけれど、その声がわたしに届くことはなく、再びユーリさんに視線を戻した。今まで何も言い返せていなかった自分にしては上出来なのではないだろうか。内心、安堵の息を吐いていると背後からわたしの名前を呼ぶ声が聞こえて背後を振り返る。そこにはぼんやりとした赤い光に照らされた困惑した表情のフレンさんがいた。

「アズサ、"災いの子"とは君のことなのかい? 君は、一体……」
「えっと、落ち着いたらきちんと説明します」

 ここで説明するには圧倒的に時間が足りない。すみません、と謝るわたしにフレンさんはふるふると黙って首を横に振った。

「分かったよ。今はエステリーゼ様の救出に集中しよう」
「……はいっ」

 義をもってことを成せ。こちらの覚悟を認めてくれたデュークさんはユーリさんに宙の戒典(デインノモス)という剣を渡した。エアルを鎮める力を持っていて、その剣を使えば封印結界も解けるという。どうしてそんな貴重な剣をデュークさんが持っているのだろうか。ユーリさんが問いかけた時、遠くから爆発音が聞こえて小刻みに床が揺れる。きっとアレクセイの仕業だろう。また、エステルちゃんの力が使われてしまったのだろうか。不安が胸を過ぎる。

「始祖の隷長(エンテレケイア)が背負う重荷、それがどれほどのものか、身をもって知るがいい」

 そう言って暗闇に消えてしまったデュークさんの代わりにユーリさんは封印結界の前に立つと宙の戒典を掲げる。彼の周りに光が立ち込め、次の瞬間には入り口の壁はなくなっていた。
 神殿の奥へと進んでいくとさっきまで感じていなかったひんやりとした空気が頬を撫でる。きっとこの先にエステルちゃんはいる、そしてアレクセイも。わたしは静かにペンダントを胸に押し当てる。心の奥に感じたちりっとした熱は気づかないふりをした。


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