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 シュヴァーン隊長は強かった。ユーリさんたちが総出で挑んでも隙の一つすら見せつけない。ユーリさんたちの手の内が分かっているかのように攻撃を避けてカウンターを仕掛けてくる。シュヴァーン隊長の剣の切っ先が誰かを掠めるたびに生きた心地がしなかった。つい昨日まで他愛もないことで笑い合っていたはずなのに。どうしてこうなってしまったのだろうか。
 何度もユーリさんとシュヴァーン隊長の剣がぶつかりあう。そのたびに響き渡る、鋭く、重たい音に胸がぎゅっと締め付けられる思いがした。どっちにも傷ついてほしくなかったが、それではいつまでたっても勝敗は決まらない。やがてユーリさんの一閃がシュヴァーン隊長を直撃し手から剣が滑り落ちる。胸部の鎧が剥がれ、落ち露わになった胸元を見て──わたしは息を呑み込んだ。

「な、に……?」
「ふ……今の一撃でもまだ死ねないとは……因果な体だ……」

 自嘲気味に呟くシュヴァーン隊長の胸元には赤い宝石のようなものが埋め込まれていた。胸に直接、だ。それだけでもかない衝撃的なものなのに、ぼんやりと淡い光を帯びるそれはわたしの胸元に下がる武醒魔導器(ボーディーブラスティア)の魔核(コア)と良く似ていた。もしかして、あれも魔導器なのだろうか。

「な、なによ、これ魔導器(ブラスティア)……胸に埋め込んであるの!?」
「……心臓ね。魔導器が代わりを果たしてる」
(人工の心臓……)
 魔導器が埋め込まれた周りの皮膚からは何本もの血管が浮き出ていてどくん、どくんと脈を打つたびに収縮を繰り返す。
 エアルのこの世界にとって全てのエネルギーの源だ。治癒術というエアルを用いた治療があるのだから魔導器が医療に用いられるのはそれほど不思議な話ではないように思えるが、リタちゃんが驚いているところを見るに用途としてはイレギュラーなものらしい。確かに見た目としてはあまり丁寧な処置とは言えないだろう。わたしはそっとシュヴァーン隊長から目を逸らす。

「……自前のは十年前に亡くした」
「十年前って……人魔戦争?」
「あの戦争でオレは死んだはずだった。だが、アレクセイがこれで生き返らせた」
「生き返らせた……?」
「あの男、そんなことまでしとったのか……」

 次から次へと明らかになっていくアレクセイの悪行。新たな事実の発覚にパティちゃんは苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。ここまでくると流石に嫌悪感を抱かずにはいられない。それだけ彼は非道的な行いをしてきたのだ。そして、シュヴァーン隊長……レイヴンさんもその被害者の一人だった。

「……なら、それもヘルメス式ということ? なぜバウルは気づかなかったの……?」
「多分、こいつがエアルの代わりに、オレの生命力で動いているからだろう」
「……生命力で動く魔導器、そんな……」

 突然、神殿全体が大きく揺れる。何かが派手に爆発したような、そんな揺れ方だった。立っているのも一苦労でわたしはその場に座り込む。ガラガラと何かが崩れる音がして慌てて周りを見渡すと部屋の出入口が瓦礫で塞がれていた。

「大変じゃ! 閉じ込められたのじゃ!」
「……アレクセイだな。生き埋めにするつもりだ」

 生き埋めって、そんなことあり得るのだろうか。ここにはレイヴンさんもいるのに。
 アレクセイは宙の戒典(デインノモス)をこの世から消し去りたい。その為なら自分の駒すら切り捨てる。そういう男だ、とレイヴンさんは特に驚くわけでもなく呟いた。片方だけ見えるエメラルドの瞳が不意に影を作る。

「それでエステル使ってデュークを引き寄せたって訳か。つくづくえげつない野郎だぜ」
「ちょっと、おっさん! なんでそんなに落ち着いてんのよ!」

 天井からパラパラと落ちてくる細かい瓦礫。揺れはますます強くなっていき地面のあちこちに亀裂を作り始めていた。アレクセイは本気でわたしたちを生き埋めにするつもりなのだろう。早く逃げなきゃと慌てだすわたしたちとは正反対にレイヴンさんはやけに落ち着いた様子でその場に座り込んでしまった。えっ、と堪らず声が零れる。

「レイヴンさん……?」
「俺にとってはようやく訪れた終わりだ」
「初めから……ここを生きて出るつもりがなかったのね」
「っ……!」

 たとえアレクセイが生き返らせた命だったとしても、人の生死まで利用していいわけがない。
 このままアレクセイの思い通りになんてしたくなかった。それにレイヴンさんを見殺しになんてできない。説得しないとと思って立ち上がった時には既にユーリさんがレイヴンさんの肩を掴んでいた。

「一人で勝手に終わった気になってんじゃねぇ! オレたちとの旅が全部芝居だったとしてもだ。ドンが死んだときの怒り、あれも演技だってのか? 最後までケツ持つのがギルド流……ドンの遺志じゃねぇのか!」

 最後までしゃんと生きやがれ!
 息を切らしながら叫ぶユーリさん。思っていた以上の声量にわたしも内心驚いていた。大きく肩を揺さぶられたレイヴンさんは驚いたようにぱちくりと瞬きを繰り返す。真剣な彼の瞳を見つめ返し、やがてうっすらと笑みを零した。それはわたしが良く知っているレイヴンさんの笑みにとても似ていた。

「……ホント、容赦ねえあんちゃんだねえ」

 レイヴンさんはゆっくりと立ち上がると埋もれた出入口に弓矢を放つ。激しい爆発音と共に瓦礫が吹き飛び、人が通れそうな程には通路が出来ていた。これで神殿から脱出できる。希望の光が差し込んだその時、頭上から亀裂の入る音が聞こえてバッと頭上を見上げた。視界いっぱいに広がる崩れた天井。あ、間に合わない。そう思ったわたしは咄嗟に腕で顔をかばいきゅっと目を瞑った。けれど、いくら待っても痛みはやってこない。そろそろと瞼を持ち上げるとレイヴンさんがたった一人で崩れ落ちた天井を支えていた。胸元の魔導器を強く輝かせて。

「レイヴン!?」
「ちょっと! 生命力の落ちてるあんたが今魔導器でそんな事したら!」
「長くは保たない……早く脱出しろ」

 誰もが先程の戦いで体力を消耗しすぎたのだ。レイヴンさんに崩れた天井から抜け出す力は残っていないし、わたしたちが破壊するには時間が足りない。その間にも神殿の崩壊はどんどん進んでいく。わたしたちに残された選択肢は限られていた。このまま全員で生き埋めになるか、レイヴンさんを置いて神殿を脱出するか――。エステルちゃんを助けるためにどちらを選ばないといけないのかなんて頭の中では理解できていた。だけど、受け入れたくない現実にじわりと目尻に涙が溢れる。

「いや……いやです、レイヴンさんっ」
「おっさん!」
「シュヴァーン隊長!」
「アレクセイは帝都に向かった。そこで計画を最終段階に、進めるつもりだ。あとは……おまえたち次第だ」

 次第に胸元の魔導器の輝きが弱くなり、レイヴンさんの表情が苦しいものに変わっていく。天井を受け止めた衝撃からか頭からは血が流れていた。
 どうにかしてレイヴンさんを助けることは出来ないんだろうか。このまま見殺しになんてしたくない。少しだけでいい、レイヴンさんが天井から抜け出せるだけでも時間を稼げれば……。ふらふらと立ち上がろうとするわたしの腕を誰かが掴む。肩越しに振り返ると眉を下げるフレンさんがいた。

「フレンさん……?」
「ごめん、アズサ」

 ぽつりと呟いたフレンさんは勢いよく腕を引っ張るとそのままわたしを俵のように担ぎあげた。唐突に高くなる視界。フレンさんが何をしようとしているのか咄嗟に理解したわたしは手足をばたつかせて抵抗したけれど、彼の力に到底叶うはずもなかった。レイヴンさんとの距離が次第に遠ざかっていく。

「フレンさん、下ろしてください! フレンさん!」
「…………」
「行くんだ!」

 鋭いユーリさんの声が聞こえてハッと顔を上げればカロルくんたちがレイヴンさんの作ってくれた逃げ道へ足を動かし始める。その瞳には涙が浮かんでいた。
 わたしは再びレイヴンさんを視界に捉えようとしたけれど、じわりと滲んだ視界でははっきりと姿を捉えることができない。それでも瓦礫に埋もれていく最後まで、彼の胸元の魔導器は確かに輝いていた。
 ──それが、わたしが最期に見たレイヴンさんの姿だった。


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