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 アレクセイは制御室にいる。
 レイヴンさんの情報を頼りにわたしたちはヘラクレスの艦内に突入した。どこに制御室があるのかはフレンさんやレイヴンさんも分からないらしく手探りで進むしかない。明かりも辛うじて足元が確認できるほどしか灯っておらず、よそ見をしていたら迷子になってしまいそうだ。衛兵に気付かれてしまわないよう息を潜めながら艦内を進んでいると親衛隊が何人も警備している扉を発見した。レイヴンさん曰く、奥には動力室があるらしい。

「すごい警備の数だよ」
「厳重ですね」
「さすがに簡単には止められそうもないか」

 動力室を止められれば少しはアレクセイの目論見を阻止できるだろう。しかし、そこで万が一にでも逃げられてしまっては意味がない。これ以上、エステルちゃんに辛い思いはさせたくないのだ。わたしたちは動力室を突破するのは諦めて再び制御室を探しに向かった。
 思いの外、複雑な構造に悪戦苦闘しながらもようやくたどり着いた制御室。大きなモニターや電子パネルなどの精密機械があちこちにある。昔、テレビで見た船の操縦室ととても良く似ていた。しかし、そこで見た光景にわたしたちは眉間に皺を寄せることになる。

「なんじゃこりゃ?」
「……どういうことなんでしょうか」

 おそらくヘラクレスを操作していたのであろう親衛隊がことごとく床に倒れていた。どういうことなのだろう。もしかして、わたしたち以外にもヘラクレスを止めようとしている人物がいるのだろうか。状況的には有難い限りだが相手の素性が分からないから、少し気味が悪い。ぴくりとも動かない親衛隊を見下ろしながら考えていると、ふと物陰から人の気配を感じて思わず顔を向ける。アレクセイ……なのだろうか。緊張感を抱きながらじいっと気配を感じた場所を見つめているとその男はゆっくりとした足取りでわたしたちの前に現れた。忘れもしない暖かさを感じない狂気的な真っ赤な瞳。視界に捉えた瞬間、背筋が凍る。

「あなたは……っ」
「待ちかねたぜぇ。ユーリ・ローウェル!」

 どうしてこの男がここにいるんだろう。ザギはユーリさんを見つけると口元を歪めて楽しそうな笑みを浮かべた。その腕にはノードポリカで見た時と同じ、禍々しい空気を放つ魔導器(ブラスティア)がある。おそらく、親衛隊を倒したのはザギなのだろう。ジュディスさんが指摘すると彼はすんなりと肯定した。ユーリさんは嫌悪感を露わにして言葉を吐き捨てる。

「てめえなんぞに用はねぇ。アレクセイはどこだ? エステルをどこにやった!」
「くっくっく。居ねぇよ! そんなヤツは最初からここには居ねぇ」
「アレクセイが、いない……?」

 だってわたしたちがバクティオン神殿から脱出したその時点で既にヘラクレスはいなかった。てっきりヘラクレスに乗って移動したと思ったのに。ザギの証言に言葉を失っているとわたしの隣でフレンさんがそうか、と小さく呟くのが聞こえた。ちらりと視線を送ると整った横顔に乗せられた薄い唇は微かに震えている。

「アレクセイ、この要塞すらオトリに使ったのか……!」
「随分、気前のいいこった。やってくれるぜ」
「なるほどね……ヘラクレスにオレたちや騎士団を引きつけて、自分はその間にトンズラか……」

 つまり、まんまとわたしたちはアレクセイの罠にはまってしまったのだ。やっと、助けられると思ったのに。エステルちゃんは今もアレクセイの私利私欲によって苦しめられている。

「アレクセイ! どこまでもむかつくヤツ」
「すぐ追いかけるのじゃ!」

 アレクセイがいないのならヘラクレスに長居は無用。バウルのところに戻ろうと踵を返したパティちゃんの足元で何かが爆発する。制御盤が故障でもしたらどうするつもりなのだろうか。本当にユーリさんと戦うことにしか興味がないらしい。わたしは静かに腰の双剣に指を滑らせる。正直、ザギと対峙して戦闘を免れた記憶はなかった。

「さぁ……逝こうぜぇ! ユーリ・ローウェル!」

 ザギは手強い。だけど人数の差を考えればわたしたちの方が有利だ。
 戦いの末にザギの身体は窓を突き破ってヘラクレスの外に飛ぶ。ユーリさんの蒼破刃が直撃したのだ。激しい音と共にガラスが細かく砕け散り、わたしは咄嗟にバリアーでユーリさんたちを囲った。

「さんきゅ、アズサ。リタ!」
「わかってる!」

 駆け出したリタちゃんが制御盤の前に立つと空中にパネルが浮かび上がる。強靭な要塞もリタちゃんの腕にかかればあっという間に掌中に収まってしまう。一瞬、足元が揺れたかと思うとヘラクレスは完全に動きを止めた。これなら周りを囲っていたソディアさんたちもヘラクレスに入ることができるだろう。あとは騎士団がなんとかしてくれる。わたしは小さく安堵の息を吐いた。
 けれど、問題はエステルちゃんだ。アレクセイは一体どこに向かったのだろうか。

「バウルにお願いして、エアルの乱れを追ってみましょう。エステルが力を使わされてるのなら、きっと見つかるわ」
「わかった。じゃあ……」

 ユーリさんが口を開きかけたその時、突然辺り一帯を赤い光線がわたしたちを襲う。まるでレーザー光線のようだった。無数に飛び交うそれはユーリさんたちをいとも簡単に吹き飛ばす。あまりに一瞬のことでわたしはその場に呆然と立ち尽くしていた。

「ひゃはぁ〜! ユゥゥゥリィ! まだ終わっちゃいねぇぇぇ!」
「ユーリさんっ、みんな!」

 咄嗟に駆け寄ろうとした足が床を強く蹴る。双剣を握っていた手に力がこもって、ぐるんと自分の身体が反転した。視界の隅に淡い光を帯びたペンダントが映る。次の瞬間、ガチンと激しい衝撃で腕が痺れそうになった。目の前には魔導器を纏う禍々しい腕とそれを必死に防ぐ双剣。強い殺気を放った真紅の瞳がわたしを射貫いていた。

「邪魔だ」
「っ……!」

 窓を突き破るくらいの衝撃だったのだ。ユーリさんの攻撃は確実に当たっていたはず。この男に体力の限界はないのだろうか。鍔迫り合いを続けていると不意にザギの腕の魔導器が鈍く光る。一気に重たくなるザギの力。わたしの"躰"も必死に押し返そうとしたが、猟奇的な魔導器の力にかなうはずもなかった。徐々に足が後ろへ後ろへと下がっていく。やがて背中に伝わってくる冷たい壁の感触。ザギの口元がにやりと歪み、わたしは身の毛がよだつのを感じた。
 ユーリさんたちは意識こそあれど立ち上がれるような様子ではない。わたしはそこで初めてさっきの光線がエアルによるものだったのだと理解した。

「や、やべぇ……体が……」
「だめだ……エステルみたいな高度な治癒術じゃないと、みんな同時に治せないよ」

 こんな時、エステルちゃんがいてくれたら。脳裏に彼女の優しい笑顔が浮かぶ。せめてわたしが治癒術だけでも使えれば、突破口があるかもしれないのに。唯一動けるわたしはザギの力に抵抗するので精いっぱいで。自分の無力さに情けない気持ちが湧き上がってくる。
 やがて脇腹に鈍い痛みが走った。思いっきり蹴られたらしい。なんとか受け身をとって身体を打ち付けることは免れたが、ずきずきと痛む脇腹に顔をしかめて膝をつく。グミである程度体力を回復しているとは言っても痛いものは痛い。じわりと涙が滲んだ。

「くっそ……アズサ……!」
「くっくっく、やっといい声で鳴いたなぁ……」

 ……いっちまいな!
 ザギがユーリさんに向けて腕を振り上げる。だめっ、と声を上げたが状況が変わることはなかった。振り下ろされる一閃。間に合わないと堪らず目を瞑りかけたその時、視界の隅で小さな影がふたつ飛び出す。赤い髪と緑の髪の少女だった。彼女たちはどこからともなく現れたかと思うとその細い脚でザギを勢いよく蹴り飛ばした。驚く間もなく今度はわたしの目の前に一人の男が降り立つ。

「あなたは……」

 見覚えのあるスーツを身にまとった男はちらっと肩越しにわたしを見下ろすと手に持っていたマシンガンのような武器を構えて放った。見事ザギに命中した弾丸は今度こそ窓の外に追い出す。彼の叫び声が広大な海に響き渡った。

「ふっふん。ビュリフォーなシャウトですねー」

 スーツの男──イエガーは満足そうに呟いたかと思うと不意に踵を返してわたしの前に膝をつく。何をするのだろうと若干身構えていると彼は武器を持っていない方の手を差し出して軽く首を傾げた。鋭い眼光がわたしを捉える。

「お手をどうぞ。ガール?」

 以前はわたしを見世物に利用として誘拐を企てた男だ。決して信用は出来ない。だけど、助けてもらったのもまた事実で。
 手を伸ばすか否か。くすんだ茶色の瞳を見つめ返し逡巡していたわたしの腕を強い力で誰かが引っ張った。ぐるんと視界が反転する。つられるように立ち上がったわたしはそのまま肩を抱かれ気付けばユーリさんの胸に収まっていた。どうやらわたしがイエガーと話している間に少女たち──ゴーシュとドロワットに怪我を治してもらったらしい。とりあえず彼らの無事が確認できてわたしはほっと安堵の息を吐く。

「イエガー! てめぇ何のつもりだ」
「またうちらの邪魔をする気か!?」
「ミーのビジネスにとって帝国ばかりがパワフルになるのは、都合がバッドバッドなのでーす」

 そう言うと、イエガーはわたしたちにとって有用な情報を教えてくれた。アレクセイはエステルちゃんを宙の戒典(デインノモス)の代わりにしようとザーフィアスに向かっているらしい。それがどれだけ悪質なことなのか、リタちゃんの表情を見れば一目瞭然だった。
 今すぐにでもバウルのところに戻ってザーフィアスに向かいたいところだがさっきのザギの攻撃で制御盤が再び起動しまっている。しかも、操作盤が壊れてしまっていてリタちゃんでも直せないらしい。このままだとヘラクレスは帝都に一直線だ。なんとかして止めないといけない。

「がんばるでーす! じゃ、そういうわけでシーユー!」
「あ、待つのじゃ!」
「行っちゃった……」

 イエガーの狙いがなんだったのかはさっぱり分からないが今はヘラクレスを止めることに専念しよう。先に進むパティちゃんたちを追いかけようと足を踏み出したがぐっと肩を引き寄せられてユーリさんの胸元に戻される。疑問符を浮かべつつも顔を持ち上げようとしたその時、おでこにペシンと痛みが走った。

「いてっ」
「オマエなあ、無茶するなってあれだけリタに言われただろ?」

 デコピンされたおでこを擦りつつわたしは肩を竦めたユーリさんを見上げる。状況が状況だったとはいえユーリさんに言い訳は出来ない。
 ザギの一撃をこの身に受けた瞬間、涙で滲む視界の中でリタちゃんの顔が蒼白になったのがちらっと見えた。今はヘラクレスのことがあるから何も言わないでいてくれるけど余計な心配をかけてしまったのは事実だ。わたしはしゅんと項垂れる。

「すみません……」
「結果的に無事だったから良かったが、次は気をつけろよ?」

 そう言ってユーリさんはデコピンした手をわたしの頭に軽く乗せた。長い睫毛に縁どられた切れ長の瞳がゆるりと細くなる。わたしはユーリさんの顔をまっすぐ見つめて静かに首を縦に振った。


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