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 目的の場所は既に分かっている。だから動力室に向かうまでそれほど時間はかからなかった。唯一心配していたのはアレクセイの部下たちによる厳重な警備だったが、それも無事にヘラクレスに侵入できたソディアさんたちによって追い払われていた。おかげでわたしたちは動力室に入ることが出来ている。
 ──この、おぞましいほどエアルが充満した動力室に。

「こいつは……!」

 あまりの光景に誰もが息を呑んだ。制御室と同じくらいに複雑そうな機械がたくさん置かれた動力室。その半分以上が赤く輝くエアルに飲み込まれていた。エアルが赤く見えるのは濃度が高くなりすぎているからだ。一体、この場所で何が起こっているというのだろう。わたしは思わず視線を横にずらす。今までなら視線の先に温かく見守ってくれる優しい碧い瞳があった、はずだった。
 けれど今は無の空間が広がっているだけで、わたしは唇から零れ落ちそうになった言葉をぐっと呑み込む。

(そうだった、フレンさんはソディアさんたちと一緒に……)

 遠くから何度も聞こえてくるお腹の底まで響いてくる低く鈍い砲撃音。ヘラクレスとソディアさんたち騎士団が交戦を続けている証拠だ。苦戦を強いられている騎士団の指揮を執るため、フレンさんが自分の部隊に戻っていったのはついさっきのこと。短い時間だったとは言え、彼の存在はわたしに大きな安心感を与えてくれていたのだとこの時改めて実感した。若干の虚しさを覚えながらわたしは再び視線を前に向ける。これだけ部屋に濃いエアルが満ちているのだ。きっとユーリさんたちの身体にも相当な負担がかかっているに違いない。早く何とかしないと。

「ザギが制御盤、ぶっ壊したせいで、やばいことになったみたいだな」

 ユーリさんの言葉に小さく眉を寄せる。脳裏に浮かぶザギの歪な笑み。あの時、彼の攻撃をもう少し早く察知できていればここまでの事態にはならなかったかもしれないのに。ちくんと胸が痛む。

「まって!」

 唐突なリタちゃんの声に慌てて視線を持ち上げると視界の隅で赤い光に反射した鈍色の槍が見えた。ジュディスさんの槍だ。

「待てる状況じゃないと思うけれど?」
「わかってる! あれ見て!!」

 そう言ってリタちゃんが指さした方向を見上げると一段高い場所にエアルが立ち上る筒状の装置が見えた。筒の中はエアルクレーネが暴走した時とは比べ物にならないくらいに赤い。まるで燃えているみたいだ。つまり、それだけエアルが集中しているということになる。そんな大量のエアルがどこに送られているのか。
 考えられるのは一か所しかない。

「エアルがものすごい勢いで送られてる。このデカ物でこんなとんでもパワーが向かう先なんて一つよ」
「ヘラクレスで一番パワーが必要なとこというと……」
「主砲か!」
「こんな状態でこの魔導器(ブラスティア)壊しちゃったら、ヘラクレスの動きは止まっても、主砲ぶっ放しちゃって目の前のザーフィアスは吹っ飛んじゃうわ!」

 街をひとつ簡単に吹っ飛ばしてしまう主砲の威力。周りにいる騎士団は大丈夫なのだろうか。海の藻屑と消えていく騎士団の船を想像してしまいぞわりと悪寒が走る。ソディアさんたちを助けるためにフレンさんは騎士団に戻ったのだから、最悪の状況にはならないと信じたい。それでも心配になってしまうのも事実で。わたしは祈るような気持ちで両手を握り込んだ。

(どうか、無事でありますように)

 過剰なエアルの供給で主砲はいつ発射されてもおかしくない。一刻も早く暴走を止めないと。でも、どうやって? 不安を募らせながら真っ赤に輝く装置を見上げていると不意にユーリさんが一振りの剣を取り出した。いつも戦いの時に使っている剣ではない。細かな装飾が施されたそれを見てわたしはあ、と声を零した。

「ユーリさん、それ……」
「ああ、こいつなら」

 デュークさんが渡してくれた宙の戒典(デインノモス)。この剣にはエアルの暴走を鎮める力がある。アレクセイと対峙した時、ユーリさんの持っていた宙の戒典は確かにエアルの力を無効化した。試してみる価値は十分にあるだろう。

「できるの?」

 ジュディスさんの静かな問いかけにユーリさんは薄い唇を真一文字に引き結んだまま頷いた。

「やるしかねぇんだ。やってみるさ」

 ──こうして装置の前までやってくるとその異様さがひしひしと感じられる。以前、ケーブモック大森林でエアルを過剰に放出するエアルクレーネを見た。薄暗い森に灯る仄かな明かりのような光を綺麗だとその時は素直に思えたが、目の前で大量に流れ込むエアルはドロドロとしたマグマのようで少し怖い。
 みんなが見守る中でユーリさんが宙の戒典を手に装置の前に立った。固唾を飲んで真剣なユーリさんの横顔を見ていると、不意に真っ赤だった視界の中に青が映ってわたしは顔を上げる。動力室の入り口から見上げていた時はあまりに小さな光で全然気がつかなかった。装置の中にある唯一の青。わたしは隣に立っていたリタちゃんの服の裾を引っ張る。

「リタちゃん、あれって……」

 リタちゃんはわたしと同じものを真っ直ぐな瞳で見つめながらこくん、と頷いた。

「制御できなくなった魔導器と干渉し合って、暴走してるんだわ」

 わたしは再び青い光を見上げる。聖核(アパティア)は周りのエアルに呼応して輝きを強めているように思えた。

「壊すの……? 始祖の隷長の魂みたいなものなんでしょ?」
「しゃあないわな。このままヘラクレスがつっこめばザーフィアスはぺしゃんこ。主砲も爆発するかもしれない」
「だな。迷ってられねぇ!」

 ユーリさんが宙の戒典を掲げる。剣を中心に光が集まってそれが聖核を包み込んだ。きっと聖核を消滅させれば魔導器の暴走は収まるはず。誰もがそう願いながらユーリさんを見守っていた。やがて過剰に放出されていた聖核の光が少しずつ弱まっていく。ユーリさんがその場で宙の戒典を横に振ると聖核自体が淡い輝きを放ちながら消滅していった。どうか、間に合いますように。心の中で祈ったその時、不意にどこからが聞こえた穏やかな声。
 ──ありがとう。

(今のは……?)
「主砲はどうなった!?」

 考える間もなくユーリさんの切羽詰まった声にハッと意識を戻す。慌てて装置を見上げると確かに聖核は跡形もなく消滅していた。しかし、筒の中には未だに大量のエアルが漂っている状態。リタちゃんは装置に駆け寄ると操作パネルを浮かび上がらせてキーボードを叩き始める。そしてすぐに声を張り上げた。

「ダメ! このままじゃ発射される!」
「そんな! 動力はもう止まってるのに!」

 床が小刻みに揺れ始める。それが何を意味しているかなんて分かりたくなかった。海が一望できる巨大なガラスの窓から見えるとてつもない輝きを放った主砲。その照準の先にはザーフィアスがある。あんなのが直撃したら帝都はひとたまりもない。けれど、わたしたちにあれを止められる手段はもう残されていないのだ。脳裏には下町でお世話になったハンクスさんたちの顔が蘇る。
 このまま黙って帝都がなくなる瞬間を見ていることしかできないのだろうか。泣きそうになるのを堪えて外を見ていると不意にヘラクレスが大きく揺れた。何かがぶつかったような強い衝撃に足元がよろける。慌てて近くにあった手すりに掴まって周囲を見渡す。ユーリさんたちも何が起きているのか分からないようで戸惑っているようだった。揺れは一度だけでは終わらず何度も繰り返される。必死に手すりにしがみついて衝撃に耐えていると窓の淵で何かが揺らめいているのを見つけた。どうして騎士団の船があんなにヘラクレスの近くにいるのだろう。絶えず続く衝撃と接近している騎士団の船。ふたつの事象を結びつけるのはそれほど難しくなかった。

(まさか……)

 視界がちかちかと光り出す。強い光に目が眩んだ次の瞬間、鼓膜が破れるような大きな音が響いた。主砲が発射されたのだ。海の向こうで大爆発が起こる。あんなに遥か彼方にあるというのに地面が軽く揺れた。それだけ強靭な砲撃だったということだ。あんなものが帝都に直撃してしまったらと思うとゾッとする。
 けれど、実際に砲撃は帝都を直撃しなかった。直前で騎士団の船が体当たりをしてくれたから照準が逸れたのだろう。帝都が無事なのを確認してわたしは力なくその場に座り込む。今ので寿命が何年か縮まったに違いない。

「どうなるかと思ったのじゃ」
「うん、本当に……フレンさんたちのお陰ですね」
「すごいわね。あなたのお友達」

 かなり捨て身の策には感じてしまうが、帝都が助かったのは間違いなくフレンさんたち騎士団のお陰だ。わたしはしゃがみ込んだままそっとユーリさんの様子を伺う。純粋にフレンさんの活躍を見て彼がどんな表情をするのか気になったのもあった。
 ユーリさんは乱れた髪をかき上げ少し呆れたように……それでもどこか嬉しそうに笑っていた。

「はは……まったくだ。無茶ばっかりしやがる」


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