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「ったくラピード、てめえ見張りはどうしたんだよ」

 地面に突っ伏していたユーリさんがむくりと起き上がる。ジトリとした視線を向けられてもラピードは大して気にする様子もなく尻尾をゆらゆらと揺らすだけだった。基本的にユーリさんに従順なラピードだけれど、彼の指示を無視してわたしたちをここまで案内してくれたことを考えると今回ばかりは考えが合わなかったようだ。

「この子が私たちを案内してくれたのよ。賢い子ね」
「そこ行くと、どっかの馬鹿は大違い」

 リタちゃんの発言にぴくり、とユーリさんの目尻が反応したのをわたしは見逃さなかった。いつも優しく迎え入れてくれる紫黒の瞳が今はどこか冷たいものに感じて僅かに肩が震える。
 ユーリさんがこんなにわたしたちに対して感情をむき出しにするのは初めてかもしれない。

「おまえら分かってんのか? これから、なにしようとしてっか、本当に分かってんのかよ?」

 エステルちゃんを助けるためにアレクセイとの戦闘はきっと避けられない。それに仮にエステルちゃんを助けられたとしてもフェローの判断によっては最悪の場合、エステルちゃんを……。

「分かってないのはユーリだよ!」

 静かなクオイの森にカロルくんの声が響いた。遠くから聞こえる鳥の羽ばたき。
 ユーリさんは瞳を丸くしてカロルくんを見つめていた。

「ユーリだけで……ユーリだけでなんて駄目だよ!」

 ユーリさんがわたしたちを置いていったのは重荷を背負わせたくなかったからだろう。この先に待っているかもしれない辛いことや悲しいことから守るための彼なりの優しさ。けれどユーリさん一人が背負う必要なんて全くない。全部、覚悟の上でわたしたちはエステルちゃんを助けると決めたのだ。
 だからこそ、置いていかれたのがとても悲しかった。

「あんたひとりでなにするってのよ。あたしら差し置いてなにができるっていうのよ!」
「うちらのことが不必要で、ユーリがうちらを置いていったとしても、うちらは世界中どこまでもユーリを捜してついて回るのじゃ」
「ま、ようするに、だ。ひとりで恰好つけんなってことよ」
「もう少し信じてみてもいいんじゃないかしら?」
「一人で全部抱え込もうとしないでください」
「うちらはユーリを信じとるぞ」
「そうだよ。仲間でしょ!」

 エステルちゃんを助けたい。その気持ちは絶対にみんな同じだ。
 ユーリさんはぐるりとわたしたちを見渡すと小さく溜息を零す。やがて顔を上げたユーリさんの表情はもういつもの優しいユーリさんだった。

「……参ったね。……分かったよ、みんなでいこう。最後までな」

 目尻を下げて力なく笑うユーリさんにカロルくんやパティちゃんが嬉しそうに大きく頷く。そっと足元を伺えばラピードも尻尾を振っていてなんだか嬉しそうだ。わたしも自然と頬が緩む。色々なことがあってずっと張りつめていた空気が久しぶりに穏やかなものに変わったような気がした。

「そんじゃまあ、行ってみますか!」
「森の出口はもうすぐそこよ」

***

 クオイの森を抜ければ帝都は近い。わたしは平原を進みながら遠くにそびえたつ帝都を見上げた。巨大な結界魔導器(シルトブラスティア)を囲うように建てられた住宅街。その最下層にはハンクスさんたちの住んでいる下町がある。今の場所からは明らかな損壊は見られないけど、ハルルの街で聞いた情報が確かなら大変な事態になっているのは間違いないのだろう。わたしは眉をひそめた。
 ようやく帝都の手前まで着いた頃、わたしたちは慌ただしく動き回る大勢の騎士を見つけて足を止めた。おそらく帝都の騎士団だ。どうやら帝都に攻め込む準備をしているらしい。大きな魔導器(ブラスティア)を運んだり、武器の補填をしていたりしていて、わたしたちのことなど気にも留めない。

「でも足踏みしているみたい。なにかあったのかしら?」

 きょろきょろと辺りを見渡していると人だかりの中心にフレンさんを見つけた。忙しそうに騎士に指示を送る彼の傍にはソディアさんもいる。無事にヘラクレスから脱出できたようで内心ホッとしているとカロルくんが何かを思い出したように口を開いた。

「そうだ、ねえ、ユーリ、フレンが一緒に来てくれたら心強いんじゃない?」
「騎士団率いてるんでしょ。あたしらと来るのは無理なんじゃないの?」
「偵察が戻り次第、各小隊長を集めて……。ユーリ! みんな!」

 わたしたちの存在に気付いたフレンさんはこちらに駆け寄ってくる。その後ろでソディアさんが険しい表情をしていることをフレンさんは気づいていないようだ。フレンさんはわたしたちを見回して顔を綻ばせたが、それも一瞬のことですぐに表情を曇らせる。エステルちゃんがいないことに気付いたのだろう。
 ユーリさんが何をしているのか尋ねるとフレンさんは背後にそびえ立つ帝都を見て眉間に皺を寄せた。帝都の門の前にアレクセイの親衛隊がいるのだと言う。今は相手の出方を見るために送った偵察隊が戻ってくるのを待っているらしい。バクティオンといい、ヘラクレスといい……本当に用意周到な男だ。

「君たちも帝都に行くんだね」
「ああ」
「……少しだけふたりで話がしたい。いいかい?」

 隊長! とソディアさんが声を荒げる。今フレンさんに抜けられてしまっては困るのだろう。ソディアさんは鋭い眼光でユーリさんを睨みつける。先に話を切り出したのはフレンさんなのにまるでユーリさんが悪者のような剥き出しの敵意。薄々感じてはいたけれどソディアさんは本当にユーリさんが嫌いみたいだ。

「大丈夫だ、すぐ戻るよ。何か動きがあれば報せてくれ。行こう」

 ユーリさんとフレンさんが話をしている間、必然的にわたしたちも待機を余儀なくされた。ましてや帝都の近くに親衛隊が控えているのならむやみやたらに動きまわるのは得策ではない。それがアレクセイ率いる親衛隊なら尚更だろう。彼らの手強さはエゴソーの森で十分に体験している。
 ただ気持ちが落ち着かないのも確かで、わたしはパティちゃんと一緒に近くの高台まで出かけた。どうしても探しておきたい場所があったのだ。

「どうじゃ、アズサ姐の探してるところは見つかりそうか?」
「うーん……」

 おでんを頬張りながら尋ねてくるパティちゃんの問いかけにわたしは借りた双眼鏡を覗き込んだまま曖昧な返事をする。あの頃の記憶は非常に曖昧で見つけられるかどうかは半々といったところだろう。
 わたしが探しているのはわたしが初めてこの世界で目を覚ました場所だった。そこはつまりアズサが魔物の群れと戦い──命を落とした場所。一度確認しておきたいと思ったのだ。わたしのためにも、アズサのためにも。
 森の中だったことはなんとなく覚えている。ただあの時は魔物に噛まれた衝撃で混乱していてどこを逃げていたのかもさっぱり分からない。帝都からそれほど遠くなかったはずだけど……。

「そこでなにをしている」

 背後から声が聞こえて振り返るとソディアさんが立っていた。わたしの持った双眼鏡を見つけて訝し気に眉を寄せる。
 そこでわたしはふと思い出した。蒼の迷宮(アクアラビリンス)の事件はフレンさんが関わっていた。もしかしたら彼の部下であるソディアさんも当時一緒にいたかもしれない、と。あのっ、とわたしは声を上げる。

「ソディアさん、ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」

 蒼の迷宮との関係性を全てソディアさんに話すわけにはいかない。わたしは友達がいたという架空の設定で彼女に事情を説明した。大道芸ギルドが襲われた場所を知りたい。やはりソディアさんもあの事故に関わっていたようですぐにその場所を教えてくれた。帝都の北西にある森。そこは下町の入り口のすぐ近くにあった森で本当に帝都の目の前だったんだなと無念さにちくんと胸が痛む。アレクセイの思惑さえなければ蒼の迷宮は今も旅を続けていただろうし、アズサが死ぬことはなかった。そして、わたしも今頃……。

「ソディア副長!」

 駆け寄ってきた騎士の顔は兜越しに見ても蒼白で何かがあったのは一目瞭然だった。こそこそと耳打ちで話を聞いたソディアさんは瞳を大きく見開いたかと思うと騎士と一緒にどこかに走り去っていく。現場に何か動きがあったのだろう。今までよりも騎士の動きが慌しくなっているような気がする。わたしたちもその場に留まっているリタちゃんたちと合流した方が良いかもしれない。

「……そろそろ戻ろっかパティちゃん。付き合ってくれてありがとう」
「これくらいお安いごようなのじゃ」
「アズサ! パティ!」

 こちらに向かって走ってくるリタちゃんの姿。やっぱり大きな動きがあったようだ。
 わたしはパティちゃんに借りていた双眼鏡を返す。今は蒼の迷宮が襲われた場所がある程度把握できただけでも十分だ。双眼鏡がパティちゃんのポケットにしっかりとしまわれたのを確認してわたしたちはリタちゃんに駆け寄った。

***

「……まだあれだけの戦力を隠していたのか」

 フレンさんが苦虫を嚙み潰したような顔をしているのをわたしはそっと後ろから見つめていた。
 リタちゃんに先導されてパティちゃんと元の場所に戻ってくると驚くべき光景が広がっていた。平原一帯を覆いつくすほどの戦闘機械。それらが一気にこちらに向かって進んでいた。おそらく騎士団がやってくるのを見越したアレクセイの策。一体一体がどれだけの実力をもっているかも分からないというのにあんな大量の敵を全部相手にしていたらとてもエステルちゃんの元にはたどり着けない。パティちゃんが双眼鏡で回り込めそうな道がないか探してくれたが難しいという。あまりの敵の数に騎士団も圧倒されて戦うのを躊躇っているようだった。中には砦まで撤退した方がいいんじゃないかという騎士の声も聞こえた。だけどもし、あの戦闘機械をこの場所で止めることができなければ次に襲われるのは――間違いなくハルルの街だ。
 騎士全体の士気が下がる中、誰よりも先に先陣を切ったのは他でもないフレンさんだった。颯爽と馬に飛び乗ったフレンさんは怖気づく騎士たちの前で高々と剣を掲げる。

「騎士団諸君!! 目の前に敵の大部隊、そしてその背後にはアレクセイが控えている。容易い相手だとは言わない。逃げたくなるのも無理はない。しかし思い出してほしい。僕らがなすべきことを! 僕らの後ろにあるものを! 僕らは騎士だ。その剣で市民を護る騎士だ! 誰にも強制はしない。だけどもし志を同じくする者がいるなら、この一戦、共に戦おう!」

 フレンさんに引き寄せられるように他の騎士たちも武器を掲げて雄叫びを上げる。わたしは敵に立ち向かっていく背中を瞳を細めて見上げていた。本当に太陽みたいな人だ。この人が騎士団の隊長で、わたしたちの味方でいてくれて本当に良かった。

「フレン、すごいや……」
「うん……本当に」
「帝国騎士団、前進!」
「行こうぜ、帝都だ」


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