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「ようやく来ましたね」

 目的地はザーフィアス城の頂上に位置する御剣の階梯。お城全体に仕掛けられた謎を解きながら進んでいくと謁見の間に辿り着いた。主のいない空っぽの王座を見つめていると背後から突然声が聞こえて肩が震える。反射的に振り返るとそこに立っていたのは長いロイヤルブルーの髪を高い位置で結った一人の女性だった。綺麗な身なりをしているところをみるとかなり身分の高い人物なのが分かる。あれ、この人どこかで見たことあるような……。記憶を呼び起こすわたしの隣でジュディスさんが驚いたように目を見開いていた。

「クリティア族!? いえ、あなたは確か……」
「帝国騎士団特別諮問官クローム、……要するにアレクセイの秘書殿よ」

 アレクセイの秘書……そうだ、思い出した。ヘリオードで初めてアレクセイに会ったとき一緒にいた女の人だ。ということは、まさかわたしたちの邪魔をしに来たのだろうか。緊張感を漂わせるパティちゃんとリタちゃんを横目にわたしも固唾を飲んで状況を見守る。

「アレクセイの……ってことは!?」
「敵!?」
「いいえ違います。……少なくとも今は」
(今は……?)

 随分と意味深な物言いだ。後々、戦わないといけなくなる状況になるということなのだろうか。

「引っかかる言い方だな。悪ぃが、こっちは急いでんだ。戦うか、でなきゃ後にしてくんねえかな」

 苛立ちを募らせるようにユーリさんが眉間に皺を寄せる。けれど、クロームさんはそんなユーリさんを見ても眉ひとつ動かさずに静かにわたしたちを見回すと薄い唇を開いて問いかけてきた。誰の為にあなたたちは戦うのですか、と。言葉の真意が読めずに戸惑うわたしたちにクロームさんは言葉を続ける。

「あの哀れな娘のためですか」
「それってエステルちゃんのこと、ですか……?」
「哀れだとかあんたに言われる筋合いなんかない!」

 一体、クロームさんは何が言いたいのだろう。わたしたちはエステルちゃんを助けたい。その為に彼女を利用しているアレクセイを倒しにいく。クロームさんもそのことを分かっているような口ぶりなのにあえて疑問を投げかけてくる理由が全く分からなかった。それに、ここにいるのもアレクセイの指示というわけでもなさそうだ。
 眦を吊り上げてクロームさんを睨みつけるリタちゃんは今にも飛びかかりそうな勢いだった。

「回りくどいねぇ。何が言いたいのよ?」
「あの人があなたたちに何を見たのか分かりませんが……。あなたたちがあの人を止めてくれるのを願っています」

 不意にクロームさんと視線がぶつかる。淡々とした感情の読めない眼差しがわたしを捉えた。なんだろう……この、心の奥底まで見透かされているような感覚は。わたしはごくりと生唾を呑み込む。不思議と視線をそらせずに背筋に嫌な汗すらかき始めた頃、ようやく視線をそらしてくれたクロームさんはそのまま踵を返して謁見の間から立ち去っていった。見つめ合っていたのはほんの数秒のことだったと思うけれど、体感ではもっと長い時間だったような気がする。ひっそりと息を吐きだしていると横からレイヴンさんがわたしの顔を覗き込んでくる。

「もしかしてアズサちゃん、実はあの秘書殿と知り合いだったりする?」

 もし可能性があるとするならばわたしではなくアズサの知り合いだろうけれど、彼女が昔の知り合いに会ったところで表に出てくることはほとんどない。ドンやライラちゃんの時がそうだった。本当にわたしが困っている時ぐらいしか現れないのだ。だから本当にアズサの知り合いだったとしてもわたしには判断ができない。ふるふるとわたしは頭を振って苦い笑みを浮かべる。

「…………まさか」

 蒼の迷宮(アクアラビリンス)とアレクセイの部下に繋がりがあるとはとても思えない。だよねえ、とレイヴンさんは頭の後ろで手を組みながら呟いた。
 それにしても、クロームさんが言っていた"あの人"とは誰のことだったのか。悶々と考え込んでいると誰かの手が肩に乗って顔を上げる。視界の端で紫黒の髪が揺らめいた。

「ま、考えても仕方ねぇ」
「そうね。もう、この先にエステルたちは居るのだから」
「のじゃ、止めるなんて生ぬるい。ぶっ倒すのじゃ」
「あとはぶっつけってとこかねぇ?」
「そう言うこった。行くぜ!」

 胸のモヤモヤを誤魔化すようにわたしはユーリさんの言葉に頷いた。今はなによりもエステルちゃんだ。
 階段を上って王座の後ろにまわりこめば御剣の階梯へと続く扉。ユーリさんがソーサラーリングを使って最後の仕掛けを解けばゆっくりと開かれる。この扉の向こうにアレクセイとエステルちゃんがきっといる。わたしは胸の前で揺れるペンダントを握りしめ、風の吹き荒れる御剣の階梯を見上げて足を踏み入れた。

***

「……呆れたものだ。あの衝撃でも死なないとは」

 視界の端で光の粒が舞っている。これが全てエアルなのだとしたら戦う環境としては最悪だ。宙の戒典(デインノモス)がなかったらユーリさんたちはまともに立っていることすらできなかっただろう。こんな酷い空間にするまでに一体、どれだけの力をエステルちゃんに使わせたのか。考えただけでも背筋が凍るような思いがした。
 長い階端を駆け上って辿り着いた頂上に二人はいた。未だエステルちゃんは球体に捕らえられたままの状態で宙に浮かんでいる。アレクセイは地上からやってきたわたしたちを見ると唇の端を僅かに歪ませた。

「あやうくご期待に沿えるとこだったけどな。エステル返してぶっ倒されんのと、ぶっ倒されてエステル返すのと、どっちか選びな」
「月並みで悪いが、どちらも断ると言ったら?」
「じゃあオレが決めてやるよ」

 ユーリさんが剣を抜いたのを見てわたしも双剣を静かに抜く。これ以上、アレクセイの好きにさせるわけにはいかない。双剣を構えて強く握りしめると胸の武醒魔導器(ボーディーブラスティア)が次第に強い光を帯びていった。ふつふつと胸に湧き上がってくる怒りの感情はきっとアズサだけのものではないはずだ。

「姫の力は本当にすばらしかった。いにしえの満月の子らと比べても遜色あるまい。人にはそれぞれ相応しい役回りというものがある。姫はそれを立派に果たしてくれた」
「用が済んだってんなら、なおのこと返してもらうぜ」

 いいとも。
 ニヒルな笑みを浮かべながらアレクセイはそう言うとエステルちゃんを簡単に開放する。驚いたのもつかの間、地面に足をつけたエステルちゃんは手に持っていた剣でユーリさんに斬りかかってきた。咄嗟に剣を受け止めたユーリさんだったけれど、エステルちゃんの攻撃は終わらない。何度も剣を振りかぶってはユーリさんに襲い掛かかる。わたしは必死にエステルちゃんに呼びかけたけど反応する様子は全くなかった。

「やめて、エステルちゃん!」
「エステル! どうしたんだよ!!」
「待って。操られているようよ」

 操られてる……?
 混乱する頭でわたしはエステルちゃんを注意深く観察する。光を失った翡翠の瞳、エステルちゃんらしくない無表情。様子がおかしいのは明白だった。だからアレクセイはあんなにもあっさりと彼女を解放したのだろう。素直にエステルちゃんを渡すつもりなんてなかったんだ。相手の意図がようやく分かったわたしはキッとアレクセイを睨みつける。本当に、どこまでも下劣な男だ。

「取り戻してどうする? 姫の力はもう本人の意思ではどうにもならん。我がシステムによってようやく制御している状態なのだ。暴走した魔導器(ブラスティア)を止めるには破壊するしかない。諸君ならよく知っているはずだな」
「エステルを物呼ばわりしないで!!」
「ああ、まさしくかけがえのない道具だったよ、姫は。おまえもだ、シュヴァーン。生き延びたのならまた使ってやる。さっさと道具らしく戻ってくるがいい」

 ……この男は人を人だと思っていない。他人を、便利な道具程度にしか思っていないのだ。だからエステルちゃんを魔導器のように酷使させ、レイヴンさんを操り人形のように操った。自分の都合で好きなように。そして蒼の迷宮(アクアラビリンス)を都合の良い実験台として利用した。何が、どんな人生が、アレクセイをあそこまでの性格にさせたのだろうか。細められた真紅の瞳に恐怖すら感じてぞくりと背筋が粟立つ。
 けれど、エステルちゃんを助けるためにここで怖気づくわけにはいかないのだ。わたしは双剣を強く握りしめる。

「シュヴァーンなら可哀相に、あんたが生き埋めにしたでしょうが。俺はレイヴン。そこんとこよろしく」
「役回りがあるってのは同感だけどな、その中身は自分で決めるもんだろ」
「それで無駄な人生を送る者もいるというのにかね。異な事を」
「自分で選んだなら受け入れるよ。自分で決めるってのはそういうことだ!」
「無駄かどうかなんて、おまえに決める権利なんかないのじゃ!」
「残念だな。どこまでも平行線か」

 アレクセイが剣を抜いた。その柄に収まっていた魔核(コア)が光を放つ。するとエステルちゃんの剣を受け止め続けていたユーリさんが次第に圧されていくのが分かった。おそらくエステルちゃんの力を一時的に強めたのだろう。こんなの、まるでロボットじゃないか。やめて! とわたしは叫ぶけれどエステルちゃんには到底届かない。
 やっぱり、戦う……しかないんだろうか。横目でジュディスさんたちを見るとそれぞれ武器を構えていた。戦いたくない気持ちはきっとみんな同じだ。それでもエステルちゃんを助けるためには戦うしかない。わたしは泣きたい気持ちを抑えて武器を構える。ぐっと足元に力を込めれば胸元のペンダントが淡く赤く輝いた。


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