エステルちゃんの頭上に現れた水瓶から大量の水が降り注ぐ。これで少しでも動きが鈍ってくれればと思ったけれど、エステルちゃんの攻撃の勢いが落ちることはない。息をつく余裕もないまま今度はユーリさんたちの頭上に光の槍が現れ、わたしは素早く双剣を構えて詠唱した。ユーリさんたちの頭上に透明な壁が現れた次の瞬間、彼らに襲い掛かかる無数の槍。全て弾き終えてバリアーを解いたのも束の間、今度は彼女自身が飛び込んで剣を振るってくる。さっきからずっとそれの繰り返しだった。エステルちゃんの剣とジュディスさんの槍が激しい音を立ててぶつかりあう。

(どうしたら……)

 どうしたら、この無意味な戦いを終わらせられるのだろう。
 槍で応戦するジュディスさんの太刀筋も普段のような勢いは感じられない。当たり前だ、相手はエステルちゃんなのだから。槍の切っ先がエステルちゃんの頬を掠めて陶器のような白い肌にうっすらと赤い線を作る。けれど、彼女は気にするそぶりも見せずに攻撃を再開する。わたしたち七人に対してエステルちゃんはたった一人。もう何度も何度も攻撃を受けて身体はボロボロなはずなのにそれでもエステルちゃんの攻撃が止まることはなかった。何が何でもアレクセイはエステルちゃんにわたしたちを仕留めて欲しいらしい。
 わたしは離れた場所にいるアレクセイの姿を盗み見る。彼はエステルちゃんの戦いに夢中でわたしの視線に気づいている様子はない。

(もし、アレクセイの注意を逸らせれば……)

 アレクセイの手に浮かぶ聖核(アパティア)を奪い取ることができれば状況は変わるだろうか。エステルちゃんはジュディスさんが対処してくれている。今ならアレクセイに近づけるかもしれない。ぐっと足を踏み込んでアレクセイの元に駆け寄ろうとしたその時だった――真紅の瞳がわたしを捉えたのは。

「……っ!」

 ぞわっと全身に走る恐怖。反射的にその場から飛びのくと、視界の端でエステルちゃんの剣が振り落とされていた。さっきまで彼女はジュディスさんと戦っていたはずなのに。迷いのない剣筋は確実にわたしを殺そうとしている意思が感じ取れて息を呑む。すかさず間合いを詰めてきたエステルちゃんの攻撃を"躰"は双剣で受け止めた。とても女性の力とは思えない重たい一撃に歯を食いしばって耐える。少しでも力を緩めれば殺やれると本能が告げていた。

「アズサっ!」

 ユーリさんの鋭い声と同時に飛んできた蒼破刃がエステルちゃんの身体を弾き飛ばす。全身に入っていた力が一気に抜けて堪らずわたしはその場に座り込んでしまった。友達に命を狙われたという事実が思っていた以上にショックだったのかもしれない。どくどくと心臓の音が耳から離れてくれなかった。浅い呼吸を繰り返してなんとか気持ちを落ち着かせているとユーリさんが心配そうにわたしの顔を覗き込む。

「アズサ無事か!?」
「わたしは大丈夫です……」

 だけど、エステルちゃんは……。
 慌ててエステルちゃんの方を見ると彼女はふらふらとしながらも武器を構えていて。どこもかしこも傷だらけで、それでも未だに戦う姿勢を見せる彼女の姿にぐっと目頭が熱くなる。いつまでこんな不毛な戦いを続けなければならないのだろうか。
 けれどわたしが双剣を握り込んで立ち上がったその時、エステルちゃんの身体がぐらっと傾いた。既に彼女の身体は限界を超えていたのだ。

「エステルちゃんっ……!」
「ふむ、パワーが足りなかったか?」

 ぽつりとアレクセイが呟くとエステルちゃんの身体から眩い光が放たれる。何か来ると咄嗟に双剣を構えた次の瞬間、彼女の悲痛な叫びと共に衝撃波がわたしたちを襲った。身体ごと後ろにもっていかれそうな程の圧力に足を踏ん張ることで懸命に耐える。ようやく勢いが弱まって瞼を持ち上げるとユーリさん以外のみんなが硬直したように動けなくなっていて、今のがエアルを利用したものだとすぐに分かった。ユーリさんは宙の戒典(デインノモス)のお陰で辛うじて動けるようだけど剣を握る腕は微かに震えている。

「諸君のおかげでこうして宙の戒典にかわる新しい『鍵』も完成した。礼といってはなんだが、我が計画の仕上げを見届けていただこう。……真の満月の子の目覚めをな」

 空が、不気味なほどに赤く染まる。小刻みに揺れ始める地面。上空に光が集まっていき見上げているとやがて大きな紋章が浮かび上がった。じわじわと光を強めていったそれは一瞬だけ強い光を放つと海を真っ二つに割ってしまった。これだけでも呆然としてしまうのに更に驚いたのは割れた海の底から巨大な指輪のような形をした建物が浮かび上がってきたから。そして、それはミョルゾで見た壁画に描かれていた建物にとても良く似ていた。

「くくく……ははは……成功だ! やったぞ、ついにやった!! あれこそ、古代文明が生み出した究極の遺産! ザウデ不落宮! かつて世界を見舞った災厄をも打ち砕いたという究極の魔導器(ブラスティア)!」
「魔導器!? あれが……」
(世界を見舞った災厄、)

 おそらくアレクセイが言っているのは星喰みのことだろう。だけど、あれが真の満月の子とはどういう意味なのだろうか。

(でも、そんなこと今はどうだっていい)

 恍惚と笑みを浮かべて魔導器に夢中になっている今がアレクセイに近づける最大のチャンスだ。密かに双剣を握りしめてもこちらに気づく様子は全くない。胸の武醒魔導器(ボーディブラスティア)が赤く光ってゆく。鼓動が早くなっているような気がするのはわたしとアズサのどちらの"魂"の影響なのだろう。足に力を込めて地面を蹴れば一気にアレクセイとの距離が縮まる。背後でユーリさんがわたしを引き止める声が聞こえたけれど構わずに双剣を振り上げた。

「アズサ!」

 ガチン、と鈍い金属音が響く。魔核(コア)の光った剣が目の前に立ちはだかってわたしの意思か彼女の意思か分からなかったけれど気づけば小さく舌打ちをしていた。今までわたしのことなど見向きすらしていなかったというのに。二本の剣を一本の剣で止めたアレクセイはにやりと口元を歪ませる。

「君はやはり貴重な存在だよ。やはり早い段階でこちらに引き入れておくべきだった」
「エステルちゃんを返して!」

 一度距離を取って即座に魔術を発動させる。たとえ低級でも強力な水の魔術を出せるのはきっとアズサが得意とする属性だからなのだろう。アレクセイの周りに現れる大量の渦潮。しかしそれは彼を襲う前に剣の魔核の力によってかき消されてしまった。わたし自身にエアルの影響がないならわたしが発動した魔術も通用するのではないかと思ったけれど、なかなか思うようにはいかない。

「……ショーは終わりだ。幕引きをするとしよう。姫、ひとりずつお仲間の首を落として差し上げるがいい」
「っ……!」
「てめぇ……!」
「姫も君たちがわざわざここに来たりしなければ、こんなことをせずにすんだものを。我に返ったときの姫のことを思うと心が痛むよ。では、ごきげんよう」

 そう言うと、アレクセイの足元に風が浮かび上がる。わたしは剣を振りかぶったけれどそれは空を切るだけだった。

「アズサ避けろっ!」

 ユーリさんの声でハッと意識を戻すとエステルちゃんの剣がまっすぐわたしに振り下ろされようとしていた。咄嗟にその場から飛びのいて彼女の攻撃を避ける。受け身を上手に取れなくて腕を軽く擦りむいてしまったが、斬られて怪我を負うよりずっとましだ。僅かに顔を歪めながらも立ち上がる。キン、と金属がぶつかる音がして慌てて顔を上げればユーリさんが宙の戒典でエステルちゃんの剣を受け止めていた。

「ユーリさん……!」

 どうしよう、どうしたらいいんだろう。エステルちゃんを支配しているアレクセイはいなくなってしまった。助けたくてもわたしとユーリさん以外は高濃度のエアルにあてられて未だに身動きが取れない。助けたいのに、もう助けることはできないのだろうか。エステルちゃんを斬るしか止められる方法はないのだろうか。頭の中はパニック寸前でじわりと視界が滲み始めたその時だった。

「これ以上……誰かを傷つける前に……お願い……」

 殺して。
 それは以前も聞いたエステルちゃんの悲しい祈り。ユーリさんは口元を静かに引き結ぶと、宙の戒典を強く握りしめた。

「今……楽にしてやる」

 二人の剣が激しくぶつかり合う。一進一退の攻防に素人のわたしが入り込める隙間などなく、ただ固唾を飲んで見守ることしかできなかった。エステルちゃんの剣がユーリさんの脇腹を貫きそうになって思わず目を逸らす。一番辛いのは戦ってる二人のはずなのにどうしても目尻から溢れる雫を止められなかった。わたしは祈るように両手を胸の前で押さえる。

「帰ってこい! エステル!」

 どちらかが倒れるまできっとこの戦いは終わらない。絶望すら感じていた矢先、ユーリさんの言葉でエステルちゃんの動きが不意にぴたりと止まった。

「おまえはそのまま、道具として死ぬつもりか!?」
「わた……わたしは……」

 震えるエステルちゃんの手から剣が滑り落ちる。

「わたしはまだ人として生きていたい!!」

 ずっと虚空を見つめていたままだったエステルちゃんの瞳には大量の涙が浮かんでいた。彼女の体から柔らかな光が放たれる。その光は上空に昇っていくと不思議なことに真っ赤に染まっていた空を青に染めていく。やがて何かが地面に倒れ込む音が聞こえて視線を前に戻せば、そこには力なく横たわるエステルちゃんの姿。一瞬、息が止まるかと思った。慌てて駆け寄って彼女の手を握りしめると手のひらに伝わってくる確かなぬくもり。うっすらと開いた翡翠の瞳がわたしの姿を捉えると微かに細められる。そこにはもう一度見たいと思っていたエステルちゃんの微笑みがあって鼻の奥がつんとした。

「アズサ……」
「エステルちゃんっ」

 良かった、生きてる。ホッとしながらエステルちゃんを助け起こそうとした時のことだった。上体をぐいっと引っ張られたかと思うと強い力で突き飛ばされる。エステルちゃんの予想外の行動に瞳を瞬かせていると彼女の身体が赤い球体に取り込まれた。まだアレクセイの施したシステムが解除されていなかったのだ。エステルちゃんがわたしを突き飛ばしたのは巻き込まないためだったのだと気付かされる。

「アレクセイの剣が要だったんだわ。このままでは……!」

 エステルちゃんを取り込んだ球体から突然ほとばしる赤い波動。それはユーリさんたちを襲い身体中にたくさんの傷を作る。エステルちゃんの意識は戻っているのに、彼女自身も暴走を止められない様子だった。逃げて、と小さく呟くエステルちゃんの声が聞こえる。

「大丈夫だ、仲間を信じろ!!」

 ユーリさんの言葉にエステルちゃんは大きく瞳を見開いた。そしてうっすらと目を細めて力なく微笑んだ。
 ようやく自由に動けるようになったリタちゃんが早速、空中にパネルを浮かび上がらせて操作を始める。モニターに浮かんだ大量の文字を見上げてリタちゃんは感嘆の声を漏らした。アレクセイの作ったシステムはその道のプロである彼女ですら関心する程の出来だったらしい。

「……すごい……。エステルとの同調も完璧。干渉術式不活性化調整データ、余剰エアル隔離術式もそろってる。でも肝心の聖核(アパティア)の代わりをどうしたら……」
「この剣使ってみたらどうだ!? アレクセイが使ってたやつの本物だろ!?」
「……やってみる!」

 パネルを必死に打ち込むリタちゃんの周りにジュディスさんやカロルくんたちが集まっていく。エアルに関してわたしは本当に無知だ。こういう時はただ見守ることしかできない。それならとわたしはエステルちゃんを取り込む球体に手を伸ばす。彼女はわたしの心配をして距離を取ってくれたんだと思うけれど、これがエアルでできているものならきっと影響を受けないはず。おそるおそる伸ばした指先は球体の壁をすり抜けて中に入り込む。ほんの少しぱちぱちと静電気のようなものが走る感覚がしたけれど、こんなのエステルちゃんの痛みに比べたら全然気にならない。球体の中で戸惑うエステルちゃんの手を奪い取るようにして強く握る。

「絶対にみんなが助けてくれるから――だから諦めないでエステルちゃん」
「アズサ……」
「言ったろ。信じろって。凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)はやるときゃやる。そんな顔すんなって」
「……はい!」

 リタちゃんの合図でユーリさんが宙の戒典をかざす。目の前が強烈な光に包まれてわたしは思わず瞼を閉じた。やがて耳に触れたのはガラスのようなものが割れる音。それが何か確認する前にずしっと重たい何かが覆いかぶさってきて足元がよろけた。うわっ、と声が漏れて身体が後ろに傾く。ろくに目も開けられずそのまま地面に頭を強く打ち付けるかと思ったその時、わたしの背中は暖かいものに包まれた。

「頑張ったな」

 それは誰に対してのものだったのか。耳朶に触れたユーリさんの優しい声に閉ざしていた瞼をパッと持ち上げる。肩越しに振り返ればわたしを抱き留めてくれたユーリさんが微笑んでいて、わたしの腕の中にはエステルちゃんがいた。触れ合った胸からはとくんとくんと確かに心臓の音が響いている。そこで初めてわたしはエステルちゃんを助けることができたのだと理解した。ユーリさんは腕を伸ばすとわたしごとエステルちゃんを抱きしめる。

「……おかえり」
「……ただいま」

 後ろからも前からもぎゅうぎゅうと抱きしめられてちょっぴり息苦しい。でも、今はその息苦しさすらも嬉しくてわたしはずっと繋いでいた手を解いてエステルちゃんの背中に回して力いっぱい抱きしめた。


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