021


「わたし、エステリーゼって言います。エステルって呼んで下さい」
「えっと……エステル、さん? 初めまして、アズサです」
「ユーリからお名前は聞いてます。わたし、年の近いお友達がいなかったので会えて嬉しいです。よろしくお願いします、アズサ」 

 ふわりと花のように笑う彼女の名前はエステリーゼさんというらしい。バタバタと下町を飛び出してようやく追いついてきた頃、ひょっこりと横から顔を覗かせた彼女は人懐っこい笑みを浮かべながら自己紹介をしてくれた。わたしもうっすらと笑みを作る。

「……エステルさんも結界の外に用事があったんですか?」
「わたし、どうしてもフレンに会わないといけないんです。その為に花の街ハルルに行きたいんです」
「フレンさんって、騎士団でユーリさんのお友達の……?」
「そうです。アズサもフレンをご存知なのですね!」

 そっか、エステルさんはフレンさんの知り合いなんだ。それにしても、ハルルという街はどこにあるんだろう。エステルさんの話を聞きながら頭に疑問符を浮かべていると前を歩いていたユーリさんがわたしたちの会話を聞いてか「アスピオ行く途中にハルルもあんだよ」と教えてくれた。なるほど、通り道だったから一緒に行くことにしたのか。
 フレンさんに会う為に帝都の外に出ようなんて思えるエステルさんはすごい。わたしなんて今も魔物に遭遇しないか内心びくびくしているというのに。ちらりと横目に映るエステルさんの腰には杖と盾が装備されている。単なる護身用なのか、それともユーリさんと同じように実戦用なのだろうか。見た目のおっとりとした雰囲気からは想像もできないけれど。
 エステルさんがフレンさんに会う理由は教えられないとのことだったのでわたしも深く追求せずに「そうなんですね」と答えるに留めた。自分の境遇を根掘り葉掘り聞かれて困るのは正直言ってわたしも同じだったから。それから他愛もない会話をエステルさんとしていると不意に彼女の視線が下に動く。

「アズサ、それ素敵ですね」
「?」

 一瞬、何に対して言われたのか分からず首を傾げるわたしにエステルさんは不思議そうな顔をしながら指先で軽く自分の胸元を叩いた。

(胸……?)

 エステルさんの視線の先を追いかけるように自分の胸元を見下ろして「えっ!?」と大きな声が漏れる。ちょっと声が大きすぎてしまったのか、ユーリさんが驚いたように振り返った。

「なんだよアズサ、いきなり大声出して」
「す、すみません。あの、でもこれっ……!」
「なに?」

 怪訝そうにこちらを見たユーリさんだったけれど、わたしが指さした正体に気が付くと僅かに眉間に皺を寄せた。何故こんなものがわたしのところにあるのか分からない、そんな顔をしている。けれどその理由を知りたいのはこちらも同じだ。
 わたしは戸惑いながら再び自分の胸元を見下ろす。そこには下町を出る直前までは間違いなくなかったものが存在していた。ティアドロップのシルバーのペンダント。その真ん中では見覚えのある小さな紅い球が光っていた。

「武醒魔導器(ボーディブラスティア)じゃねえか。アズサの――なわけないよな」
「わたしもエステルさんに言われて気が付いて……。たぶん色々頂いていた時に紛れちゃったんだと思うんですけど」
「ああ、あの時か」
「どうしよう大事なものですよね……きっと」

 この世界で魔導器(ブラスティア)は非常に高価なものらしく、簡単に手に入るものではない。だからこそ下町の人たちは水道魔導器(アクエブラスティア)を大切に扱っていたし、調子が悪い時は高いお金を払って修理をお願いしていた。帝都を出る時下町の人たちからは本当にたくさんのものを貰ったけれど、まさかこんな貴重なものを餞別品にするとは思えない。きっと持ち主は血相を変えて探しているのだろう。わたしはペンダントを外してユーリさんに渡す。ユーリさんは意外にも冷静な表情で武醒魔導器を覗き込んでいた。
 どうしよう、返しに戻った方がいいのだろうか。わたしはそっとユーリさんの様子を伺う。ラピードも気になるのかユーリさんの手のひらに乗っている武醒魔導器に近づいて鼻をひくひく動かしていた。

「――下町で武醒魔導器持ってるやつなんかいねえよ。使い道の分からない魔導器持ってるくらいなら売った方がよっぽど価値があるからな」
「じゃあ、この武醒魔導器は……」
「今さら持ち主探すために下町に戻るわけにはいかないだろ」

 わたしは肩越しに振り返る。あんなに大きかったはずの帝都はもう豆粒ほどしか見えていない。確かにユーリさんの言うとおりだ。せっかく騎士団の追っ手を振り払えたというのに戻ってしまったら意味がなくなってしまう。

「ま、しばらく借りておこうぜ」
「…………そうします」

 いつの間にかわたしの首元にぶら下がっていた武醒魔導器。本来の持ち主には申し訳ないけれど、魔核(コア)泥棒を見つけて下町に戻るまでの間は拝借させてもらうのが無難なのかもしれない。わたしはユーリさんから受け取ったペンダントを首にかける。きらりと光るシルバーはまるで新品のように綺麗に磨かれていた。
 そういえばこの魔導器はどうやって使うものなのだろう。まさか水道魔導器のように使うとは考えにくい。わたしはペンダントを指でなぞりながら唇を開いた。

「あの、武醒魔導器ってどんな時に使うんですか?」
「装備者の身体能力を高めてくれるんです。きちんと訓練すれば魔術も使えるようになりますよ」
「まじゅつ……?」

 魔導器や魔核、少しずつこの世界の専門用語を理解できるようになってきたというのにまた知らない単語が現れた。魔術ってなんだろう……魔法みたいなものなのだろうか。それを使えるようになるの? このペンダントひとつで?
 エステルちゃんがきょとんと瞳を丸くする。わたしが疑うような視線をペンダントに送ったのが不思議だったのだろう。どうやら武醒魔導器を持っていれば魔術が使えるようになるのは知っていて当然の知識らしい。わたしは必死に苦笑いで誤魔化した。
 あとで武醒魔導器についてこっそりユーリさんに教えてもらおう。


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