022


 エステルさんの目指す花の街ハルルに向かうには、まずデイドン砦という場所に向かわないといけないらしい。下町を出て数時間、ひたすら歩いてわたしたちはデイドン砦に到着した。ここは街というよりかは小さな集落のようなところであり、中でも砦を取り囲む巨大な石造りの外壁が目立つ。下町で暮らしていた頃にも思っていたことだけど、この世界では魔導器(ブラスティア)という非常に便利な道具がある一方で科学が発達していないと感じることも多い。わたしは自分の何倍もある大きな木の門を見上げながらぼんやりと思った。どうやらあの門の向こうがエステルさんの目指すハルルに繋がっているらしい。
 てっきりこのままデイドン砦を抜けるものだと思っていたから不意に前を歩いていたユーリさんたちが足を止めたのを見て内心首を傾げる。不思議に思いながらユーリさんたちの視線の先を見つめる。個人的に辺りに気になるものは見当たらないけれど……。

「ユーリを追ってきた騎士でしょうか?」
(騎士……?)

 言われてみれば確かにあちこちに騎士の姿は見つけられる。けれど、騎士がユーリさんを追いかけているとはどういうことなんだろう。隣に立つエステルさんが可愛らしく首をこてんと傾ける。綺麗に切り揃えられた桃色の髪が彼女の動きに合わせて揺れていた。
 口振りからしてエステルさんはユーリさんが騎士に追いかけられている理由を知っているらしい。そういえばここまでバタバタしていて全然聞けていなかったけれど、そもそもエステルさんがどういった経緯で一緒に行くことになったのだろう。
 わたしはちらりとユーリさんに視線を向ける。ユーリさんの瞳はデイドン砦を巡回する騎士に向けられたままだった。

「どうかな。ま、あんまり目立たないようにな」
「はい。わたしも早くフレンに追いつきたいですから」
(……?)

 どうにも話が理解できない。せっかくルブランさんを撒いたのにまだ騎士団から隠れる理由が。
 情報集めに向かいそうなユーリさんにせめても騎士から隠れる理由を聞く為、わたしは「あの、」と口を開いた。切れ長の紫黒の瞳がわたしを見下ろす。

「どうして目立ったらいけないんですか……?」
「悪い。そういや、アズサには言ってなかったな」

 軽い謝罪の言葉と共にユーリさんが話し始めたのは水道魔導器(アクエブラスティア)の前で別れた後から今朝までの出来事。貴族街で騎士に掴まって牢屋に閉じ込められたこと、逃げ出す途中で偶然エステルさんと出会ったこと、お互いに城の外を目指していたことから利害が一致して下町まで戻って来たこと。最初はわたしも落ち着いて話を聞けたけれど、最後の方は冷や汗が止まらなくなっていた。エステルさんの身なりや仕草からしてきっと彼女は上流階級の人間だ。そんな人が無許可でお城を飛び出している。しかも傍には騎士団が目の敵にしている下町の有名人。何も事情を知らない人から見たらとんでもない構図になっているはずだ。
 わたしだってユーリさんのことを知らなければきっとこう思ってしまう。

「それって、ユーリさんがエステルさんを誘拐したって思われてるんじゃ……」
「ま、そういうことだからよろしく頼むわ」

 ――なんだか、とんでもないことに巻き込まれてしまったのかもしれない。
 エステルさんの様子からしてユーリさんが無理矢理連れてきたとは思わないけど、ユーリさんができるだけ目立ちたくないと言った理由は十分に理解できた。無事にエステルさんをフレンさんのもとに届けるまで何が何でも騎士に捕まるわけにはいかない。彼らがわたしたちの主張に耳も傾けてくれないのは下町で暮らしていた頃に十分沁みついている。わたしは青ざめた表情のまま無言で首を縦に振った。

「んじゃ、さっさと砦を抜けますか」
「そうしましょう、今すぐ……!」

 一刻も早くエステルさんをハルルの街に連れていきたい。それにわたしとユーリさんの本来の目的地はアスピオだ。その前に騎士に捕まってしまったら水道魔導器の魔核(コア)を取り戻すどころではなくなってしまう。必死の形相のわたしにユーリさんは軽く笑みを浮かべると一歩踏み出そうとして……何故かその場に踏み留まった。もしかしてもう騎士に見つかってしまったのだろうか。ぐるりと周囲を見渡すが、特にわたしたちを気にしている人物は見当たらない。
 それよりもさっきまで近くにいたはずのエステルさんの姿が見当たらない。

「エステルさん……?」

 きょろきょろと辺りを見渡していると、少し離れた場所にエステルさんの姿を見つけた。にこやかな笑みを浮かべる商人のおじさんの近くで熱心に本を読んでいる。近づいて「エステルさん?」と声をかけても返事はなく、彼女の視線は一心に活字へと向けられていた。
 エステルさん、早くフレンさんに追いつきたいんじゃなかったんだろうか。周りの騎士の目線も気になっておろおろするわたしにラピードが落ち着けとばかりに一吠えする。思いの外大きかったラピードの声にわたしは肩を震わせたけれど、それでもエステルさんの顔が上げられることはなかった。余程興味のそそられる本なのだろう。
 隣に立つユーリさんが呆れたように肩を竦めた。

「ほんとに分かってるのかね」
「どう、でしょうかね……」

 悪い子ではないんだろうけど……少し不思議な子だな。
 わたしは未だに本を熱心に読むエステルさんを見つめて苦笑いを浮かべた。


top