024


 休憩所でこんな噂話を聞いた。魔物の群れが襲ってきた時に門の外に取り残された子どもを助けようとした人物がいたらしい。一人は犬のような魔物を連れた長髪の美人、もう一人は桃色の髪が特徴的な女の子だったと。誰のことなのかすぐに分かった。
 わたしはハッハッと息を切らしながら坂道を駆け上がる。話を聞いて気が気じゃなかった。それにしても目立たないようにと自分で言っていたはずなのに早速トラブルに見舞われてて流石ユーリさんというか、なんというか……。

(大丈夫かな、二人とも)

 なんとか集合場所である広場まで辿り着いたわたしは呼吸を整えながら目的の人物の姿を探した。二人とも目立つ容姿をしているからぐるりと周囲を見渡せば簡単に見つけられた。デイドン砦を守る大きな門の前に立っていたユーリさんとエステルさんを見つけてホッと安堵の息を吐く。先程まで開いていたはずの門が閉まっていたからきっとこの門が閉まりそうになった時に助けに入ったのだろう。本当だとしたらかなり無茶をしたのではないだろうか。

(でも良かった、特に大きな怪我もなさそうで……)

 そんなことを思っていた矢先、突然エステルさんが膝から崩れ落ちる。ぞわっと背筋が凍るような感覚がした。
 
「エステルさん!」

 思いの外大きくなってしまった声にユーリさんとエステルさんの瞳がこちらを向く。エステルさんの薄い唇がわたしの名前を紡いでいた。
 わたしは慌ててエステルさんのところまで駆け寄って膝の上に乗った手に自分の手を重ねる。きゅっと力強く握るとエステルさんの瞳がぱちくりと瞬いた。

「あの、アズサ……?」
「大丈夫ですか! どこか怪我でもしたんですか?」
「安心しろ。気が緩んだだけだからな」
「え?」

 きょとんとするわたしを覗き込んでユーリさんは楽しげに笑う。もう一度エステルさんを見ると彼女は照れくさそうに微笑んでいた。わたしは手の力を緩める。

「そう……だったんですね」
「はい。心配してくれてありがとうございます、アズサ」

 そっか、怪我したわけじゃなかったんだ。良かった……。
 強張っていた身体から力が抜けていく。勘違いしていたわたしを笑いもせず、エステルさんは優しく微笑んだ。まだ出会ってから間もないけれど――エステルさんはすごく、優しい子なんだろう。わたしは「何事もなくて良かったです」とうっすら口角を持ち上げた。
 別行動している間に何があったのか聞いてみると、どうやらさっき聞いた噂話は本当だったらしい。しかもそれが原因で騎士団に目をつけられてしまったかもしれないという。確かに、周囲に目を向けるとちらほらと騎士団の視線がこちらを見ているような気がする。その中の一人と目が合いそうになって慌ててわたしは瞳を伏せた。昨日の今日だからどうにも周りの視線が気になってしまう。
 俯いたわたしを見てエステルさんが不思議そうに名前を呼ぶ。ハッと我に返ったわたしは無理矢理笑みを作って「なんでもないです」と苦笑交じりに応えた。

「そういや、なにか情報あったか?」
「……これといって良い収穫はなにも。ユーリさんたちは何かありましたか?」

 服の裾についた土ぼこりを払いながら尋ね返すとふたりは互いに顔を見合わせて微妙な顔をした。お互いに有益な情報は得られなかったみたいだ。

「一応、別の抜け道がないかも聞いてはみたんですけど誰も知らないみたいで……」
「こっちも似たようなもんだ」

 平原に抜けるための道は巨大な門によって阻まれている。この門の向こうにまだたくさんの魔物がいると思うととてもじゃないけれど通る気にはなれなかった。流石にユーリさんも強行突破するつもりはないらしい。

「あの様子じゃ、門抜けるのは無理だな」

 眉を潜めるユーリさんの視線を追いかけると目深にフードを被った男の人が騎士と揉めている。その傍らには大きなブーメランのような武器を背中に背負った女の子の姿もあって静かに目を見張った。この世界ではあんな小さな女の子ですらも武器をとらないといけないらしい。大変な世界だ、本当に……とても。
 騎士団の注意が彼らに向いているのを好機にこっそりと広場を離れる。けれど、ハルルへと向かう道が未だに見つかっていないのでもう一度聞き込みをしようということになった。二人の後ろを歩きながら、ふとわたしは考える。脳裏に蘇るあの射貫くような紅い瞳。結局、あの人は何者だったのだろう。

(言った方がいいのかな)

 だけど、あの人との会話を上手く説明できる自信がなかった。わたし自身よく分かっていないのに、下手なことを喋ればユーリさんに妙な疑いをもたれてしまうかもしれない。それなら――言わない方がいいだろう。
 俯き加減で歩いていると隣にラピードが近づいてくる。ああ、そういえばラピードもなかなか勘の鋭い持ち主だったっけ。軽く鼻を鳴らしたラピードにそっと微笑みかける。言葉が通じないだけ気が楽だと思った。

(不安定、か……)

 あの人に言われた言葉がいつまでも胸に残っている。
 ふわふわと現実味を帯びないまま、この世界を生きているわたしは確かに不安定な存在なのかもしれない。


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