026


 ずきずきと痛む頭をこめかみを抑えることでなんとか耐える。放っておけば勝手に治ってくれるかと僅かな希望にかけてみたけれど、どうやらダメだったみたいだ。
 結局、ハルルの街にフレンさんはいなかった。結界魔導器(シルトブラスティア)の役割を持っているというハルルの樹が枯れてしまったと聞いて、直してくれる魔導士を探しに街を出てしまったらしい。街にフレンさんがいないと知って少し落ち込んだ様子のエステルさんだったけれど、街の人たちの言ってたことが本当ならこの街に留まっていればきっとフレンさんは魔導士を連れて戻ってくる。確実にフレンさんに会えると分かってエステルさんはホッとしたように胸を撫で下ろしていた。
 
「土をよく見て。変色してるでしょ? それ、街を襲った魔物の血を土が吸っちゃってるんだ。その血が毒になって、ハルルの樹を枯らしてるの」

 カロルくんが指さした地面をよく見てみると確かに他の場所と比べて赤黒く変色している。一体どれだけの魔物がこの場所で血を流したのだろう。急に魔物に襲われた時の記憶が蘇ってきて背筋が凍った。あんまり思い出したくない記憶なのにふとしたきっかけで簡単に蘇ってきてしまう。
 フレンさんの一件が落ち着いたところでわたしたちはハルルの樹の様子を見に来ていた。今の時季、本来なら満開の花を咲かせるはずの樹がどうしてか枯れ始めているらしい。このままだと結界魔導器として動かず、また街が魔物に襲われてしまう。解決策はないのだろうかとみんなで頭を悩ませていた時、糸口を見出したのはさっき別れたはずのカロルくんだった。
 
「なんと! 魔物の血が……そうだったのですか」

 偶然通りがかった住民のおじいさんも初めて知った情報に目を見開いていた。毒……毒か、水分や栄養が足りないのとは話が違う。土に異常があるのなら入れ替えるという方法はあるけれど、相手は街で一番の大木だ。あまり現実的な方法ではないだろう。この世界に機会はほとんど存在していないだろうからその作業はほとんど人の手によって行われるはず。けれど、ハルルの街は魔物に襲われたばかりでエステルさんの治癒術が必要な程に人手を欲していた。とてもじゃないけれどできるとは思えない。きっとその前にハルルの樹は枯れてしまう。

「カロルは物知りなんですね」
「……ボクにかかれば、こんぐらいどうってことないよ」

 視線を下に落として呟いたカロルくんの声は暗い。ハルルの樹に向かう途中で見かけた時もあんまり元気がなかったけれど、どうしたんだろう。街に入ってから別れるまではあんなに元気だったのに。鈍く痛む頭を堪えながらわたしはカロルくんの様子を伺っていると、視界の隅で紫黒の髪が揺れた。きっとユーリさんもカロルくんの様子がおかしいことに気が付いているのだろう。けれどユーリさんはいつもの声色でカロルくんに尋ねる。

「その毒をなんとか出来る都合のいいもんはないのか?」
「あるよ、あるけど……誰も信じてくれないよ……」

 小さく呟いたカロルくんの表情がますます暗いものに変わっていく。今にも泣いてしまいそうな声に流石のエステルさんも不安そうにカロルくんの名前を呼んだけれど返事はない。きゅっと唇を引き結んでカロルくんは口を開こうとしなかった。

「なんだよ、行ってみろって」

 そんな中でも普段通りに接するのがユーリさんで、一向に顔を上げようとしないカロルくんに近づいたかと思うと膝をついて顔を覗き込む。下町でもよくテッドくんたちの相手もしていたから接し方が分かっているのだろう。静かに二人を見守っているとそろそろとユーリさんに視線を合わせたカロルくんはやがてゆっくりと口を開いた。

「パナシーアボトルがあれば、治せると思うんだ」
「あの、エステルさん。パナシーアボトルって……?」
「解毒剤です。飲めば毒が治ると言われています」

 なるほど、解毒剤。それがあればハルルの樹が吸ってしまった毒素を治すことができるらしい。エステルさんの口ぶりからすると人が使う物のような気がしたけど、植物にも効果はあるんだろうか。どこか現実離れした解決法にやはり非日常を突きつけられる。

「パナシーアボトルか。よろず屋にあればいいけど」
「行きましょうユーリ! アズサ!」
「――そうですね」

 どんな代物なのかさっぱり分からないけれど、そのパナシーアボトルなるものを手に入れればハルルの樹は治せるらしい。勢いよく進むエステルさんの後に続こうと一歩踏み出したとき、肩にとんと誰かの手がのせられて肩が震えた。エステルさんはわたしの前を歩いているし、カロルくんはわたしより身長が低いから手がのせられるはずがない。ラピードはもちろん論外だ。
 ――そうなると必然的に誰の手なのか分かってくるわけで。わたしはおそるおそる背後を振り返った。にんまりと口元を緩めるユーリさんに思わず顔が引きつった。あまりいい予感がしない。

「あの、ユーリさん……?」
「アズサ、やっぱおまえ宿屋行きな」
「えっ」
「足元ふらついてるの気付いてないだろ」
「そ、そんなこと……うわっ」

 掴まれていた肩をぐっと強く引かれて身体が後ろに傾く。普段なら踏ん張れる足も下町からの長距離の移動で上手く力が入らなくなっていた。おまけにハルルの街に着いてから一向に治らない頭痛。わたしは完全にバランスを崩してその場に座り込んでしまった。「アズサっ!?」と驚くエステルさんとカロルくんの声が降ってくる。何とか身体を打ち付けずに済んだのはラピード咄嗟にがわたしの背中に入り込んで支えてくれたおかげだ。
 顔を上げるとしゃがみ込んでにっこりと笑みを浮かべるユーリさんと視線がぶつかる。けれどその瞳は全く笑っていなくてこれは完全に誤魔化してるのがバレてると確信した。流石にこれ以上は隠しきれそうもなくてわたしは静かに頷いた。


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