029


「通行許可証を願います」
「許可証、ですか……?」

 学術都市アスピオ。そこは太陽が届かない洞窟の中にあった。当然、街の仲は薄暗くてとてもじゃないけど人が暮らすような場所ではないと思ったけれど、騎士が守る大きな門の向こうには灯りに照らされた建物やそこに住む人たちの姿が見えて内心驚く。陽の光を浴びずに生活していて気が滅入ったりしないのだろうか。暗い場所が苦手なわたしにはさっぱり分からない。

「薄暗くてジメジメして……おまけに肌寒いところだね」
「街が洞窟の中にあるせいですね」
「太陽見れねぇと心までねじれてくれんのかね、魔核(コア)盗むとか」

 気味が悪いと感じたのはわたしだけではなかったようで、ユーリさんたちも口々に言いたいことを言っている。最後のユーリさんの言葉には流石に苦笑いを浮かべるしかなかったけれど。
 本当ならアスピオを訪れるのはわたしとユーリさん、それからラピードのはずだった。それが急遽エステルさんとカロルくんも加わったことには理由がある。
 昨夜、ハルルの樹から戻って来たユーリさんたちと合流するとすぐに街を出ようという話になった。なんでもザーフィアス城で一悶着あった人たちを見かけたらしい。てっきりルブランさんたちのことかと思ったけれどどうやらまた違う人たちらしく、どれだけお城で問題を起こしてきたんだろうかと思ったけれどその場で詳しく話を聞くわけにもいかず素直に頷いた。わたしもできることなら何事も穏便に過ごしたい。

「フレンが向かったのも東でしたよね?」
「ああ」

 わたしとユーリさんが追いかけている魔核泥棒はアスピオというに住んでいるという情報をハルルの長から聞いた。アスピオは魔導器(ブラスティア)の研究を生業としている街で魔導士がたくさん住んでいるらしい。もしかしたら魔導士を探しに行ったフレンさんもその街にいるかもしれないということになりエステルさんも一緒に行くことになった。カロルくんは……他の街に用事があったらしいのだけど離れるのが寂しくなったのかなんだかんだと可愛らしい言い訳でついてくることになった。そして、本来の姿を取り戻したハルルの街を出て魔物が巣食う平原をくぐりぬけて明け方にアスピオに辿り着いた。
 騎士に近づくと兜から冷たい視線が刺さる。この街は帝都の直属の街で内部の情報を漏らさないために警備が厳しいらしい。通行許可証を提示しろという騎士に対して戸惑うエステルさん。隣に立っていたカロルくんがわたしを見上げ「そんなの持ってるの?」とひそひそ声で尋ねてくる。カロルくんの質問にわたしは黙って首を横に振った。「じゃあ、入るのは難しいかもね」とカロルくんは眉を潜める。

「中に知り合いがいんだけど、通してもらえない?」
「正規の訪問手続きをしたなら、許可証が渡っているはずだ。その知り合いとやらがな」
「いや、何も聞いてないんだけど。入れないってんなら呼んできてくんないかな?」
「その知り合いの名は?」

 どうやらアスピオに入るにはなにがなんでも通行許可証が必要らしい。これは、なかなか厳しいかもしれない。
 それにしても、ユーリさんの言う知り合いとは誰のことだろう。もしかしてフレンさんだろうか。ぼんやり考えているとユーリさんは思いもよらない人物の名前を口にした。

「モルディオ」

 その名前を聞くと騎士は明らかに狼狽した。表情を読み取りにくいはずの甲冑姿でも分かりやすいほどに。わたしはカロルくんと視線を合わせて互いに首を傾げる。モルディオという人物は相当な有名人らしい。この反応はもしかしたら通れるかもしれない。そんな淡い期待を胸にしたのもつかの間、騎士は「やはり通行許可証を手に入れてから来い」とわたしたちを街の中に入れることを拒んだのだ。

「都合よく開いちゃいないか」
「古そうな扉なんですけどね……」

 ドアノブをがちゃがちゃと回しユーリさんは呟く。長年使われていないとみえて、あちこちで木の軋む音が聞こえた。
 結局正面から入ることを諦めカロルくんの提案の元、他の出入り口を探すことになった。どこかに裏口はないか、通れそうな抜け穴はないか。そうして騎士の警備する門から少し離れた小道に見つけた一枚の扉。藁にも縋る思いでドアノブを回してみたが、そう簡単に上手くいくはずもなく。しょんぼりと項垂れるエステルさん。大きな瞳が悲しげに揺れていた。

「壁を越えて、中から開けるしかないですね」
「早くも最終手段かよ……」
「フレンが出てくるのを待ちましょう」

 「フレンさんに頼んで通行許可証を発行してもらいましょう」と正規の方法で入るのが一番だと主張するエステルさん。それに対して「あいつはこの手の規則にはとことんうるさいからな」と多少強引でも街に入ろうとするユーリさん。あまりにも両極端は意見にどちら側の味方をすればいいのか分からなくなる。どちらかといえばわたしもエステルさん側につきたいところだけど多分それだとずっとアスピオには入れそうにない。このままでは口論にもなりかねない状況でどうしたらいいだろうと考えていると視界の端で扉の前にしゃがみこむカロルくんの姿が映った。

「カロルくん、なにしてるの?」

 背後から覗き込むと真剣な表情で細い針金を鍵穴に入れては巧みに動かすカロルくん。さあっと冷たいものが背筋を走った。
 わたしの勘違いでなければ、カロルくんは扉を開けようとしている。実に古典的で――犯罪的な方法で。
 ユーリさんとエステルさんが彼に気付く様子もない。ここは年上として注意するべきなのか……でもそれ以外に街の中に入る方法は現時点では見つかっていないし。カロルくんを止めるべきなのか否か考えていると、かちゃりと心地よい音が響いた。こういう時、自分の行動力の遅さを恨むしかない。

「よし、開いたよ」

 カロルくんの意外な特技には流石にユーリさんも驚いたようで目を丸くしていた。けれど次の瞬間には楽しげに細められていて。「どこでそんな技術覚えたんだ」と聞かれたカロルくんは少し言葉を濁していたけれど、ユーリさんにとっては大した問題ではないらしい。「ご苦労さん」と彼の肩を叩き扉を引いた。立てつけが悪いのか軋む音が聞こえる。

「ほんとに、だめですって! フレンを待ちましょう」

 エステルさんはまだ、無断でアスピオに入ることに躊躇しているようだ。力が入っているのか彼女の両手はぎゅっと握りしめられている。そんなエステルさんにユーリさんは言う。フレンさんが出てくる偶然に期待出来る程、我慢強くはないと。フレンさんが街の中にいることは騎士の情報から掴み取っていたが、仮に彼と会ったとして正式な手続きを踏むことになればそれなりに時間はかかるだろう。そんなもどかしい思いをするくらいなら、気付かれない内にアスピオに忍び込んでモルディオさんを探した方がいい。慎重派なエステルさんと行動派のユーリさんとではこうも差が出るものなのだろうか。
 ふと、エステルさんに向けられていたユーリさんの視線がわたしに移る。「お前はどうなんだ?」と薄い唇が動いた。

「わたしは……」

 これからユーリさんたちがやろうとしているのは不法侵入だ。たとえその理由が下町の魔核泥棒を捕まえる為だとしても、簡単には許されることではない。もしバレたら間違いなく捕まるだろう。
 だけど、わたしがユーリさんについてきたのは魔核泥棒を捕まえるためだ。その本人がもしかしたらこの街にいるかもしれない。それでも――どうしても躊躇いがあるのはやはり規則を破ってしまうという理性が動いてしまうからなのだろう。
 黙り込むわたしにユーリさんは何も言わない。紫黒の瞳がつとエステルさんの方に戻った。

「んじゃ、エステルとアズサはここで見張りよろしくな」
「え、ちょっと、ユーリさん……!」

 ひらりと軽く手を振ったユーリさんはカロルくんが開けた扉をくぐる。見張りなんてなにをしたらいいのか。戸惑うエステルさんと顔を見合わせる。
 これは――諦めるしかないのかもしれない。

「……ばれないことを祈りましょうエステルさん」


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