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 まず最初に目に入ったのは天井まで届きそうな背の高い本棚、そしてそこに並べられた大小問わない様々な本。まるで大きな図書館に来たような気持ちになるけれど、完全に重ならないのは道端にも乱雑に本が積み重ねられているからだろう。本棚にはまだ余裕があるのに、と不思議に思う。梯子を使って探す手間を省くためなのか。そこにアスピオに住む人たちの本質があるような気がした。
 すぐに不法侵入がばれてしまうんじゃないかと忍び込んだ当初はひやひやしていたけれど、中心部まで来ればその心配もだいぶ薄まっていた。アスピオの人たちはほとんどローブを着用している。魔核(コア)泥棒と同じローブ。だからそれを着ていないわたしたちは非常に目立つ存在なのだけれど、彼らは視界に留めることはあっても訝しる様子はない。それどころか全く気に留めない人もいる。アスピオの人たちは常に本を読んでいて、紙に文字をしたためている。彼らは外部の人間に関心がないのだろう。

「ここか……」

 住民の一人にモルディオさんの家を訪ねると、奥の小屋に住んでいると教えてくれた。"モルディオ"の名前を出すと門番の騎士と似たような反応を見せたのが少し気になるけれど……とりあえずその点は保留にしておこう。ユーリさんは「魔核泥棒だから嫌われて当然だろ」と言っていたけれど、理由はそれだけではないような気がした。

「……不思議な形の家ですね」

 ログハウスとも違う、木と一体化した奇妙な姿の小屋。扉には走り書きのような文字の書かれた張り紙が貼ってあった。この世界の文字をわたしは読むことができない。なんて書いてあるのだろうと思っているとエステルさんが親切に読み上げてくれた。「絶対、入るな」モルディオさんも魔導士だと聞いているし、もしかしたら危険な実験でもしているのかもしれない。エステルさんの言葉を聞いてもなお無遠慮にドアを開けようとするユーリさん。とことん魔核泥棒に遠慮するつもりはないらしい。「普通はノックが先ですよ」とエステルさんがユーリさんを咎めている。

「なら、ボクの出番だね」

 誇らしげに一歩前に出たカロルくんの手には先程の針金。エステルさんが慌てて止めようとしたけれど、次の瞬間にはもうカロルくんは鍵を解除してしまっていた。そのスピードはアスピオに入り込む前のものより早い。鍵穴が簡単に作られているのか、それともカロルくんの技術が向上しているのか。どちらにしてもあまり良いことではない気がする。
 勝手にドアを開けて小屋の中に入っていくユーリさんたちをエステルさんが止めようとしたけれど全然聞く耳を持ってくれない。がっくりと肩を落とすエステルさんにわたしはそっと肩に手を乗せる。本当ならエステルさんに味方したいところだけど、正規の方法で街に入らなかった時点で――もうどうあがいても手遅れだ。

「諦めましょうエステルさん。わたしたちでは止められないと思います」

 床に散らばったたくさんの本と紙。人一人が歩くのもやっとでユーリさんたちも歩き回るのに苦労している。かくいうわたしも蹴飛ばしたりしないように慎重に歩くので精一杯だった。一体、モルディオさんとはどんな人物なのだろうか。足元に落ちていた分厚い本を何気なく手に取ってぱらぱらと捲ってみたけれど、ひたすらに難解が文字が羅列されているだけ。ぱたんと閉じて元の場所に戻した。

「すっごっ……こんなんじゃ誰も住めないよ〜」
「その気になりゃあ、存外どんなとこにだって食ったり寝たりできるもんだ」

 足場を鬱陶しげに睨みながらユーリさんは部屋の物色を始める。積み重なった本をどかし、引き出しを引っ張り、更には二階にまで上がり始めた。宿主のいない家で物色なんて最早空き巣と同じではないかと思ってしまうが、もうここまで来てしまったらわたしも止められそうにない。
 だって、もしここで下町の魔核が見つけられれば何もかもが解決するのだから。
 再び一階に戻って下町の魔核を探していると突然ラピードが書物の山に向かって吠え出した。急にどうしたのだろうとラピードの視線の先を追いかけて、思わず肩が跳ねる。散らばった紙の真ん中に人が立っていた。フードを被っていて顔は見えない。ぎゃあ、とカロルくんが悲鳴を上げた。

「……うるさい」

 明らかに怒気を含んだ声。驚いて動けないでいると不意に誰かに肩を掴まれて強く後ろに引っ張られた。いきなりのことで抵抗もできないまま身体が後ろに傾く。とん、と背中に何かがぶつかって視界に映る艶やかな紫黒の髪に目を見開く。肩越しに振り返ると相手を睨みつけるユーリさんがいた。

(ユーリさん……?)
「ドロボウは、ぶっ飛べ!」

 どんっ! と大きな衝撃とカロルくんの悲鳴が聞こえたのはほぼ同時だった。慌てて前を向くと盛大に髪の毛を焦がしたカロルくんがひっくり返っている。つんと鼻につく何かが燃えた匂いが小屋に充満する。まさか、こんな狭いくて燃えやすいものがたくさんある場所でカロルくんを燃やしたのだろうか。でも一体どうやって……?
 状況が掴めず混乱していると今度はエステルさんの大きな声が部屋中に響き渡る。

「お、女の子っ!?」

 フードの下から現れたのは綺麗な翡翠の瞳が印象的な女の子だった。ちょうどカロルくんとわたしの間ぐらいの年齢だろうか。ぱっちりとした二重の瞳は寝起きからかとても鋭いものに変わっている。この子がモルディオさんなのだろうか。実際に家にいるのだからモルディオさんで間違いないのだろうけれど。でも下町で見たモルディオさんとはどこか違うような……。あどけなさの残る女の子を見ながらわたしは密かに眉間に皺を寄せる。
 どうにも下町で会ったモルディオさんと重ね合わせるのは難しく感じた。


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