031


 肩を掴んでいたユーリさんの力強い手がゆっくりと離れる。そこでようやくユーリさんがわたしのことを守ってくれたのだと気が付いた。わたしがついさっきまで立っていた場所はカロルくんの近く。もしユーリさんが引っ張ってくれなかったら今頃わたしも彼のように丸焦げになっていたかもしれない。半泣きでエステルさんの治療を受けるカロルくんにちらりと視線を送る。被害を受けてしまったカロルくんには申し訳ないけれど、ユーリさんのお陰で助かった。

(後でお礼言わなきゃ……)

 今は、とてもじゃないけれどそんな話ができる状況ではない。
 不意に視線を下に落とすと、ユーリさんの手が剣の鞘に伸びていた。勢いよく抜かれた刀身が天井に情けなくぶら下がった照明に反射して輝く。何を、するつもりなんだろう。ごくりと息を呑んでいる間にユーリさんは女の子の背後に回り込んでその切っ先を彼女の背中に突き付けていた。逃げられてしまわないようにしっかりと出入口を塞いで。驚くほどに一瞬の出来事だった。

「こんだけやれりゃあ、帝都で会った時も逃げる必要なかったのにな」

 女の子の細められた翡翠の瞳がユーリさんを睨みつける。あと数センチも動けば斬られてしまうような危ない状況なのに彼女は全く動揺する様子はなくそれどころか怪訝そうに眉間に皺を寄せた。

「はあ? 逃げるって何よ。なんで、あたしが逃げなきゃなんないの?」
「そりゃ、帝都の下町から魔導器(ブラスティア)の魔核(コア)を盗んだからだ」
「いきなり何? あたしがドロボウってこと? あんた、常識って言葉知ってる?」
「まあ、人並みには」
「勝手に家に上がり込んで、人をドロボウ呼ばわりした挙句、剣突きつけるのが人並みの常識!?」

 鍵のかかったモルディオさんの家にいた女の子。きっとこの子がモルディオさんで間違いない。それなのにずっと違和感が拭えないのはどうしてなのか。下町で見た時とローブの色が違うからだろうか、それともわたしを見ても動揺する様子が見られなかったからだろうか。
 ぴりぴりとユーリさんと女の子の間に張りつめた空気が流れる。ユーリさんが無意味に人を傷つける人ではないのは分かっていたけど、それでも一触即発の空気に胸が騒めく。どうしようと内心おろおろしていると仲裁に入ってくれたのはエステルさんだった。エステルさんの丁寧な説明で女の子は少し落ち着いてくれたようで、それでも苛立ちは隠さないまま口を開く。

「で、あんたらなに?」
「えと、ですね……。このユーリという人は、帝都から魔核ドロボウを追って、ここまできたんです」
「それで?」
「魔核ドロボウの特徴ってのが……マント! 小柄! 名前はモルディオ! だったんだよ」
「ふ〜ん、確かにあたしはモルディオよ。リタ・モルディオ」

 女の子――リタ・モルディオさんは華奢な腕を組み、ユーリさんを睨み返した。わたしはそっとエステルさんの近くによって状況を見守っているとそっとエステルさんに耳打ちされる。
 
「アズサどうですか? アズサの見た魔核ドロボウと似ていますか?」
「……まだ良く分かりません」

  わたしはエステルさんの質問に小さく首を横に振って答える。モルディオさんがユーリさんと睨み合いを続けているのをいいことにわたしは眉間に皺を寄せるモルディオさんの横顔を見つめた。小柄な身長、顔まで深く被っていたローブ、そしてモルディオという名前。条件だけで考えるなら確かに下町で見た魔核泥棒と一致しているはずなのに何故だか違和感が拭えない。それにモルディオさんの動揺してるとは思えない淡々とした態度。とてもじゃないけど嘘をついているようには見えなかった。

「で、実際のところはどうなんだ?」
「だから、そんなの知ら……あ、その手があるか」

 何か思い出したことでもあったのか、モルディオさんは「ついて来て」と言って踵を返す。床に無造作に散らばった紙や本をすいすいとすり抜けて部屋の奥へと進んでいった。「話はまだ終わっていない」と口調を強めたユーリさんにモルディオさんはとある話を持ち出してきた。協力要請をしにきた騎士からシャイコス遺跡という場所に盗賊団が現れたという話を聞いたらしい。そっちが本当の魔核泥棒かもしれない、ということだろうか。

「その騎士ってフレンのことでしょうか?」
「……だな。あいつ、フラれたんだ」
「そういえば、外にいた人も遺跡荒らしがどうとかいってたよね?」
「つまり、その盗賊団が魔核を盗んだ犯人ってことでしょうか?」
「さあなあ……」

 モルディオさんが部屋の奥に消えたのを確認してひそひそと会議を始めるエステルさんたち。わたしはその輪には入らず、モルディオさんの消えた部屋の奥をじっと見つめていた。記憶の中の魔核泥棒と目の前のモルディオさん。本当にこの二人は同一人物なのだろうか。
 しばらくすればローブを脱ぎ払って着替えたモルディオさんが姿を現す。鮮やかな朱色の服に左右で異なる靴は目を引いた。「とか言って、出し抜いて逃げるなよ」と牽制をかけるユーリさんに「来るのがいやなら、ここに警備呼ぶ? 困るのはあたしじゃないし」と言い返すモルディオさん。どうやら彼女は相当強気な性格のようだ。

「分かった。行ってやるよ」

 溜め息交じりでユーリさんはモルディオさんとシャイコス遺跡に行くことを決めた。エステルさんやカロルくんも反対する様子はなくユーリさんに続いて外に向かう。最後にモルディオさんが動こうとしたところでわたしは彼女を思わず呼び止めた。どうしても確かめてみたいことがあったから。モルディオさんは「なに?」と肩越しに振り返る。さっきよりは少しだけ落ち着いた声色に内心ホッとしながらわたしは意を決して口を開く。

「さっき着てたローブですけど……他に色違いとか持っていますか?」
「持ってないわよ。あんなの一枚あれば十分でしょ」
「そうですか……」

 じゃあ、わたしの記憶違いなんだろうか。下町で見たモルディオさんのローブはさっきまで彼女が纏っていたものとは違った。もちろん目の前のモルディオさんが嘘をついている可能性は否定しきれない。それでもここまでさっぱり言いきられてしまうと嘘をついているようにも見えなくてわたしは再び思考を巡らせる。
 急に黙り込んだわたしにモルディオさんは特にそれ以上追及してくることはなかった。


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