035


 結局、意識を取り戻した男は下町の魔核(コア)を持っていなかった。上手くいけば下町に戻れるかもしれないと思っていたけど魔核泥棒ではないのなら仕方がない。また一から情報集めかと内心思っていた矢先、男から新しい情報が聞けた。
 下町の魔核を盗んだのはデデッキという人物でトリム港という場所に向かっているらしい。男の話によれば顔に傷のある大男がたくさん人を雇って魔核を集めさせているという。なんだかきな臭い話だ。「なんか話が大掛かりだし、すごい黒幕でもいるんじゃない?」と表情を強張らせるカロルくんの言葉にわたしは眉間を寄せる。
 ……ただ、自分の無実を証明できればいいと思ってた。元の世界に帰るまでの居場所は下町しかなくて、他人に疑いの目を向けられながら気まずい生活を送りたくないと思ったからユーリさんの魔核泥棒探しに同行した。正直、犯人はすぐに見つかるだろうと思っていた。だって、これはわたしが関わっている話だ。もしこれが物語の始まりなら、ゲームに登場しないわたしが関わってくるはずがない。

(でも……)

 それにしては少しだけ話の内容が膨らみ始めているような気がする。エステルさんやカロルくんの同行も最初は一時的なものだけだと思っていたけれど、今もこうして一緒に魔核泥棒を追いかけている。それに、未だに一度も会えていないフレンさんの存在も気になる。こんなにすれ違うことなんて現実ではなかなかあることではない。騎士の一人くらい見かけてもいいはずだ。今の状況は不自然に感じる。
 一瞬だけ脳裏にちらついた答えに血の気がなくなるような感覚を覚えたけれど、その問いかけに応えてくれる人はいない。ましてや相談できる人もいない。けれど、仮にその答えが当たっていたとしても今の状況を考えれば簡単に抜け出すことは出来ないだろう。特にユーリさんに怪しまれてしまったら最後、下町に戻ることすら危うくなってしまうかもしれない。ぞわっと背筋が凍った。

(……もう少しだけ様子を見よう)

 もしかしたらそのトリム港でデデッキを捕まえられるかもしれない。そうすればきっと下町に戻れる。
 ふと視線を持ち上げるとユーリさんと瞳がかち合う。ユーリさんは多分、鋭い。考え事がバレたのかと思ってどきっと心臓が跳ねたけれど、彼が口を開く前にモルディオさんが男を帯でぶん殴って再び気絶させたことによって彼の視線は外された。
 
***

 わたしたちが探していた魔核泥棒とは違ったけれど、泥棒は泥棒。気絶した男を警備に引き渡すために一度アスピオの街に戻ることになった。モルディオさんが警備に連絡してくれる間、わたしたちはモルディオさんの家で待機することになった。彼女と離れてから数十分は経っただろうか。
 相変わらず紙や本が散乱したモルディオさんの家。なんとかスペースを確保してひんやりとした床に座る。なんとなく気になって手元にあった本を開いてみたけれどそこには理解不能な文字の羅列と幾何学的な模様の魔法陣が紙面にびっしり埋められていて早々に閉じた。この世界の文字は未だにひとつも読めていない。

「フレンが気になるなら黙って出て行くか?」

 他人の家だというのに堂々と寝そべったユーリさんがうろうろと歩き回るエステルさんに声をかけた。ぴたりと足を止めた彼女の表情はどこか不安の色を滲ませている。エステルさんの旅の目的はフレンさんを見つけて何者かに命が狙われていることを伝えること。この街でも会えなかったフレンさんが心配なのだろう。エステルさんは形の整った眉を寄せるとふるふると首を横に振る。

「あ、いえ、リタにもちゃんと挨拶をしないと……」
「なら、落ち着けって」

 ユーリさんに言われて数秒考え込んだエステルさんはやがてわたしの横に移動すると静かに腰を下ろした。そっと横顔を覗き込むとしゅんと垂れ下がった眉が視界に映る。「エステルさん」と自然と彼女の名前を呼んでいた。

「大丈夫、きっと次の街でフレンさんに会えますよ」
「……はい。私も早くフレンに会いたいです」
「ユーリとアズサはこのあとどうするの?」

 カロルくんの問いかけにわたしはユーリさんに視線を移す。わたしはとにかく魔核を取り戻して下町に戻りたい。そして、いつかやってくる物語の始まりを見届ける。
 その為には魔核の在処を明確にすることが必要で、必然的に向かう場所は決まってくる。
 
「魔核ドロボウの黒幕のとこに行ってみっかな。デデッキってやつも同じとこ行ったみたいだし。アズサはそれで問題ないか?」
「大丈夫です、ありません」
「だったら、ノール港まで一直線だね!」
「あれ……ノール港?」
「トリム港って言ってなかったか?」

 状況が掴めないわたしとユーリさんに対してカロルくんは大きな琥珀色の瞳を瞬かせるとノール港とトリム港について説明してくれた。途中で大陸の名前が出てきたりして頭が混乱しそうになったけれど、簡単に纏めるとノール港に行って海を渡るとトリム港に着くらしい。
 エステルさんは考えた末にハルルの街に戻ることに決めたようだ。目的が違えば行き先が変わってくるのも当然の話で。彼女とはここで別れることになりそうだ。カロルくんは残念そうに「そっか」と呟く。

「……じゃ、オレも一旦、ハルルの街へ戻るかな」
「え? なんで? そんな悠長なこと言ってたら、ドロボウが逃げちゃうよ!」
「慌てる必要ねえって」

 焦るカロルくんに対してユーリさんは冷静だった。男たちを雇っていたという隻眼の大男の拠点がトリム港だとしたらそこから動く可能性は低い。「それに、西行くなら、ハルルの街は通り道だ」とユーリさんは寝返りを打つ。
 ……ユーリさんはエステルさんの表情が和らいだことに気が付いているだろうか。いや、きっとそれを見込んでハルルの街に向かうのだろう。素直にエステルさんが心配だからと言ってあげればいいのに。

「それに、アズサは近くでハルルの樹を見てないからな。オレたちだけいい思いしてるのは不平等だろ?」
「――そうですね。せっかくですから近くで見てみたいです。エステルさんいいですか? 一緒に行っても」
「はいっ! もちろんです!」

 それからすぐに戻ってきてモルディオさんに簡単に挨拶を済ませてアスピオを出ようとしたら、街の中心部までついてきた彼女の口から驚きの発言が飛び出した。「あたしも一緒に行く」と。誰もが呆然として見つめる中、モルディオさんは表情を変えないまま言葉を続ける。

「ハルルの結界魔導器(シルトブラスティア)を見ておきたいのよ。壊れたままじゃまずいでしょ」
「それなら、ボクたちで直したよ」
「はぁ? 直したってあんたらが? 素人がどうやって?」
「よみがえらせたんだよバーンっと、エステ……」
「素人も侮れないもんだぜ」
「ふーん、ますます心配。本当に直ってるか、確かめにいかないと」

 エステルさんにカロルくん、それにモルディオさん。ただ魔核を取り戻しに向かうだけだったはずの旅はこんなにも様々な目的や思惑が交差する旅へと変化しつつある。どうかこの旅が平穏に終わってくれますように。そして、早く元の世界に帰れますように。
 顔を綻ばせながらモルディオさんに笑いかけるエステルさんを見守るふりをして、わたしはひとり遠くの世界に想いを馳せていた。


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