037


 なんだか街の入り口が騒がしい。
 穏やかな雰囲気が流れるハルルの街に似合わない怒鳴り声。周りの視線も声が聞こえる方向に向かっていたからその異変にはすぐ気が付くことができた。彼らの視線を追いかけるように自分も視線を向けて「あ、」と小さく声が漏れる。今すぐ踵を返してユーリさんを連れてきた方が良いかもしれない。そう思って足を止めた直後、おろおろと狼狽えるカロルくんに気づかれてしまった。不安の色を宿した琥珀色の瞳がわたしを捉える。

「あ、アズサ!」

 エステルさんとカロルくんが三人の騎士に囲まれている。背が高くほっそりとした騎士、小柄でぽっちゃりとした騎士、それと二人の中間に挟まれた大柄な騎士。見覚えのある三人組の姿にひくりと口元が引きつる。まさか、ここまで追いついてくるなんて。出来れば勘違いであってほしいと願っていたけれど、一人の騎士がこちらを向いたことでわたしの願いは簡単に崩れ去る。相手もわたしを見つけて驚いたように瞳を大きく見開いていた。そりゃあ、下町にいるはずの人間が別の街で出会ったら当たり前の反応だろう。

「やや! これはアズサ殿」
「お。お久しぶりですルブランさん……」

 あはは、とわたしは乾いた笑みを浮かべる。ルブランさんの声に反応して振り返った残りの二人は案の定、アデコールさんとボッコスさんで不思議そうに首を傾げていた。
 ルブランさんたちは帝都に所属する騎士だ。もともと騎士と下町の人は相性が悪くそれが原因でユーリさんも喧嘩することがよくあるのだけれど、わたしは幸運にもルブランさんたちとだけは比較的友好な関係を築かせてもらっている。それは本当に偶然が重なっただけの産物で、友好と言っても街ですれ違ったら軽く挨拶をするだけのような些細なものだけれど。

「しかし、なぜこんな場所にアズサ殿が?」
「アズサはわたしたちと旅をしているんです」
「なんですと! おのれユーリめ、エステリーゼ様だけではなくアズサ殿までも脅迫しおって!」

 脅迫……?
 どういう意味だと少し考えて、すぐに答えは見つかった。そういえばユーリさんはエステルさんを誘拐したと疑われているんだっけ。眦を吊り上げて拳を震わせるルブランさんにわたしは慌てて「いいえ」と首を横に振った。

「わたしはユーリさんに脅迫されてここにいるんじゃありません」
「そうなのですか。しかし、一般人を結界の外に連れ出すのは充分危険な行為なのですぞ」
「か、覚悟の上です……」
「それに、たとえ貴方は違っていたとしてもエステリーゼ様を勝手に外に連れ出したことには変わりない」
「違います! これはわたしの意思です! 必ず戻りますから、あと少し自由にさせてください」

 どうしよう、このままだとエステルさんが帝都に連れ戻されてしまう。
 考えあぐねているとタイミング良くユーリさんとモルディオさんが戻って来た。ルブランさんたちの視線はユーリさんに向けられ、やがてそれぞれが武器を構える。最後とばかりにルブランさんがエステルさんに手を差し伸べたけれど、彼女は黙って首を横に振った。フレンさんに会うまでは絶対に帰らない。微かに潤んだ瞳が静かに、けれど力強く訴えていた。

「ここは、致し方ない。どうせ罪人も捕えるのだから……」

 きぃん、と耳にこびりつく金属の擦れる音。遠巻きに見つめていた街の人たちがざわざわと騒ぎ出す。わたしも戦闘に巻き込まれないように離れた場所に移動してはらはらと様子を見つめていた。何度もユーリさんたちの戦い見守って来たけれど、対人の戦闘はどうにも慣れない。アデコールさんの振るった剣の切っ先がユーリさんの頬を掠めてヒッと喉が引きつる。お願いだから誰も怪我しないでほしい。ユーリさんたちは勿論のこと、アデコールさんたちも。
 やがて勝敗が見えてきて、アデコールさんとボッコスさんが膝をつく。安堵の息を吐いたのもつかの間「ええいっ! 情けなーいっ!」と持ち前の大声を張り上げたルブランさんが今度は剣を抜いた。まだ戦いは続くのだろうか。息を呑みながら様子を見守っていると突然ルブランさんの足元が爆発して吹き飛んだ。驚く間もなくモルディオさんの声が響く。

「戻らないって言ってんだから、さっさと消えなさいよ!」

 それからルブランさんたちの加勢が増えたり、黒い装束に身を包んだ怪しい人たちも現れて、街はちょっとした騒ぎになった。前方は騎士団、後方は黒装束に囲まれてしまってラピードが低い唸り声をあげる。カロルくんも若干涙目になってしまっていたし、わたしもパニックにならないように精神を落ち着かせることで精一杯だった。一瞬の隙を狙ってユーリさんが騎士団をすり抜け街の外に走り出す。舞い上がる紫黒の髪を追いかけようと地面を蹴る瞬間、立ちすくんだまま動こうとしないエステルさんを見つけて名前を呼ぶ。弾かれたように顔を上げたエステルさんの瞳には明らかな躊躇いがあった。言葉を詰まらせる彼女にモルディオさんは苛立ち気に頭を掻く。

「決めなさい。本当にしたいのはどっち? 旅を続けるのか、帰るのか」
「……今は、旅を続けます」
「賢明な選択ね、あの手の大人は懇願したってわかってくれないのよ」

 正直、わたしもモルディオさんの意見に賛成だ。あの様子だとおそらくルブランさんたちはエステルさんの主張を聞き入れる気は、ない。
 エステルさんの瞳にはまだ不安の色は残っていたけれど、今はその決断をしてくれただけで十分だ。納得したように小さく頷くモルディオさんを横目に見てわたしはエステルさんの細い指に自分のそれを絡めた。ほんの少しだけ剣蛸のできた、それでも女性らしく柔らかい滑らかな手。きょとんと瞳を丸くする彼女にわたしはそっと微笑んだ。

「行きましょう、エステルさん」
「――はいっ」

 繋いだ指先にほんの少しだけ力を込めてエステルさんの手を引く。決して現在の状況が良いとは言えないけれど、ようやくいつもの笑顔が戻った彼女を見てわたしも自然と口元が緩まった。


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