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 ユーリさんが街の偵察から戻ってくると、いよいよ宿屋に入ることになった。わたしとしては待ちに待った時間でどっと疲れが押し寄せてきたが、それをもう一度しまい込むことになる。それはフレンさんとの話を終えたエステルちゃんと合流してからのことだった。

「この連続した雨や暴風の原因はやはり魔導器(ブラスティア)のせいだと思います。季節柄、荒れやすい時期ですが船を出すたびに悪化するのは説明がつきません」
「ラゴウ執政官の屋敷内に、それらしき魔導器が運び込まれたとの証言もあります」

 フレンさんの同行人だというソディアさんとウィチルさんからの報告を聞きながらリタちゃんは腕を組み、考え込むように瞳を伏せる。カプワノールはここ何日も不自然な程に天候が悪く、その原因が執政官の屋敷に運び込まれた魔導器の仕業だという。天候を操って住民を不必要に取り締まり、高い税金が納められなければ魔物を狩れと危険な結界の外に向かわせる。残忍な独裁政治に話を聞けば聞くだけ血の気がなくなっていく感覚がした。想像以上にカプワノールの情勢はひどい。

「天候を制御できるような魔導器の話なんて聞いたことないわ。そんなもの発掘もされてないし……いえ、下町の水道魔導器(アクエブラスティア)に遺跡の盗掘……まさか……」
「執政官様が魔導器を使って、天候を自由にしてるってわけか」
「……ええ、あくまで可能性ですが。その悪天候を理由に港を封鎖し出航する船があれば、法令違反で攻撃を受けたとか」
「それじゃ、トリム港に渡れなねえな……」

 わたしたちの探している魔核泥棒は海の向こうにいる。その為には何としても船を出してもらわないといけない。
 もしその仮説が本当なのだとしたら、わたしたちはとんでもない相手を敵に回ることになる。街の政治に関わってくるような相当な地位の人間と対峙しなければならない。自然とユーリさんたちの表情が暗いものに変わっていく。わたしは無意識の内に両手を握りしめていた。絡めた指先は雨に当たっていた所為もあって冷たい。
 ユーリさんたちを静かに見守っていると不意に誰かに視線を送られたような気がして顔を上げる。ぱちりと碧い瞳と視線がぶつかった。驚くほど真っ直ぐなのにその双眸からは何も読み取ることができずわたしは軽く首を傾げる。

「そういえば、子どもが……」
「子どもがどうかしたのかい?」
「なんでもねえよ。色々ありすぎて疲れたし、オレらこのまま宿屋で休ませてもらうわ」

***

 事情を聞いて黙っていられないのがエステルちゃんだ。
 宿屋を出るとエステルちゃんは開口一番に「ラゴウ執政官に会いに行く」と言い出した。フレンさんたちから話を聞いていた時からなんとなくこうなるのではないかと予想していたけれど、本当に現実になってしまうと少しだけ憂鬱な気持ちになる。だって相手は街で一番偉い立場の人間だ。それこそ独裁政治ができてしまうような強い立場の。

「え? ボクらなんか言っても門前払いだよ。いくらエステルが貴族の人でも無駄だって」

 怪しい魔導器を屋敷に持ち込んでいるのだとしたらなおさら簡単には屋敷に入り込むのは難しいだろう。だけど、手順を踏むには圧倒的に時間が足りない。

「とは言っても、港が封鎖されてちゃトリム港に渡れねえしな。デデッキってコソ泥も、隻眼の大男も海の向こうにいやがんだ」

 わたしたちが目指しているのはトリム港だ。ノール港から船に乗って海を渡らなければならないのに、この雨で船は一隻も出せていないとウィチルさんは言っていた。船を出してもらうには天候の乱れを直してもらうしかない。必然的にラゴウ執政官の行いを正してもらうしかなさそうだ。

「屋敷にその執政官がいればいいですけど……」
「うだうだ考えてないで、行けばいいじゃない」
「話のわかる相手じゃねえなら別の方法考えればいいんだしな」
「では、ラゴウ執政官の屋敷に向かいましょう」

 雨が降り続く中、長い橋を渡って屋敷まで辿り着いたまでは良かった。けれど、案の定中に入れてもらうことはできなかった。しかも門の前にはティグルさん夫婦を痛めつけていた二人の男が立っていて「執政官は忙しい」の一言で追い出されてしまった。強行突破するわけにもいかず、わたしたちは一度屋敷を離れる。

「正面からの正攻法は騎士様に任せるしかないな」
「それが上手くいかないから、あのフレンってのが困ってるんじゃないの?」
「まあな。となると、献上品でも持って参上するしかないか」
「それってリブガロのことですか?」
「アズサご名答」

 門番の男の一人が言っていた。リブガロのツノを献上すれば一生分の税金を納められると。それを利用して屋敷に入り込もうという作戦らしい。カロルくん曰く、雨が降るとリブガロは出没するのだという。「探しに行くなら絶好のチャンスだよ」と自信満々に言っていたけれど、現れる場所までは分からないと首を捻るカロルくんにリタちゃんは呆れたように肩を竦める。執政官が意図的にリブガロを野に放っているのだとしたらそれほど遠い場所にいるとは考えにくいけど、当てもなく探すには捜索範囲が広すぎる。考えるように瞼を伏せていたエステルちゃんはぱっと顔を上げた。

「じゃあ、街の人に話を聞きましょう」
「聞きましょうって、いいのかよ、エステル」
「はい?」

 瞳を瞬かせながら首を傾げるエステルちゃんにユーリさんは言葉を続ける。これからわたしたちがやろうとしているのはとてもリスクの高い行為だ。なんせ街で一番の執政官に逆らおうとしているのだから。もし、この作戦が失敗してしまえばわたしたちは執政官の思うがまま。特にエステルちゃんは貴族だ。下手したらお城を追い出されてしまう可能性だって否定できない。
 エステルちゃんは大きな翡翠の瞳を伏せる。たっぷりと時間と置いた後、「行きます」とはっきりとした口調で答えた。

「いいんだな」
「はい」
「リタも、いいんだな」
「天候操れる魔導器っていうのすごい気になるしね」

 すごいな、と純粋に思った。エステルちゃんもリタちゃんも。あんな真っ直ぐな気持ちで答えられるのが羨ましい。
 それに比べて、わたしはどうなのだろう。二人のように自信をもって頷ける自信がない。今は屋敷に入り込む手近な手段がそれくらいくらいしか思いつかないし、わたしに手伝えることはほとんどなさそうだから大人しく見守ることしかできないけれど。ユーリさんの視線がわたしに向くことはなかったけれど、もし二人のように尋ねられたらわたしは「大丈夫」と自信をもって答えることは出来たのだろうか。


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