042


「アズサには無茶をさせないでほしい」

 きっと心から思ってくれている優しい言葉だった。それなのにどうしてわたしは胸を痛めているのだろう。
 リブガロを捕まえるためにラゴウの屋敷を離れカプワノールの外へと向かう。すると長い橋を渡り切ったところでフレンさんと出会った。彼の後ろにはソディアさんとウィチルさんがいて、わたしたちを見つけるなりソディアさんの方は静かに眉を寄せた。
 彼女は初めて対面した時、迷うことなくユーリさんに剣を向けようとしていた。指名手配されていた人物が目の前にいたら騎士としての仕事をするのは至極まっとうな話だ。けれど、その指名手配犯が自分の上司の知り合いだと知って複雑な思いをしているのだろう。フレンさんが幼馴染を庇うような態度を取ってから彼女の視線はずっとユーリさんに注がれていたから。

「相変わらず、じっとしているのは苦手みたいだな」
「人をガキみたいに言うな」

 呆れたように肩を竦めるフレンさんと口を尖らせるユーリさん。二人を見ていると自然と下町の風景が脳裏に浮かんだ。レンガ調の建物、慣れない文化、温かかった人たち。たった数日前まで当たり前になりつつあった生活が懐かしい。胸が締め付けられるような感覚に手のひらをきゅっと握りしめた。早く魔核(コア)を取り戻して、下町に帰らないといけない。

「ユーリ、無茶はもう……」
「オレは生まれてこのかた、無茶なんてしたことないぜ。今も魔核ドロボウを追ってるだけだ」

 ずっと近くでユーリさんを見ていたフレンさんには分かっているのかもしれない。今までにどんなことが起きたのか。それによって彼が一人でどれだけの重荷を背負ってきたのか。ユーリ、とフレンさんが碧い双眸を伏せて悲しげに名前を呼んだ。太陽のようにきらきらと輝く金髪が心なしかくすんでいるように見えた。雨粒が髪の毛に触れてぱちんと弾ける。ユーリさんはフレンさんを見てゆっくりと笑みを浮かべた。

「おまえこそ、無茶はほどほどにな」
「……分かった。そのかわりひとつだけ頼みがある」
「なんだよ」

 フレンさんはそういうと碧眼をわたしに向けた。まっすぐな瞳がかち合って心臓が跳ねる。視界の端でユーリさんはこちらを向いたのが分かったが、彼に顔は向けられなかった。あまりにもフレンさんの目力が強くて反らすことが出来なかったのだ。薄い唇を一度引き締めたフレンさんは雨音にも負けない透き通った声でわたしの名前を紡いだ。

「アズサには無茶をさせないでほしい」
(え、)

 突然のことで反応が出来なかった。まさかフレンさんの頼みが自分のことだとは全く予想もしていなくて。彼の後ろで不思議そうな表情をしたウィチルさんとますます眉を顰めたソディアさんが映る。エステルちゃんたちの表情は分からなかった。呆然と目の前の景色を見つめていると、徐にフレンさんが近づいてくる。開いていた距離を詰められようやく我に返ったわたしは戸惑うことしかできなかった。あの、その、と中途半端な言葉ばかりが唇から零れ落ちる。

「僕には顔色が悪いように見える。疲れているんじゃないかい」
「そ、そんなこと……」

 フレンさんと言葉を交わしたのなんてたった数回。それだけで見抜かれてしまったのだろうか。じわじわと込み上げてくる焦りは簡単にわたしの顔を青くさせた。フレンさんの言う通りなのだ。とてもじゃないが魔物と対峙する体力は残っていない。だけどわたしは戦闘に参加しないのだ。本当に休息を取らないといけないのはユーリさんたちであってわたしではない。それにハルルの時もユーリさんたちに任せきりで自分は寝込んでしまったのだ。同じことを繰り返す訳にはいかない。ユーリさんたちの前では少しでも気丈に振る舞っていようと決めていたのに。大丈夫だと、すぐに言い返せなかったのが悪かった。

「具合悪いんですか、アズサ」
「確かにずっと歩きっぱなしだったもんね。エフミドの丘も坂道結構きつかったから」
「そうですね。カプワノールに着いてからなんだかアズサ、元気がなかったような気がします」

 エステルちゃんとカロルくんの会話が胸に刺さる。二人はわたしのことを心配してくれているのだ。そう思うことは簡単なのにそれ以上に迷惑をかけてしまう、気をつかわせてしまう、と否定的な感情ばかりが心を支配していった。なんてネガティブな思考回路なのだろう。人を好意をわたしは捻じ曲げて受け取ってしまっているのだ。とうとうフレンさんの心配するような瞳すら怖くなってしまい顔を俯かせる。その時、リタちゃんが苛立ち気にわたしの名前を呼んだ。反射的に顔を向ければ案の定、リタちゃんはしかめっ面をしていた。

「……リタちゃん?」
「無理して倒れられた方が面倒だわ。あんたは宿屋で待ってなさい」
「だけどっ」
「アズサ。ラゴウが変な動きをしないか宿屋から見張っていてくれないか?」

 役立たずだと言われるのが怖かった。この旅でわたしは目に見える程の結果を残していない。デイドン砦では収穫を得られなかったし、シャイコス遺跡では魔核泥棒の仲間をまともに捕まえることも出来なかった。戦闘もろくに出来なければ体力もない。それなのに足手まといになりたくないと願うのはわたしの傲慢だろうか。
 びくりと身体を震わせ、恐る恐るユーリさんに目をやる。彼は怒っているわけでも呆れている訳でもなく、いつものように軽やかな笑みを浮かべていた。一番迷惑をかけているのは間違いなくユーリさんなのだろう。わたしがあの時魔核泥棒を捕まえていたら、彼は脱獄も公務の妨害も、不法侵入も何もかもの罪を引き受ける必要などなかったのだ。

「迷惑だなんて誰も思ってねえよ。リタの言う通り、倒れられる方が大変だからな」
「――すみません」
「謝んなって。ラゴウの見張り頼んだぜ」

 仲間外れになりたくないと思うくせに魔物とは戦いたくないと思うのだから、自分はなんて恩知らずな人間なのだろう。フレンさんたちと一緒にユーリさんたちを見送りながら唇を噛み締める。そうして自分を責めるしか行き場のない気持ちを堪える方法が思いつかなかったのだ。


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