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 リブガロを捕まえる為にカプワノールを離れるユーリさんたちの背中を見つめていると、不意に視界の端に重たそうな甲冑が映り視線を移す。まともにフレンさんの顔を見つめるのは市民街で初めて出会った時以来かもしれない。女の子のように長い睫毛には小さな雨粒が乗っかっていて、彼が瞬きをするとキメの細かい頬を滑って顎から落ちた。鼻筋の通った顔をこちらに向けると彼は困ったように微笑む。まるでわたしの感情を見抜いているかのようにフレンさんは穏やかな口調で話す。

「すまないアズサ。余計なお世話だったね」
「……いえ。ユーリさんたちと一緒に行ってもわたしは見守ることしかできませんでしたから」

 仮にユーリさんたちについていったとして、自分に唯一出来るのは精々リブガロと戦う彼らの邪魔にならないことだ。離れた場所でただ彼らの無事を祈るだけ。どう考えたって自己満足にしかならないのだから大人しく宿屋で帰りを 待っていた方が迷惑にならない。フレンさんに指摘されるまで気付かないふりをしていただけなのだ。
 自嘲的な答えにフレンさんの眉が下がる。わたしのことを考えてくれての発言だったのだろうに、自分はそれを素直に受け止めきれていない。なんて面倒な人間なのだろう。フレンさんの言っていたことは何一つとして間違っていないのに。

「下町の水道魔導器(アクエブラスティア)の話はエステリーゼ様から聞いた。アズサが疑われていたことも」

 脳裏に蘇る下町の人たちの疑いの目。次第に増えてゆく戸惑いの視線がたまらなく怖かった。部屋に閉じこもってからあの人たちとは一度も顔を見れていない。怒り、憎しみ、躊躇い。優しかった人たちが様々な感情をぶつけてくることに耐えきれなかった。ユーリさんがわたしの疑いを晴らしてくれたと言っていたけれど、結局のところわたしは逃げ出したのだ。出来るだけ関わらないようにしようと思っていたユーリさんについて来てしまった。

「情けないですよね。目の前で魔核泥棒を見逃してしまうなんて」
「そんなことはないよ。君に怪我がなくて本当に良かった」

 きっとフレンさんは心から心配してくれている。だけど捻くれ者のわたしは彼の言葉を屈折した形でしか捉えることしかできなかった。顔を俯かせて黙りこくっていると、頭の上に大きな手のひらが乗っかった。思わず瞑目して顔を上げるとと楽しげに瞳を細めたフレンさんと視線がかち合う。まるで悪戯が成功した子どものように笑われて、その綺麗な微笑みに吸い込まれた。ユーリさんもそうだけどこの人も大概に端正な顔立ちをしている。

「……ユーリもこれくらい素直になってくれたらいいんだけどね」
「え?」
「ユーリはなんでも一人で抱え込んでしまうんだ。それが大きければ大きいほどにね」

 ユーリさんは下町の人たちにとって最前線であり最後の砦のような存在だった。彼が一番武道に長けていた人物だったからなのかもしれないが、少なくとも騎士団と揉め事があれば真っ先に飛び込んでいくような人だ。それだけに下町の信頼は大きかった。同時に期待も。全員からのそれを一心に受けて彼は闘ってきた。弱音を吐いているところなんて一度も見たことがないけれど、ユーリさんの実直な言葉も聞いたことがないような気がする。
 自分から好んであの立場に立っているのだと思っていたが、本当は違うのかもしれない。不安を拭い去ってくれるような笑みは彼の本質ではなくあくまでも断片的なものでしかないのかもしれない。

「なんとなく、分かるような気がします」

 頭に乗った手が動きぽんぽんと軽く叩く。子ども扱いされているようなそれでも嬉しいようなむず痒い感覚に唇を真一文字に結んだ。異性に頭を撫でられているという事実がもどかしかったのだ。手を離さないままフレンさんは尋ねてくる。旅は辛くないかい? と。そういえばエステルちゃんにも似たような質問をしていた。二人が並ぶとまるで絵本に出てくる王子様とお姫様を見ているような感覚に陥ったのを覚えている。特にフレンさんがエステルちゃんに話しかける言葉がとても丁寧なものだから余計に。貴族のお嬢様だとは聞いているけど、その中の地位もそれなりに高いのかも。リブガロを捕まえにいった果敢なお嬢様のことを考えてながら首をひとつ縦に振った。

「ユーリさんもエステルちゃんも、みなさんとても良くしてくださいます」
「エステリーゼ様もアズサのことをしきりに話していたよ。気軽に話してくれるようになって嬉しいと言っていた」
「エステルちゃんが……そうですか」

 ふんわりと花のように微笑む彼女。たった呼び方が変わっただけでそんなにも喜んでくれていたとは知らなくて正直驚いた。仕舞いにはこれからも仲良くしてあげてほしい、とフレンさんに頼まれてしまうのだから距離を縮めるつもりはなかったとは言いづらい。曖昧な笑みを浮かべていると彼は安心したように更に笑みを深めた。
 ねえ、アズサ。フレンさんは鼓膜に直接響き渡るような柔らかい声で言う。胸に染み入るような暖かい声だった。

「どうしても辛くなったらちゃんと言葉にして言うんだよ。アズサは胸の内に溜めこんでしまいそうだからね。さ、風邪を引いてしまう前に宿屋に戻るんだ」


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