043
だんだん遠くなっていくユーリさんたちの背中を見つめていると、隣に立つフレンさんがこちらを見たのに気づいて顔を上げる。フレンさんとこうして二人で話すのは初めて出会った時以来だ。わたしは静かに息を呑む。仕事の邪魔になっていないだろうかとちらっと視線をそらしてソディアさんたちの様子を伺ってみたけれど、彼らは屋敷の門番と取り込み中でわたしたちを気にする様子はない。少し、話をするくらいなら問題ないのだろう。わたしは再びフレンさんを見上げた。
長い睫毛に小さな雨粒が乗っかっていて、フレンさんが瞬きをすると滑らかな頬を伝って地面に落ちる。鼻筋の通った端正な顔はわたしを見ると困ったように微笑んでいて、まるでわたしの感情を見抜いているかのようにフレンさんは優しい声色で話した。
「すまないアズサ。余計なお世話だったね」
「いえ、体調が優れないのは本当のことでしたし……それにユーリさんたちと一緒に行ってもわたしは見守ることしかできませんでしたから、ここに残るのが正解だったんだと思います」
仮にユーリさんたちについていったとして、自分にできるのはせいぜいリブガロと戦うユーリさんたちの邪魔にならないこだ。離れた場所で必死に戦う彼らの無事をただ祈るだけ。どう考えたって自己満足にしかならないのだから大人しく宿屋で帰りを待っていた方がいい。フレンさんに指摘されるまで気づかないふりをしていただけなのだ。
自嘲的な答えにフレンさんの眉が下がる。わたしのことを考えてくれての言葉だったのに、素直に受け止めきれない自分が嫌になる。フレンさんの言ったことは何一つ間違っていない。
「下町の水道魔導器(アクエブラスティア)の話はエステリーゼ様から聞いた。アズサが疑われていたことも」
「……そうだったんですね」
脳裏に蘇る下町の人たちの疑いの眼差し。次第に増えてゆく戸惑いの視線がたまらなく怖かった。下町を出る直前にユーリさんが事の経緯を説明してくれたお陰で身近なハンクスさんたちからは疑われることはなくなったけれど、まだわたしのことを疑っている人はあそこにはいるだろう。だから、わたしはなんとしても魔核(コア)を取り戻さないといけない。もう一度、下町で穏やかに生きていくためにも。
「情けないですよね。目の前で魔核泥棒を見逃してしまうなんて」
「そんなことはないよ。悪いのは盗んだ泥棒の方だ。君に怪我がなくて本当に良かった」
きっとフレンさんは心からわたしのことを心配してくれている。緩やかに細められる眦が物語っていた。
そう素直に受け止められれば良かったのだけれど、捻くれ者のわたしはフレンさんの言葉を屈折した形でしか捉えることができない。魔導器(ブラスティア)で無理矢理変えられた天候が前向きな気持ちを押しつぶしているみたいだ。視線を下に落として黙りこくっていると、しっとりと雨に濡れた頭の上に大きな手のひらが乗っかった。思わず瞑目して顔を上げると薄い笑みを浮かべるフレンさんと視線がかちあう。
「……ユーリもアズサくらい素直になってくれたら良かったんだけどね」
「え?」
「昔からユーリはなんでも一人で抱え込んでしまうんだ。それが大きければ大きいほどにね」
ユーリさんは下町の人たちにとって最前線であり最後の砦のような存在だった。特にユーリさんが一番戦闘に長けていた人物だったからなのかもしれないけれど、少なくとも騎士団と揉め事があれば真っ先に飛び込んでいくような人だった。それだけに下町の信頼は大きい。そして、同時に期待も。全員からのそれを一身に受けてユーリさんは下町を守ってきた。弱音を吐いているところなんて一度も見たことがないけれど、そういえばユーリさんの実直な言葉も聞いたことがないような気がする。
最初は自分から好んであの立場に立っているのだと思っていたけれど、本当は違うのかもしれない。不安を拭い去ってくれるような笑みはユーリさんの本質ではなくあくまでも表面的なものでしかないのかもしれない。そしてフレンさんはユーリさんのその本質を誰よりも知っているのだろう。だからこそ、心配している。
「――少しだけ、分かるような気がします」
頭に乗った手が優しくぽんぽんと叩かれる。子ども扱いされているようななんともむず痒い感覚になってわたしは唇を真一文字に結んだ。こんな場面ユーリさんたちに見られたら笑われてしまいそうだ。頭に乗った手はそのままにフレンさんがわたしの顔を覗き込んで「旅は辛くないかい?」と尋ねてくる。そう言えばエステルちゃんにも似たような問いかけをしていた。二人が並ぶとまるで絵本に出てくる王子様とお姫様を見ているような感覚になったのを覚えている。特にフレンさんがエステルちゃんに話しかける言葉がとても丁寧なものだったから余計に感じてしまったのかもしれない。彼女は貴族のお嬢様だとは聞いていたけれど、その中でもかなり高い地位にいるのではないだろうか。
リブガロを捕まえにいった果敢なお姫様のことを考えながらわたしは首を縦に振った。
「ユーリさんもエステルちゃんも、みなさんとても良くしてくれます」
「エステリーゼ様もアズサのことをしきりに話していたよ。気軽に話してくれるようになって嬉しいと言っていた」
「エステルちゃんが……そうですか」
ふんわりと鼻のように微笑むエステルちゃんが頭に浮かぶ。たった呼び方が変わっただけでそんなにも喜んでくれていたとは思ってなくて内心驚いた。たかが呼び方されど呼び方なのだろう、エステルちゃんにとって。「これからも仲良くしてあげてほしい」とフレンさんに言われ若干戸惑いながらも頷けば彼は安心したように笑みを浮かべた。頭に乗っていた手が静かに離れる。
「さ、風邪を引いてしまう前に宿屋に戻るんだ」