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 あれから大人しく宿屋に戻って窓辺に椅子を持っていき執政官の屋敷を見張っていたのだが、しばらくすると睡魔が襲ってきてそのまま意識を夢の中に預けてしまったらしい。次に目を開けた時はフレンさん達が戻ってきていた。肩からずり落ちた毛布に目を瞬かせているとソディアさんが掛けてくれたのだとフレンさんが教えてくれてかあっと顔に熱が集中する。彼らに寝顔を見られたのも恥ずかしかったし、ソディアさんには申し訳ないしでひたすら苦い表情を浮かべる彼女に謝っているととユーリさんたちが戻ってきた。毛布を抱きかかえながら頬を染めるわたしはさぞ滑稽だったことだろう。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。

「リ、リブガロは捕まえられたんですか?」

 帰ってきたユーリさんたちに言葉を詰まらせながら質問するとリタちゃんがあからさまに表情を歪めた。理由を尋ねるとリブガロを捕まえてツノを採取したまでは良かったのだが、そのツノをユーリさんがさっきの夫婦に渡してしまったのだという。屋敷に入る口実を作るためにリブガロを捕まえに行ったのにそれをあげてしまったということは執政官と接触する機会を失ってしまったということで。リタちゃんは完全に機嫌を損ねていた。あの雨の中で必死に探して苦労して手に入れたものを簡単に他人にあげてしまって怒っているのだろう。説明をしている間何度かリタちゃんはユーリさんを睨んだのだが彼は大して気にすることもなくけろりとした表情で。それがますますリタちゃんが機嫌を損ねる原因にもなったのは言うまでもない。

「……フレンさんたちは収穫ありましたか?」

 執政官の屋敷に入り込むためのヒントになればとフレンさんに問いかけたが表情は芳しくなかった。別れ際にどこに向かうのか尋ねたら調査執行書を取ってから屋敷に向かうと言っていたけれど見事に拒否されてしまったらしい。カロルくんが驚きの声を上げる。騎士団の命令を無視できるほどの力の持ち主だという事だ。想像でしかなかった執政官の地位を見せつけられたような気がして密かに眉を潜める。
 悔しそうに綺麗な顔を歪めるソディアさんにユーリさんが反論すれば彼女の眼光がきっと鋭くなった。今にも剣を引き抜いてしまいそうな雰囲気に身体が強張ったが、彼はあくまでも冷静だった。自信があるなら乗り込めよ。はっきりとした声色で言うユーリさんにフレンさんは答えた。

「いや、これは罠だ。ラゴウは騎士団の失態を演出して評議会の権力強化を狙っている。今、下手に踏み込んでも証拠は隠蔽されしらを切られるだろう」
「ラゴウ執政官も評議会の人間なんです?」
「ええ。騎士団も評議会も帝国を支える重要な組織です。なのに、ラゴウはそれを忘れている」

 何処にいたって私利私欲のために動く人間はいる。この世界は身分や階級にも拘っている節があるから顕著に反映されているような気がした。カプワノールの執政官もその一人なのだろう。己の欲望の為に住民を利用する。ゲームの中とはいえ胸が痛くなる話である。
 正攻法で入れないとなるとお手上げ状態のようでフレンさんの表情が曇った。騎士団で入り込めないなら地位も身分もないわたしたちではどうしてやることもできない。エステルちゃんも眉尻を下げて思案する。屋敷の前には見張り番もいたし、やはり正面突破しかないのだろうか。

「……中で騒ぎでも起これば、騎士団の有事特権が優先され、突入できるんですけどね」
「騎士団は有事に対してのみ、有事特権により、あらゆる状況への介入を許される、ですね」
「有事って予期せぬ事態が起こればいいんですよね? それも、騎士団が動けるような」
「なるほど、屋敷に泥棒でも入って、ボヤ騒ぎでも起こればいいんだな」

 普段のわたしだったらユーリさんの考えには賛成しなかっただろう。アスピオの時のように渋っていた。けれど、今回の話は自分たちだけの問題ではない。下町の魔核(コア)や騎士団、それにカプワノール。自分の手には抱えきれないほどのあらゆるものが関わってきている。その中でわたしも手助けできることがあるなら力になりたい。例えそれが悪役だったとしても、ユーリさんたちがいれば何でも乗り越えられるような気がしたのだ。

***

「何度見てもおっきな屋敷だね。評議会のお役人ってそんなに偉いの?」

 物陰に隠れながら隣にいたカロルくんがぽつりと呟く。その視線の先には威圧感すら感じる執政官の屋敷があった。その前には不気味な笑みを浮かべていた男が二人立っている。執政官の企みを暴くにも天候を操る魔導器(ブラスティア)を探し出すにも下町の魔核(コア)を見つけるにも、まずは侵入を阻む彼らをどうにかして突破しなければならない。

「評議会は皇帝を政治面で補佐する機関であり、貴族の有力者により構成されている、です」
「言わば、皇帝の代理人ってわけね」
「へぇ、そうなんだ」

 細く長い雨がカプワノールに降り注ぐ。これが自然現象ではなく魔導器による人工的なものかもしれないというのだからこの世界は不思議だ。もちろんそんなことをして良いとは思わないけれど。リタちゃんが居心地の悪い顔をしていたのが証拠だ。天候を操るなんてそんな人為に反することをして許されるはずがない。ましてやそれを自分の欲望を満たす為に行っているのだとしたら尚更。

「どうやって入るの?」
「正面突破は避けた方がいいんじゃないですか?」
「裏口はどうです?」
「残念。外壁に囲まれてて、あそこを通らにゃ入れんのよね」

 屋敷に入るための作戦会議を行っていると、突然聞き慣れない男性の声が背後から聞こえで体が強張る。気の抜けるような間延びした声にエステルちゃんが勢いよく振り返った。彼女を追いかけるように肩越しに振り替えると翻る紫色の羽織が目を引いた。ユーリさんよりも年上であろうその人は口許に人差し指を当てて、楽しげに瞳を細めた。

「こんな所で叫んだら見つかっちゃうよ、お嬢さん」

 なんとか声を押し殺したエステルちゃんが問いかける。失礼ですが、どちら様です? 彼女の問いに男の人は視線を滑らせるとにんまりと弧を描いた唇を開いた。その先にはユーリさんがいて、ちょっとした知り合いなのだという。ユーリさんの知り合いなら下町に住んでいた人なのかとも思ったが、自分の記憶の中に彼のような人物は見た覚えがない。するりと男の人から出てきたユーリさんの名前に彼は名乗ったことがないと首を捻った。男性曰く、彼とは城の牢屋で出会ったらしい。

「……指名手配書?」

 ユーリさんが名乗ったことがないのに男の人は名前を知っている。フレンさんのように帝都の騎士団に所属していたら名前も知れ渡っていたかもしれないが、彼は少しだけ腕の立つあくまでも一般人だ。帝都の外の人間に名前が伝わ邸るとは考えにくい。それなら別のツールがあるはずだ。容姿を見てユーリさんだと判断できる何かが。そこでふと気が付いた。あるじゃないか、ユーリさんの名前が結界の外でも知れ渡っている原因が。
 ぽつりと小さく呟いた言葉に全員の視線が集中する。指名手配書を見ていたなら、彼がユーリ・ローウェルだと判断することが出来る。視線を男の人に向けると彼はにぃっと口元を緩めた。

「あら、聡いわねお嬢さん」
「で、おじさんの名前は?」
「ん? そうだな……とりあえずレイヴンで」

 とりあえず……? 名前を名乗るには不釣り合いな言葉が飛び出し、リタちゃんが疑いの目を向ける。風貌や飄々とした態度からあまり関わり合いたくないと思ったのだろう。ユーリさんが早々に別れの挨拶をレイヴンさんに向けた。悪い人ではないのだろうけれど、立ち振る舞いは信用するには少し信頼度が欠けているような気がする。立ち去ろうとするわたしたちをレイヴンさんは食い止めた。

「つれないこと言わないの。屋敷に入りたいんでしょ? ま、おっさんに任せときなって」


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