046
ポリーくんと一緒に行動するようになって初めて知った。誰かを庇って行動するというのはこんなにも神経が磨り減るものだったのかと。そして改めて思う。今までわたしはどれだけユーリさんたちの負担になっていたのだろうかと。
魔物が現れて武器を構えるユーリさんたちから離れてポリーくんの背中にそっと手をまわす。強い力でわたしの服を掴み恐怖に耐えるポリーくんを見ているのは辛いものがあった。生と死が隣り合うようなおぞましい空間にたった一人で取り残されて、どれだけ怖かっただろう。きゅっと眉間に皺が寄る。
「大丈夫だからね」
そう言ってゆっくりと背中を擦ってあげることくらいしかわたしには出来なかった。
こんな時、身を守る術のひとつでもあったらもっとポリーくんを安心させてあげられたのだろうか。
「はて、これはどうしたことか。おいしい餌が増えていますね」
すごく嫌な声だ。人を蔑んだ醜い声。
地上に向かう道を探して進んでいくと、大きな鉄格子のある部屋に辿り着いた。まるで動物園の動物になったような気分だった。光の差し込まない地下、厳重にはめこまれた鉄格子、放し飼いにされた凶暴な魔物、足元に無造作に転がっていた骨。導き出したひとつの答えはとてもじゃないけど現実味を帯びていない。けれどそれを否定するにはあまりにも要素が少なかった。この男が、カプワノールをめちゃくちゃにしている張本人。執政官の歪んだ口元がとても気味の悪いものに感じる。
「あんたがラゴウさん? 随分と胸糞悪い趣味をお持ちじゃねえか」
いかにも高い地位を示すような長いローブを引きずりながら檻の向こうの階段から降りてきた執政官――ラゴウはユーリさんの言葉に眉を動かした。薄気味悪い笑みを引いてラゴウは朗々と語る。
「趣味? ああ、地下室のことですか。これは私のような高雅な者にしか理解できない楽しみなのですよ。評議会の小心な老どもときたら退屈な駆け引きばかりで、私を楽しませてくれませんからね。その退屈を平民で紛らわすのは私のような選ばれた人間の特権というものでしょう?」
衝撃的だった。こんな考えをする人間が世の中にいるのかと自分の耳を疑いたくなった。けれどラゴウの曇りのない瞳が物語っている。彼は、本気だ。
ぞわっと背筋に冷たいものが走る。とてもじゃないけど彼の価値観には共感できそうにない。
「おねえちゃん?」
知らない間に繋いだ手に力がこもっていたのだろう。ハッと意識を戻すとポリーくんが不安げな瞳を宿しながらわたしを見上げていた。強張っていた顔を無理矢理笑顔に変えて微笑んでみたけれど、ポリーくんの表情は浮かないまま。わたしは空いた方の手でポリーくんの頭に触れた。
「ごめんね、痛かったね」
ラゴウとの話は街の外に放たれていたリブガロのことに切り替わっていた。己の楽しみの為に連れてきたリブガロをユーリさんたちの手によって倒されたことを知るとラゴウは少し驚いた様子だったけれど、すぐにニヒルな笑みを浮かべる。金さえ積めばすぐに手に入ります。何もかもお金で解決しようとする檻の向こうの男に恐怖すら感じ始めてきた頃、視界の横に桃色の髪が映る。横目から見た唇は微かに震えていた。
「ラゴウ! それでもあなたは帝国に仕える人間ですか!」
エステルちゃんがこんなにも感情を爆発させているのを見るのは初めてかもしれない。怒りで肩を震わせながらラゴウを睨みつけるエステルちゃんはまるで別人のように感じた。声を張り上げたエステルちゃんをラゴウは興味なさげに視線を送り――そして激しく動揺した。さっきリブガロが倒されたという話を聞いた時の何倍も。もごもごと動いた口は何か言葉を呟いていたように見えたけれど、ユーリさんたちの邪魔にならないようにと距離を取っていたわたしの耳には届かなかった。
この空間がラゴウの娯楽の為に作られた絶望の空間なのだとしたら、残された希望は彼が降りてきた階段の向こうなのだろう。おそらくそこ以外に出口はきっと存在しない。だけど問題として目の前の頑丈な鉄格子が立ちはだかる。わたしはぐるりと周囲を見渡して眉間に皺を寄せた。足元に無造作に転がった骨は今までのどの部屋よりも多く。誰もが希望の光に縋りつき、そしてその願いが叶わなかったことを物語っている。
エステルちゃんの肩に手を添えて下がらせてラゴウの前に立ったユーリさんが静かに剣を抜いた。ユーリさんの剣技が鉄格子に衝撃を与える。激しい音と共に辺りに転がった色々な残骸が舞い上がり、咄嗟にわたしにしがみついたポリーくんの身体を引き寄せた。ユーリさんの一撃で鉄格子ごと吹き飛ばされたラゴウは引きつった声を上げる。
「き、貴様! な、なにをするのですか! 誰か! この者たちを捕えなさい!」
やがてバタバタと階段を駆け上がる音。気が付けばラゴウはいなくなっていた。わたしは腕に閉じ込めたポリーくんの顔を覗き込む。
「大丈夫? ポリーくん、どこも怪我はしてない?」
「だいじょうぶ」
「そっか、良かった」
一応、確認も兼ねてポリーくんの身体に触れてみて細かい傷はあるものの大きな怪我は見つからなくて胸の内でホッと安堵の息を吐く。せっかく奇跡的にポリーくんを見つけられたのだ。できることなら元気な状態でティグルさんたちに返してあげたい。うっすら笑みを浮かべてわたしは微笑んだ。
「アズサ」
ポリーくんの頭についた汚れを軽く払っていると不意にユーリさんに名前を呼ばれて顔を上げた。夜空と同じ色をした瞳は暗闇に溶けてしまいそうなのにそこだけ星空みたいにきらきらと瞬いていて視線が自然と引き寄せられる。ユーリさんはわたしとポリーくんを交互に見比べると「行けるか?」と短く問いかける。最後にポリーくんの頭をひと撫でしてわたしは「大丈夫です」と答えた。
わたしたちが屋敷に忍び込んだのはフレンさんたちが合法的に入れるように屋敷の中で有事を起こすため。ユーリさんが鉄格子を壊したことで地下にいた魔物は地上に上がってくる。出口がここにしかないことを考えるとおそらく屋敷の中はパニックになっているだろう。更に引っ掻き回そうとしたリタちゃんが魔術の詠唱を始めたけれど、ユーリさんがそれを止める。
「……何よ、騎士団が踏み込むための有事ってやつが必要じゃないの?」
「まだ早い。まずは証拠の確認だ」
「天候を操る魔導器(ブラスティア)を探すんですね」
真っ暗な地下の奥から微かに魔物の唸り声が聞こえる。きっとさっきの騒ぎを聞きつけて魔物が集まっているのだろう。わたしたちも早く地上に上がって魔導器を見つけないと。
わたしはポリーくんの手をしっかりと握りしめて先を行くユーリさんたちを追いかけた。