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 ソディアさんとウィチルさんは報告をしに来ただけのようで二言三言フレンさんと言葉を交わすとすぐに部屋を出て行ってしまった。荷物がどうとか編隊がどうとか。わたしには皆目見当のつかない話ばかりで口を挟む余裕もなかった。二人の足音がなくなった頃を見計らってフレンさんの名前を呼ぶ。どうかしたのかい? と彼は優しげな双眸をこちらに向けた。

「ユーリさんたち、この街にいないんですか?」
「カルボクラムに魔核泥棒の手掛かりがあるかもしれないからと言って、少し前にカプワトリムを出たそうだよ」
「……そう、なんですか」

 ユーリさんが街を出たという事はおそらくエステルちゃんたちも一緒に行ったのだろう。通りで違和感を感じたはずだ。彼らのいない空間とはこんなに静かなものだっただろうか。下町で過ごしていた頃は怪しまれたりしないように必要最低限、無駄なことは喋らないようにしようと出来るだけ口を閉ざしていたはずなのに。ユーリさんと魔核(コア)泥棒を探し始めてからいつの間にかエステルちゃんやカロルくん、リタちゃんと同行者が増えていって会話が絶えないのが当たり前になっていた。その中に自分が混ざっていることに違和感を感じなくなってしまっていた。自分が本当はイレギュラーな存在だと忘れかけていた。一番、覚えていないといけないのに。

(置いて、いかれたのかな)

 けれど今まで遅れながらも彼らと一緒にそれなりの時間を過ごしてきたからショックではあった。たくさん足を引っ張っていたのも分かっている。まともに戦闘にも加わることが出来ない自分が彼らに貢献できたことなんてないに等しかったから。それでも、彼らは今までわたしを置き去りになってしたことは一度もなかったから、遅れていたら背中を押してくれたから。わたしは心のどこかで甘えていたのかもしれない。この人たちならきっと見捨てたりしないと。なにが彼らの琴線に触れてしまったのか、今ではそれを知る為の術すらない。
 視線を落として真っ白なシーツを握りしめる。唇を噛み締めていないとぽろぽろと簡単に言葉が零れ落ちてきてしまいそうで怖かった。今ここで気持ちを吐露してしまったら今度はフレンさんや彼に迷惑がかかってしまう。

「ねえアズサ、一緒にヘリオードに行かないかい?」

 ヘリオード……? フレンさんの声にゆっくりと俯いていた視線を持ち上げると吸い込まれるような蒼い瞳。きっと街ことなのだろうけれど、聞いたことのない土地の名前に思わず首を傾げる。フレンさんは少しだけ整った眉を下げるとそのまま言葉を続ける。

「ユーリたちはおそらくその街に連行される可能性が高い。だからアズサも一緒に行かないかい?」

 ふたつの部隊がユーリさんを追っているとしたら逃げ切れる可能性は低いとフレンさんは言った。もしユーリさんたちが捕まってしまったらカプワトリムに戻ってくることは難しいとも。確かにユーリさんの犯した罪は少なくはない。脱獄、誘拐、不法侵入。もし、騎士団に捕まってしまったら簡単には釈放されることはないだろう。たとえそれがちょっとした手違いによるものだとしても。現にルブランさん達はユーリさんを執拗に追っている。あの人は確かシュバーン隊に所属していたはずだ。
 きっとわたしはユーリさんたちの足手まといになってしまうからおいていかれてしまったのだろう。魔核泥棒探しにわたしは必要ないと。けれど、今ここで一人だけ下町に戻ってしまったらその先の未来は簡単に想像が出来る。わたしはユーリさんが戻ってくるまで下町の人たちに容疑者として扱われてしまう。何のために彼についていったのか分からなくなってしまう。
 喉から絞り出した声は微かに震えていた。

「……わたしも、ついていっていいんでしょうか?」

 このままユーリさんに会わないで下町に帰るなんて、そんなの嫌だ。せめて彼の口からその理由を知りたい。気持ちとは裏腹に弱々しい声はフレンさんの耳に届いたようでもちろんだよ、と返事が来た。

***

 不規則な音を立てて馬車の車体が揺れる。ガタンッと石でも踏んだのか大きく揺れるたびに慣れないわたしはバランスを崩す。その度に反対側に座るヨーデルさんが優美に笑みを引いた。初対面の男性と二人きりなんて生まれて初めての経験でどう対応したらいいのか分からずに苦笑を滲ませる。彼に戸惑っているのはこの空間だけが理由ではないのだが、できればフレンさんもいて欲しかったと思うのが現状だ。
 壁についた手を膝の上に戻し、つと細やかな装飾が施された小窓に目をやる。ガラスの向こうに見える世界は緑と剥き出しの土。今まではそんな道中をすべて徒歩で突破してきたのだから感慨深い。以前までのわたしだったら体力的にも精神的にも無理だっただろう。ユーリさんたちと過ごしてきた賜物だ。課題点はまだまだたくさんあるけれど。

「わたし、本当にここにいてもいいんでしょうか……?」

 騎士団の所有する馬車、それも明らかに一般用ではない上流階級の貴族が好んで使うような内装。外装がどこにでもありそうな質素なものだったから一歩、中に入ってとても驚いた。馬車に乗る手前、騎士たちの視線が多く刺さったのが気にはなったが今ならその原因も理解できる。
 至極当然のことなのだ。彼と並んで歩いていたときに騎士に不思議そうな反応をされたのも、馬車に乗るときに彼が手を伸ばしたことによって周りがざわついたのも。

「問題ありませんよ」
(――そう言われてもなあ)

 彼が国を治める皇帝の次期候補だと知ったのは馬車が動き出してしばらくたった後のことだった。ヨーデル・アルギロス・ヒュラッセイン。ラゴウ執政官の陰謀で拉致されていたらしい。その事実にも驚いたが、更に驚愕の事実はエステルちゃんもまた、彼同様に次期皇帝候補の一人だということで。貴族のお嬢様だとユーリさんから聞いていたし、立ち振る舞いも様になっていたから疑ってはいなかったけれど、まさかそこまで高い地位にいたなんて思ってもみなかった。
 いざ偉い人が目の前にいると何が正解なのか分からなくなる。言葉遣いは大丈夫だろうか、失礼な言動はしていないだろうか。変に身体が緊張してしまって頭が真っ白になりそうだったけれど、なんとか取り乱さずに済んだのは彼の寛容な心のお陰だろう。穏やかな面持ちは何度もわたしが犯したであろう無礼を許してくれた。

「あの……ヨーデル、でん、か、は」
「私の事は好きに呼んでくれて構いませんよ。街で気付かれてしまうと大変ですから」
「えっと、すみません。じゃあお言葉に甘えて……つまりヨーデルさんは今エステリーゼさんと次期皇帝を争っているってことですか?」
「そうなりますね。評議会はエステリーゼを騎士団は私を推してくれています」

 移り変わってゆく会式をぼんやりと眺める。あとどれだけの時間をこのまま過ごさないといけないんだろうと密かに息を吐きだした。自分よりずっと偉い人相手に会話の弾む話題など持っていないし、たとえ何かあったとしても長続きするとは到底思えなかった。

「皆さん、貴方を連れていかないことに抵抗があったようですよ」
「え?」

 外に向けていた視線を滑らせてヨーデルさんを見つめる。仮に彼の指す"皆さん"がユーリさんたちだったとして、その言葉に隠された真意が読み取れない。反応を返しかねていると彼は浮かべていた笑みをより深めた。エステリーゼも随分と渋っていました。きっと励ましてくれたのだろうとは思ったがおいていかれたのは紛れもない事実で。ユーリさんたちに会いたいけれど、会うのが怖い。矛盾した気持ちを抱え、わたしは苦い笑みを浮かべた。


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