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 ふっ、と息を吸い込むと土埃が混じったような少し息苦しい空気が肺に入り込んでくる。地面は綺麗にレンガで舗装されているし、建物だって丈夫そうな石造りのものばかり。砂塵が混じったざらざらとした空気は一体どこからやってきているのだろう。大きな建物の隙間から零れる青空を見上げながらわたしは内心首を捻っていた。
 馬車に揺られヘリオードという街につくと、まっすぐに騎士団が所有するという建物の中に連れていかれた。任務中の騎士と通り過ぎるたびにちくちくと刺さる視線が痛い。小隊長であるフレンさんと一緒にいるだけでも視線の的になってしまうのに、今は次期皇帝候補であるヨーデルさんが隣にいるのだからじろじろと観察されてしまうのだろうとは思っていたけれど、予想以上だった。まるで檻の中に入った動物のようだ。フレンさん……特にヨーデルさんは毎日という程こんな視線を受け続けているのだろうか。ひたすら視線を落とし身体を委縮させてフレンさんの背中を追いかけることしかわたしには出来なかった。

「アズサ、悪いんだけど少しの間ここでまっていてもらってもいいかな」

 途中でヨーデルさんと別れフレンさんの後についていくとやがて客室らしき一室に案内された。テーブルとソファーが置かれた簡易的な部屋だったけれど、あの数多の視線が自分に届かないだけずっとましだと思った。分かりました、と答えるとフレンさんは静かに笑みを引くとそのまま背を向けた。ぱたんと静かに閉まる扉。足音が聞こえなくなったのを確認して誰もいないのをいいことにソファーに沈み込んだ。柔らかい生地が埋めた頬を撫でる。

(とうとう来ちゃった……)

 こっそりヨーデルさんが耳打ちして教えてくれたけどユーリさんとリタちゃん、カロルくんは別の部屋で取り締まりを受けているらしい。エステルちゃんはまた別の部屋に移動させられているとも。おそらく取り締まりを行っているのはルブランさんたちなのだろう。あの人は下町にいた頃からずっと彼に関わっていたから。エステルちゃんの誘拐、牢屋からの脱獄、立ち入り禁止区域の不法侵入。どの罪もユーリさんが下町の魔核を取り戻す為に仕方なく犯したものだ。エステルちゃんの誘拐に至っては完全なる濡れ衣、彼が悪い所なんて微塵もないのに。きゅっと眉間に皺を寄せる。犯罪を取り締まるルブランさんたちが悪いんじゃない。彼らの行いは間違っていない。だけどユーリさんの行動だって悪いんじゃない。下町の人たちの生活がかかっている。緊張で乾燥した唇を噛み締め、掌を握りしめる。

(全部、わたしのせい)

 もしわたしがあの時魔核泥棒を捕まえていたら、捕まえることは出来なくても何かしらの手掛かりを掴めていたら、例えば顔や体格をもっと正確に覚えていたら。ユーリさんはいらない罪を重ねる必要はなかったはずだ。こうしてルブランさんたちに逮捕されて取り締まりを受ける必要はなかったはずだ。リタちゃんやカロルくんだって巻き込まれることはなかった。
 下町での生活が一気に引っくり返ってしまったあの日、ユーリさんが優しく手を伸ばしてくれた。一緒に魔核泥棒を捕まえに行こう。自分たちの手で疑いを晴らしてやろう。縋りつくように彼の手を掴んだ。弱い人間だと思われても構わない、憎悪や疑いの目を気にしながら下町でユーリさんの帰りを待っているよりずっと良い。そう思って彼についてきたというのにいざ蓋を開けてみればこっちでもわたしはお荷物でしかなかった。見捨てられたのも当然だったのだ。なのにわたしは情けないことにまだユーリさんたちの背中を追いかけている。いつまでも巣立ちの出来ない鳥のように。ひょこひょこと後ろをついていっては恩恵を受けている。結局は彼らの優しさに甘えてしまっていた。

「お待ちくださいエステリーゼ様っ」
(エステリーゼ……?)
「アズサ!」

 けたたましく開かれた扉の音にびくりと身体が反応する。慌てて上体を起こして顔を向けると扉の前で綺麗に切り揃えられた桃色の髪の毛が大きく揺れていた。まさか来てくれるなんて思ってもみなくて。エステルちゃん? と固まった表情に問いかけると、彼女は一転して顔を綻ばせてこちらに駆け寄ってきた。くたりとソファーに落ちたわたし手を自分のそれで包み込む。指先から伝わってくる熱は温かかった。

「良かったですアズサ。無事だったんですね!」
「エステルちゃんも、どうしてここに……?」
「さっきわたしの部屋にフレンがやってきて教えてくれたんです。アズサがいるって思ったらいてもたってもいられなくなってしまって」

 軽く手のひらに力を込めたエステルちゃんは僅かにはにかむ。照れくさそうに笑うその顔の裏にどんな表情が隠れているのだろうか。彼女はそんな性格の子じゃないって分かっているのに"ひとりだけ残された"という事実が脳裏に張り付いて離れない。本当は迷惑だと思っているんじゃないか、足手まといだと言われているんじゃいか。ぐちゃぐちゃに入り乱れた感情を見透かされたくなくてそっと視線を落とす。触れ合う指先からもやもやとした感情が零れ落ちているような感覚がして怖い。

(勝手について来てしまってごめんなさい)

 たった何文字かの言葉。それすらも伝えるのが恐ろしくてわたしは静かに唇を噛み締めた。


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