052


「アズサ、今夜は一緒の部屋で寝ませんか? 話したいことがたくさんあるんです」

 エステルちゃんはヨーデル様と次期皇帝候補を争っている貴族のお嬢様。今さら同じ部屋で眠ることに抵抗はなかったけれど、周りが了承しないだろうと思っていた。特に騎士団が。
 旅を共にしていたとはいっても、所詮わたしは一般市民でしかない。立場も身分も異なるわたしたちが騎士団の監視の下で同質になるのは難しいだろうと思っていたのだけど、その予想は結果的に言うと大きく外れた。

「構いませんよ。アズサが一緒なら私も安心ですから」
「本当ですかフレン!」
(……いいんだ)

 騎士の仕事は単純に護衛というだけではなく事務や雑務もそれなりにあるらしい。夕日が差し込む部屋で大量の資料と睨めっこをしていたフレンさんはエステルちゃんの頼みを簡単に受け入れた。隣でエステルちゃんが声を弾ませる中、わたしはフレンさんが至極あっさりと了承したことにかなり驚いていた。彼こそ一番難色を示す人物だと思っていたから。
 「嬉しいです」と顔を綻ばせたエステルちゃんに笑みを浮かべながらわたしはそっとフレンさんの様子を窺う。本当にエステルちゃんと同室でいいんだろうか。すると不意に作業の手を止めたフレンさんがこちらを向いてうっすらと笑みを浮かべた。

「アズサ、なんだか意外そうな顔をしてるね?」
「そんなことはない、です」
「本当に? 僕には戸惑っているように見えるけれど」

 存外、はっきりと言い切られてしまってわたしは口を噤む。フレンさんの指摘通りで言い訳が出来ないでいるとより一層フレンさんの笑みが深いものに変わる。目尻の下がった彼の表情はまるで子どもを諭している時の親のよう。エステルちゃんの視線も集まって言い逃れのできない空気に耐え切れなくなったわたしはしぶしぶ口を開いた。

「……本当は少し驚いてます」
「そうなんですかアズサ? 今までも同じ部屋で寝ていたじゃないですか」
「うん、そうなんだけど今は状況がちょっと違うというか。ここ騎士団の本部だし」
「騎士団の本部だと一緒に寝てはいけない理由があるんですか?」
「そうじゃなくて……ほら、世間体とか色々エステルちゃんにもあると思うから」
「――アズサはわたしと一緒に寝るのは嫌ですか?」
「うーんと、そうじゃなくて……」
 
 そうじゃない、そうじゃないんだけど。
 しゅんと項垂れるエステルちゃんにかける言葉を見つけられず視線を彷徨わせているとフレンさんが急にくすくすと笑いだす。この人、完全に面白がっているな。

「僕はアズサを信用してるよ。アズサならエステリーゼ様の近くにいても安心できる。だから許可を出したんだ」
「……」
「ねえ、アズサ。たまには怖がらずに自分の気持ちを素直に吐き出してごらん。意外と現実はシンプルだったりするものだよ」

***

 隣のベッドから聞こえる規則正しい寝息を聞きながらわたしはごろりと寝返りを打つ。淡い月明かりに照らされた部屋だったからエステルちゃんの寝顔が良く見えた。薄い唇がほんの少しだけ開いていて無防備な顔が晒されている。
 結局、今夜はエステルちゃんと同じ部屋で眠ることになった。あまりにも身分の高いの彼女と同室なんて騎士団がいい顔をしないのではないかと恐る恐る聞いてみたけれど、エステルちゃんは「私がアズサと一緒にいたいからいいんです!」の一点張りで譲らなかった。今になって考えてみれば、ユーリさんたちが逮捕されてしまってエステルちゃんも不安だったのかもしれない。ユーリさんたちが釈放されたとフレンさんから聞いた時のエステルちゃんの安堵した表情は忘れられない。

(エステルちゃんが皇帝候補……か)

 ヘリオードに向かう馬車の中でヨーデル様が教えてくれた。現在空席になっている皇帝の座にどちらが就くのか争っている最中だと。けれど、当人たちに対立している意識はなく騎士団と評議会のふたつの派閥がそれぞれ勝手に推しているだけなのだと苦笑いしていた。確かに騎士団の本部でヨーデル様とエステルちゃんがすれ違った時、二人に対立した雰囲気は流れていなかった。それどころか普通に会話をしていて仲が良いなとまで感じたくらいだ。
 それに本来なら敵対するはずのフレンさんとも気まずい雰囲気は感じられない。そもそもエステルちゃんが「フレンさん危険を知らせに行く」という旅の目的が破綻してしまう。ヨーデル様の言っていたことは本当のようだった。

(ユーリさんたちは知ってたのかな)

 簡単には手の届かないところにいるエステルちゃんのことを。貴族のお嬢様だと最初から分かっていたユーリさんのことだからもしかしたら察していたのかもしれない。けれど、リタちゃんはともかくカロルくんはきっと気づいていなかったんだろうなあ。驚いたカロルくんの表情が目に浮かんでシーツで零れそうになった笑みを押し殺した。
 改めて考えてみると本当に奇跡のような環境でわたしたちの旅は成立していた。けれど、その奇跡も終わりが近づいてきている。フレンさんに追いついたエステルちゃんは帝都に戻ることにしたらしい。

「意外と現実はシンプルだったりするものだよ」

 ふと、柔和な笑みと共にフレンさんの言葉が蘇ってくる。少なくともわたしに絡みついた現実は複雑だ。異世界からやってきたなんて誰が信じてくれるだろう。帰りたいとどんなに願っても未だに帰ることができないでいるのに。
 寝返りを打ってわたしは窓の向こうにある星空を見上げる。星が浮かぶ夜空を当たり前に感じてきたのはいつからだっただろうか。北極星と月だけが見える夜空が恋しく感じる。
 ――駄目だ。こんなこと、誰にも話せない。


top