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「アズサ、今夜は一緒の部屋で寝ませんか? 話したいことがたくさんあるんです」

 彼女はヨーデルさんと次期皇帝候補を争う貴族のお嬢様、周りの人間が簡単には了承しないだろうとは思っていた。旅尾共にしていたとはいえ、所詮わたしは一般市民でしかない(実際はその立ち位置ですらとても曖昧なものだけど)立場も身分も大きく異なるわたしたちが騎士団の監視の元で同室になるのは難しいだろうと踏んでいたのだがその予想は結局大きく外れることになる。

「構いませんよ。アズサが一緒なら私も安心ですから」
「本当ですかフレン!」

 騎士というのは単純に警備というだけではなく事務処理もこなすらしい。夕日に照らされた部屋で大量の資料と睨めっこしていたフレンさんは彼女の頼みをすぐに聞き入れた。隣でエステルちゃんが嬉しそうな声を上げる中、わたしは彼があっさりと了承したことに少しだけ驚いていた。彼こそ一番わたしたちが隣同士で並んでいることに抵抗を示しそうな人物だったから。
 良かったですねアズサ! と勢いよく顔をこちらに向けたエステルちゃんに笑みを浮かべながらそっとフレンさんの様子を窺う。本当に彼女と同室で大丈夫なのだろうか。横目で綺麗な黄金色の髪の毛を見つめ、そして不意にかち合った碧眼。意味深げな口元に一瞬、心臓が跳ねる。まさか気付かれるなんて思ってもいなかった。

「アズサはなんだか意外そうな顔してるね?」
「……そんなことないですよ」
「本当かい? 僕には戸惑っているように見えるけれど」

 フレンさんもユーリさん同様に人の変化に気が付きやすいのだろうか。咄嗟に作り笑いを浮かべたが彼には通用しなかったらしい。薄く引かれた笑みが深いものに変わる。目尻の下がった彼の表情はまるで子どもを諭している時の親のようだった。もしかしたらフレンさんには自分の心を見透かされているのかもしれない。あまりにも悲観的で我が儘な自分の心を。
 唯一状況が理解できていなかったエステルちゃんは不思議そうにわたしの名前を呼んだ。きょとんとした顔でこちらを見つめる彼女。意表を突かれたのもあってどんな反応をしたらいいのか分からず視線を彷徨わせているとフレンさんがくすくすと笑う。ああもう、彼には何もかもお見通しなのかもしれない。

「ねえアズサ、たまには怖がらずに自分の気持ちを素直に吐き出してごらん。現実はアズサが思っているよりずっとシンプルだと思うよ」

***

 隣のベッドから聞こえる規則正しい寝息の音を聞きながらごろりと寝返りをうつ。淡い月明かりに照らされた部屋だったからエステルちゃんの寝顔が良く映る。薄い唇が少しだけ開いていて無防備な顔が晒されている。

(エステルちゃんが次期皇帝候補……)

 ヘリオードに向かう途中の馬車でもう一人の候補者であるヨーデルさんが教えてくれた。現在空席となっている皇帝の座にどちらが就くか争っていると。だけど当人たちに対立している意識はなく、騎士団と評議会のふたつの派閥がそれぞれを推しているだけなのだとも言っていた。確かに建物の中でヨーデルさんとすれ違った時、エステルちゃんとも気まずい空気は全く流れていなかった。それどころか普通に世間話をしていて仲が良いなと感じたぐらいだ。フレンさんも彼女とは本来なら敵対する立場なのに接し方は至って普通。エステルちゃんも随分とフレンさんには心を許しているようだった。

(ユーリさんは知ってるのかな)

 おそらく簡単には届かない雲の上のようなところにいる彼女を。貴族のお嬢様だと最初から勘付いていたユーリさんのことだからもしかしたら知っているのかもしれないけれど。リタちゃんは兎も角、カロルくんはきっと気付いていないんだろうなあ。驚いたカロルくんの顔が脳裏に浮かんで思わず零れた笑みをかけ布団で押し殺した。
 騎士団に逮捕されたユーリさんたちはその日の内にヨーデルさんとエステルちゃんの働きかけによって釈放されたらしい。てっきりエステルちゃんに会いに来るのかと思ったけれど結局彼らが彼女の部屋にやってくることはなかった。明日来てくれますよ。エステルちゃんはそう言って笑ってくれたけど手放しで喜べる心情ではない。不器用な笑みは彼女には気付かれなかったけれど、これがフレンさんだったら分からなかっただろう。

「現実はアズサが思っているよりずっとシンプルだと思うよ」

 柔和な面影と共にフレンさんの言葉が蘇ってくる。少なくともわたしが知っている現実は複雑だ。色んな感情が交錯して雁字搦めに絡め取られる。胸が締め付けられるような感覚に陥って息が苦しくなる。足元を縫い付けられたかのように身動きが取れなくなる。泣きたくなるような衝動に駆られるくせに懸命に口元を抑えて声を殺す。心の底から話笑えたことなんて一度でもあっただろうか。
 ごろりと寝返りをうってエステルちゃんに背中を向ける。彼女とは違って窓辺に隣接されたベッドからは満天の星を見ることが出来た。星が夜空に浮かぶのが当たり前に感じてきたのはいつ頃からだったか。北極星と月だけが覗く夜空が恋しい。

(ああ、ダメだ)

 こんなこと誰にも話せない。霞む視界にきゅっと目を閉じる。目尻に流れた冷たいものには気付かないふりをした。


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