054


 ぽつりぽつりと窓に水滴が張り付く。曇天の空から降り注ぐ雨がこの胸に渦巻くもやもやとした感情を洗い流してくれたらいいのにと思う。だけど、決して晴れることはないのだろう。わたしがここにいる限り。
 結界魔導器(シルトブラスティア)の爆発に巻き込まれたリタちゃんはすぐに宿屋の二階に運ばれた。怪我自体は大したこともなく命に別状はないと騎士団の医師に診断されたのだが、エステルちゃんは傍にいてあげたいと彼女の眠るベッドに寄り添っている。早く良くなるようにとずっと治癒術をかけながら。ぼんやりと二人のいる部屋へと向かう階段をぼんやりと見上げる。降りてくる雰囲気はまだなかった。
 一階のロビーにはさっきからちらほらと身体を濡らした人が駆け込んでくる。外の雨は思ったよりひどいのだろうか。宿屋の主人がタオル片手にロビーを歩き回っていた。それをソファーに座りながら眺めていると不意に頭上が陰る。

「少しは落ち着いたか?」

 いつもと同じ声色なのにどうしても彼の目を見ることが出来なかったのは魔導器の暴走の件があったからだろう。あの一言が未だに響いている。それが紛れもない事実だったから余計に。彼の言葉に反応せず俯いたままでいるとソファーの隣に沈みが生じる。ぎしりとスプリングが鳴ると身体が委縮した。放っておいてほしいと思うのに、唇に乗せた言葉は全く異なるものだった。

「……リタちゃんの容体は」
「まだ眠ってる。意識失ってるだけだからそろそろ目も覚ますだろ」
「…………そうですか」

 雑踏に混じって地面を叩く雨音が聞こえる。それだけユーリさんとの間に沈黙が広がっているという事だ。口を噤んで黙り込んでいれば自然と立ち去ってくれるかと思ったけれどなかなか上手くいかない。えっと、今までユーリさんとどんな話をしてきたっけ。一番長くいるはずなのに二人きりになると何を話したらいいのか分からなくなる。ちらりと隣に座るユーリさんの様子を窺えば、彼は何も言わずただ前を見据えるだけ。いつもと変わらない端正な顔。わたしはこの人にどれだけの迷惑をかけてきたのだろう。

「――すみません」
「アズサが謝ることなんてあったか」
「勝手にユーリさんたちについて来てしまった事とか、さっきのこととか……」

 一度、口にしてしまえばぽろぽろと言葉が零れ落ちてくる。ごめんなさい、すみません。マイナスな言葉ばかり口にしてしまう。卑屈になりすぎると相手の気分を害してしまうとは分かっているのに、どうしても口は止まらなかった。

「いつも皆さんに迷惑ばかりかけてしまって、手助けもできなくて……。これ以上足手まといになってしまうくらいなら、わたし」

 下町に戻った方がいいのかもしれませんね。
 はっと気が付いた時にはもう遅い。手で口を覆ってユーリさんに視線を移す。大きな声ではなかったけれどきっとユーリさんには聞こえていただろう。あの、その、と中途半端に口を詰まらせていると不意にユーリさんがこちらを向いてわたしに尋ねた。それ、フレンが言ったのか? と。

「え……」
「足手まといになるとか、下町に戻った方がいいとか」
「いっ、いえ、フレンさんは」

 フレンさんはそんなこと一言も言ってない。言ったとすればエステルちゃんと一緒に尋ねた時の、たまには自分の気持ちを素直に吐き出してごらん、という言葉ぐらいで。ふと脳裏にフレンさんの穏やかな微笑みが蘇る。本当に、自分の気持ちを吐き出してもいいのだろうか。嫌われたりしないだろうか。不安ばかりが胸を過る。
 だけどフレンさんは現実はわたしが考えているよりシンプルなものだとも言っていた。このままだんまりを決め込んでいるよりは思いきって吐き出してしまってもいいのかもしれない。ユーリさん。何度も呼んできた名前。けれどここから先は誰にも話したこともない自分の気持ち。一度だけ深く息を吸い込んだ。

「……わたしは、皆さんの邪魔になっていませんか?」
「邪魔?」
「魔物との戦いになってもわたしだけ加われなくて、しかも皆さんについていくだけの体力もなくて足を引っ張ってばっかりで――いつもいつも迷惑ばかりかけてるから、だから……」
「少なくともオレはアズサが足手まといだとは思ったことねぇよ」

 それははっきりとした声色だった。そんなはずはない。だってわたしが魔核(コア)泥棒さえ捕まえていれば彼は指名手配される必要はなかった、騎士団に捕まって取り調べを受ける必要もなかった。すべては自分が蒔いた種だ。それなのにどうしてこんなにも力強く即答が出来るのだろう。卑屈に反論しそうになったわたしの言葉を遮り、ユーリさんは続けた。

「でも」
「アズサがシャイコス遺跡で魔核ドロボウの仲間追いかけてなかったらあのまま見失ってたかもしれないだろ? それにカプワノールの黒装束のやつらもおまえが気を反らしてくれなかったら怪我してた可能性だってある」
「あれは、どちらも本当に無我夢中で……」

 ぽん、と頭の上にユーリさんの手が置かれた。そのまま前髪を巻き込んでくしゃりと撫でられる。ときどき額に触れるユーリさんの手が温かい。さんきゅ、とお礼まで言われてしまってはわたしの涙腺が壊れるのも早かった。次第に滲んでゆく視界。瞳に溜まっていたものが頬を伝うのも時間の問題だ。
 ぽつりぽつりと窓に水滴が張り付く。わたしも雨に打たれて来れば良かったかもしれないなとぬくもりを享受しながら思った。


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