055
しばらくするとユーリさんはエステルちゃんの様子を見に行くと言って立ち上がった。わたしも後に続こうと立ち上がろうとしたけれど、「その顔にエステルに会っても平気か?」と指摘されてしまいしずしずと再びソファーに座り込む。まだ、泣いた名残が残っているらしい。後で冷やしに行かないと。
しょんぼりと項垂れるわたしにからっと乾いた笑みを含んだユーリさんの声が降ってくる。
「勝手に置いていったりなんかしねえから安心しろ」
わたしは反射的に顔を上げた。その言葉を口にした記憶はないはずなのに。
ユーリさんは既にわたしに背を向けていて表情は見えなかった。二階へと消えてゆく背中を見送ってわたしはじわじわと頬に熱が集まっていくのが分かる。ユーリさんには何もかもお見通しだった、ということなのだろう。わたしはほんのり涙で濡れたタオルを再び自分の顔に押し当てる。
「……恥ずかし」
置いていかれたのが寂しかった、なんて。
腫れた目を治すのにタオルを濡らして目元に押し当てていると、突然大きな音が頭上から聞こえて顔を上げる。最初は雷かと思って窓の外を見たけれどそこまで悪天候には見えない。ただ事ではない雰囲気に周りの人たちも困惑している様子だった。
「なんだよ今の音……」
「二階の方から聞こえなかったか?」
二階……二階はリタちゃんとエステルちゃんが休んでいる部屋がある場所で。
気が付いたら走り出していた。階段を駆け上がり二人がいる部屋を目指す。勢いのままに扉を開けて部屋に転がり込めば、瞳を丸くしてこちらを見つめるユーリさんたちの姿があった。その中にはリタちゃんもいて無事に目を覚ましたんだと安堵の息を吐く間もなく、焦げ臭いにおいに眉を潜める。さっきの音の原因はもしかしてこの部屋だったのだろうか。きょろきょろと周囲を見渡すわたしにエステルちゃんが困ったように眉を下げる。
「……アズサどうかしましたか?」
「今すごく大きな音が聞こえたので慌てて来てみたんですけど……えっ、なんか天井壊れちゃってませんか? 最初からこうでしたっけ……?」
「えーっと、それは、」
「ほら! アズサもびっくりしてるじゃん!」
ほんの少し怒ったような声色で叫んだのはカロルくんだった。状況がいまいち呑み込めずカロルくんの様子を窺うとカロルくんは口を尖らせながらこちらを向く。
「ユーリたちひどいんだよ。ボクたちだけ仲間はずれにするんだ」
「仲間外れ?」
「誰もそんなこと言ってないだろカロル」
「でもさっきはみんなしてはぐらかしたじゃないか!」
ぷくっと頬を膨らませるカロルくんをユーリさんが宥めている。正直、気にならないと言ったら嘘になってしまうけれどユーリさんたちにも何か言いたくない理由があるのだろう。エステルちゃんはさっきからずっと苦笑いを浮かべているし、リタちゃんに至ってはいつもの呆れ顔でカロルくんたちを見つめている。そこに緊張した雰囲気は全くなくむしろ穏やかな空気が流れていて、わたしは次第に身体の緊張が解れていく。まあ、天井の一部が破壊されているのは本当に気になるけれど。
「とりあえず、みなさん無事ってことでいいんですよね」
「まあ、そういうことだな」
「そうですか――それならいいです」
「それじゃリタも起きたことだし、もう少ししたら移動するぞ」
ユーリさんたちが武器の整備や荷物の確認をしている中、わたしはベッドに腰かけて本を読むリタちゃんの元に向かった。活字に集中している時のリタちゃんに声をかけるのは少々勇気が必要だったけれど、おそるおそる声をかけるとちらりと翡翠色の瞳がわたしを見上げた。
「なに?」
「あのね、リタちゃん、」
少なくともオレはアズサが足手まといだとは思ったことねぇよ。
ユーリさんは優しくそんなことを言ってくれたけれど、これからも水道魔導器(アクエブラスティア)の魔核(コア)を見つける為にラゴウやバスボスと追いかける以上ユーリさんたちの足を引っ張るようなことはしたくない。最低でも自分の身を自分で守れるくらいにはなりたい。幸いにもわたしはその手段を持っている可能性がある。
「前にカプワ・ノールで言ってくれたよね。自分の身を守る術を持った方がいいって。わたしなら魔術を使いこなせると思うって」
「ええ、確かに言ったわね」
「……もし、リタちゃんが良かったらなんだけど――わたしに教えてもらえないかと思って。使えるようになりたいの、魔術」
リタちゃんの大きな瞳がわたしを捉える。唇を引き結んでリタちゃんの次の言葉を待っていると、彼女はぱたんと本を閉じた。
「アズサ、文字の読み書きは?」
「……できないです」
「へえ、意外。まあいいわ。前にも言ったかもしれないけど魔術は原理さえ理解してしまえば誰でも使うことが出来る。武醒魔導器(ボーディブラスティア)が必要不可欠だけどね」
ベッドから下りたリタちゃんが指を差したのはわたしの胸元で揺れる武醒魔導器。今は光を失っていてただの装飾品となってしまっていた。
以前に何回か赤く光ったことはあったけれど、そのほとんどが無意識でどうして発動したのかは未だに分かっていない。そんなものが本当にわたしに使いこなせるのかは分からないけれど、天才魔導士と称されるリタちゃんにお墨付きを頂いているのだから試してみる価値はあると思った。
「文字の読み書きができないなら原理をしっかり頭と身体に叩き込みなさい。言っとくけど、あたしの授業料は高いわよ?」
「……ありがとうリタちゃん。頑張って覚える」
本当は、まだ魔物と戦う覚悟はできていない。でもこれまでの旅で気が付いた。きっとこのままではいけない。
わたしは、この世界で生き残るために戦う術を身につける。