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 ユーリさんに次の目的地を尋ねるとダングレストという街に向かうらしい。そこはカロルくんの生まれ育った場所でもあってギルドがたくさんある街なのだという。ギルドと聞いてすぐに思い浮かんだのが歪んだ笑みを浮かべた隻眼の大男。確か名前はバルボスと言っただろうか。傭兵ギルドといて名が高いという紅の絆傭兵団(ブラッドアライアンス)の首領。あんな野蛮そうな人がごろごろいるのだろうか。密かに眉を顰めるとカロルくんがわたしの心情を見抜いたかのように苦い笑みを滲ませた。悪い人ばっかりじゃないよ。捻くれているけれど裏を返せば悪い人も多少はいるということなのだろう。
 エステルちゃんの旅の目的は何者かに狙われているフレンさんに危険を知らせること。その目的が果たされた今、彼女が旅に同行する理由はない。ここでお別れになってしまうのは寂しかったが彼女は皇帝に着くかもしれないお嬢様だ。迂闊に外を出歩きまわるのも問題があるのだろう。フレンさんと待ち合わせをしているという結界魔導器(シルトブラスティア)の場所まで移動するまで彼女の表情は明るいとは言い難かった。

「あ、え、えっと……それじゃあ、わたしがその森に一緒に行けば問題ないですよね」

 ところが待ち合わせの場所にフレンさんは現れず、代わりに登場したのは重そうな甲冑を身に纏った男性とまるで秘書のような気品のある女性。アレクセイと呼ばれた男性はなんでも帝国騎士団の長を務めているという。つまりフレンさんの上司だ。余程すごい人なのだろうがこの世界における帝国騎士団の位置が分からないわたしにはいまいち理解がしにくい。ユーリさんやリタちゃんたちの背中に隠れて状況を見守る。話を聞いていると騎士団長直々にエステルちゃんを迎えに来たのはリタちゃんに用件があったからのようだ。けれど彼女はエステルちゃんと一緒に帝都に行きたいという。そこで出てきたのが先程の彼女の一言。結局、リタちゃんの調査が終わるまでエステルちゃんも旅に同行することになった。

「よし、じゃあ、ダングレストの街経由でケーブ・モック大森林だね!」

***

 ヘリオードからダングレストまではそれなりの距離があり、道の途中で遅めの昼食をとることになった。平野ではすぐに魔物や性質の悪い盗賊に見つかってしまう可能性があった為に森の奥地へ進む。澄み切った青空から零れ落ちてくる木漏れ日。たまに頬を撫でる風が心地よかった。いつもならこれぐらいしか手伝えることがないからと食事の片づけをしているところなのだが、今日は少しばかり違った。
 みんながいる場所から少しばかり離れた空間。無造作に幹を伸ばした木々がそこだけぽっかりと穴があいたかのように生えていない。ぽつりぽつりと頼りなく切り株が残っている。その一つに腰掛けたリタちゃんは組んだ足で頬杖を付きながらじいっとわたしの動きを見つめていた。

「……ど、どうかな」

 わたしの数メートル先では地面から水泡が弾けている。リタちゃんから教わった魔術のひとつだ。ぼんやりと魔導器についての原理を口頭で教わり後はとにかく体に叩き込む。文献や書物で理解できないのが少し大変なところだけど要領さえ掴んでしまえば魔術を発動させることはできた。胸のペンダントは心なしか誇らしげに赤い光を放っている。自分にも魔術が使えると分かったのに素直に喜べないのはこちらに向けられた目が淡々としているからだ。

「基礎は一応できてるわね。だけど、」
「リタ、アズサ。少し休憩しませんか?」

 そう言って両手にマグカップを持ちながらやってきたのはエステルちゃん。笑顔と共に手渡されたそれには冷たいお茶が注がれていた。昼食をとってからずっと練習しっぱなしだったから喉も水分を欲している。ありがとう、とお礼を言ってからマグカップに口を付ける。ひんやりと喉をお茶が流れ渇きを潤していった。
 アズサの魔術はどうですか? リタちゃんの隣の切り株に腰掛けながらエステルちゃんが尋ねる。僅かに眉根に力がこもったリタちゃんの顔を見つめた。考え込むように視線を落とした彼女はゆっくりと口を開く。

「気になるのは魔術の威力ね」

 彼女の言葉の真意が分からず戸惑っていると、片づけが終わったのかユーリさんとカロルくんとラピードがやってきた。周りに人がいると自分の評価を聞くのは恥ずかしい気もしたが魔術に関してはわたしが一番無知だ。リタちゃんもそうだけどユーリさん達の方がずっと親しんできている。きっと吸収できることもあるだろうと耳を傾ける。最初に口を開いたのはユーリさんだった。

「リタ、魔術の威力ってどういうことだ? 普通に発動は出来てるんだろ」
「コントロール力もあるわよ。この短時間でも的確にターゲットに魔術を当てている」
「すごいねアズサ! 魔導器(ブラスティア)使ったことないって言ってたのに」
「……実際に見た方が早いかもね。アズサ、さっきのやつ一通りやるわよ」
「え、みんなの前で?」

 魔術を発動させるには詠唱をしなければならない。慣れない言葉を紡ぐのにやっと抵抗がなくなってきたのにまた言いようのない羞恥心がじわじわと込み上がってくるがこればかりは仕方がない。胸の内で大きなため息を吐きながら再び横に向けていた身体を正面に向ける。数メートル離れた先にはぽつりぽつりと点在する切り株。そのひとつひとつがわたしの標的となる。
 エステルちゃんにマグカップを戻してから目を瞑り一度息を吐く。緑の隙間から流れ込んだ風が頬を撫でた。頭の中でイメージを膨らませて両方の手で胸のペンダントを包み込んで覚えたての詠唱を紡ぐ。

「……堅牢なる守護を。バリアー」

 ふわりと自分の周りを球体のような光の壁が包み込む。横から湧き上がる感嘆の声に思わずはにかみながら動作を続ける。今度は少しだけ足を開いて攻撃魔術の準備。集中力は切らさないように。軽く掌に力を込める。
 ファイアーボール、ストーンブラスト、スプレッドゼロ。リタちゃんに教わった魔術をひとつずつ披露していく。穏やかな風がほんのりと切り株の焦げた臭いを運んできた。そして最後のひとつ。

「あどけなき水の戯れ――シャンパーニュ」

 今までの標的の中で一番遠いところで水泡が弾け飛ぶ。散々魔術を当てすぎた所為か切り株が大きく割れてしまった。リタちゃんから教わった魔術は一通り終わった。ちらりと横に目を移すと何故かユーリさんたちは瞳を丸くしている。その光景がとても不思議でつい首を傾げてしまう。何かおかしいことでもあったのだろうか。

「なんか、最後の魔術だけ威力が違いますよね?」
「そうなの……?」
「あたしが教えたのは全部下級魔術よ。中級や上級ならまだしもこんなに差が出てくるなんておかしい。アズサ、あんた魔術の原理ちゃんと理解してる?」
「う、うん。そのつもりだけど……」

 本当のことを言えば細部まで理解しているとは言い難い。何と言ってもエアルはわたしの生きていた世界ではない概念だ。リタちゃんの話を聞いていると元素ともまた違う。エアルはこの世界のエネルギー源となっていて魔導器にも同じことが言える。それを吸収して魔術や武術を発動させる。科学に染まって生きてきた人間としてはファンタジーな理論にはなかなかついていけていないのが現状だ。不自然に口許が緩んでしまったのだろう。わたしを見つめる翡翠の瞳が訝しげに細められた。

「リタ、アズサはまだ初心者だ。得意不得意があるんだろ」
「……それもそうね。まあ、アズサが攻撃魔術を使う機会が少ないでしょうけど」

 戦闘になったら真っ先に補助魔法を使って身を守ること。攻撃は二の次。そうリタちゃんに詰め寄られて情けなくもわたしは頷くことしかできなかった。


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