057


「ここがダングレスト、ボクのふるさとだよ」

 夕暮れ色に染まる街ダングレスト。ヘリオードの道中で休憩を取ったにしても日の入りが早いのではないか。オレンジ色の空をぼんやりと見上げていると、くんと服の裾が引っ張られて身体が後ろに傾く。声は出さなかったにしても突然のことだったからびっくりした。煩い心臓を抑えながら肩越しに振り返ると視線の先に人はいない。当たり前だ、わたしが一行の一番後ろにいるのだから。けれど、少しだけそれを下に移せばつんと澄ましたユーリさんの相棒が一匹歩いていて。ラピード? と思わず名前を呼べば一瞬だけ彼の瞳がこちらを向き、一吠えした。

「…………えっと」
「前見てないと転ぶってよ」

 今の声はもちろんラピードのものではない。背中を向けていたはずの整った顔はいつのまにかこちらを見ながら微えんでいた。時々、ユーリさんはラピードの言葉を理解しているような物言いをする。本当かどうかは分からないけれど彼の言うとおりだ。はい、と口元の両端をうっすら持ち上げる。
 騎士団のいる帝国とは違いダングレストはギルドが街を統治しているという。その為か武器を持つ人をよく見かける。鞘に収まった剣や、背中に剥き出しに背負われた斧。怖くないと言ったら嘘になる。魔術を身につけたとはいえこっちは丸腰なのだから。詠唱している間に刃物が飛んできたらどうしようもない。僅かに眉間に力がこもる。

「さて、バルボスのことはどっから手をつけようか」
「ユニオンに顔を出すのが早くて確実だと思うよ」

 ダングレストは数多のギルドによって成り立っている。その中でも大きな勢力をもつギルドが五つあり、これをユニオンと呼ぶらしい。カロルくんが色々と教えてくれたけれど聞き慣れない単語ばかりで右から左へすらすらと流れてしまった。ほんの少しだけ理解できた情報を繋ぎ合わせれば、この街で一番高い地位にいるのがとあるギルドのドン・ホワイトホースという人物。その人に聞けばバルボスについて何か分かるかもしれないということ。……まだまだこの世界について覚えなければいけないことは多い。

「んじゃ、そのドンに会うか。カロル、案内頼む」
「ちょっとそんなに簡単に会うって、ボクはあんまり……」
「お願いします」
「……ユニオンの本部は街の北側にあるよ」

***

「あんたらがこいつ拾った新しいギルドの人? 相手は選んだ方がいいぜ。自慢できるのはギルドの数だけだし。あ、それ自慢にならねえか」

 街の奥に進んでいくと知らない男の人が二人、わたしたちのところにやってきた。どうもカロルくんの知り合いらしいが話を聞いていくと特別仲が良いというわけでもなさそうだった。嫌味な笑い声が耳につく。ユニオンへの案内を頼んだ時、躊躇いがあったのは彼らの所為なのかもしれない。俯いたカロルくんの掌は傍から見ても分かるくらい力強く握りしめられていた。

「あなたの品位を疑います」
「あんた言うわね。ま、でも同感」
「言わせておけば……」

 ぴんと空気が張りつめる。今にも一戦交えてしまいそうな雰囲気に肝を冷やしていると突然、鐘の音が響き渡った。急かすように何度も何度も鳴る鐘の音。ちらっと周囲を見渡せば商い真っ最中の商人やさっきまで軽やかに駆け回っていた子供達も足を止め、何事かと互いに顔を見つめ合っていた。

「何の音……?」
「やべ……また、来やがった。行くぞ!」

 さっきまでカロルくんたちをからかっていた男たちも血相を変え、街の中央部に向かって走っていく。最初は火事かと思ったけれどそれなら、子どもたちを抱えて懸命に走る親は不用心にも身体ひとつで店を離れる商人は。それに足先から伝わってくる小刻みの震動は一体。

「警鐘……魔物が来たんだ」
「魔物って……まさかこの震動、その魔物の足音……」
「だとすると、こりゃ大群だな」

 ふと脳裏に過ったのはデイドン砦の魔物の襲撃。あの時もこんな小刻みの揺れを感じたのを覚えている。実際に魔物を見た訳ではないから詳しいことはよく分からない。でも、地面が震えるほどの数が相当なことぐらい鈍いわたしでも理解できる。自然と身体には緊張が走った。

「ま、でも心配いらないよ」
「……あ、結界魔導器(シルトブラスティア)?」
「うん。最近やけに多いけど。ここの結界は丈夫で、破られたこともないしね」

 デイドン砦は大きな木製の門が唯一の奇襲を防ぐ手立てだった。だけどダングレストには結界魔導器がある。魔物一匹入ってこれない鉄壁。外にいる魔物もギルドが撃退してくれるからと自信満々にカロルくんが空を見上げる。追いかけるように視線を上に持ち上げて、誰もが言葉を失った。光の角度によって見えていた透明なフィルターが突如として消え去ってしまったのだから。

「一体どうなんてんの! 魔物が来てるのに!」

 結界魔導器が消えてしまったら魔物が街中に入ってきてしまう。いよいよダングレストは混乱し始めた。泣き叫ぶ子ども、逃げ惑う人々。恐怖で溢れた場所に立っていると引っ張られるようにわたしも不安になってきてしまって無意識の内に胸の武醒魔導器(ボーディブラスティア)を握りしめていた。
 次第に足元の揺れが大きなものに変わってゆく。それだけ魔物が街中に近づいているという証拠だろう。

「アズサ」

 不意に呼ばれた自分の名前。ユーリさんはわたしを見てそっと唇を薄く引く。きっと強張った表情をしているのだろう。無理矢理口角を上げようとしたけれど上手くいかなかった。

「魔物と戦おうなんて思うなよ。おまえは自分の身を守ることに集中しろ」
「ユーリ、魔物を止めに行きましょう!」


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