059


 大きな音を立てて倒れる巨体。フレンさんの後ろから力なく地面に転がった四肢を見つめ魔物が息を止めたのだと分かった。剣を仕舞いこちらを向いたフレンさんはわたしの顔を見つめて瞬きをひとつする。その表情は驚いているようにも見えた。

「……ちょっと意外だな」
「え?」
「アズサはこういう場面が苦手そうに見えたから」

 こういう場面とは、もしかしなくても今のような魔物との対峙のことを指しているのだろう。仮にフレンさんが助けに来てくれなかったらわたしはどうしていたのだろうか。あまり、考えたくはない。たとえ理性が恐怖心を上回っていたとしても無傷で魔物と命を奪い合っていたとは思えない。あの親子に補助魔術を発動できたのも数少ない理性が動いた結果だ。たまたま運が自分の味方をした、それだけの話なのだろう。それ以上でもそれ以下でもなく。
 俯いたまま黙り込んだわたしをフレンさんが不思議そうに呼んだ。やっぱり怖かったかい? と穏やかな声が降ってくる。

(怖かったに決まっている)

 だけど、そう言って涙を零すには場数を踏みすぎた。魔物が命を失う瞬間を見て胸を痛めなくなったのは、可愛そうだと思わなくなったのはいつからだっただろうか。自分を殺す気でいる生き物に情けをかける余裕ははっきり言ってない。それはきっと今までの概念が通用しなくなったこの世界で生き抜くための唯一無二の方法。
 長い睫毛に縁取られた碧い瞳を見上げ静かに口許を緩める。きっと力ない笑みだったに違いない。フレンさんの瞳が微かに見開かれた。

「えっと――少しだけ」
「アズサ!」

 雑踏に紛れて聞こえた声に顔だけ向けると見覚えのある赤い服。リタちゃんはこちらまで駆け寄ってくると隣に立つフレンさんには目もくれず行くわよ、とだけ言うと勢いよくわたしの腕を掴んだ。そのままぐいぐいと引っ張っぱるものだから突然の展開に戸惑うことしか出来ない。わたしは待機組ではなかったのだろうか。

「リ、リタちゃん行くってどこに……」
「結界魔導器(シルトブラスティア)を直しに行くのよ。このままじゃ埒が明かないわ」

 大量の魔物がダングレストに入ってきてしまったのも街の結界魔導器が消えてしまった事に原因がある。魔物の侵入をこれ以上許さないためにもリタちゃんの判断は賢明かもしれない。魔導器(ブラスティア)の研究をしている人間からすれば急に結界魔導器が動かなくなってしまったことに疑問を抱いているのだろう。

「魔物がいるところに突っ込むんだから補助魔術かけておきなさい。集中力切らさないようにね」
「うん分かった」

 リタちゃんの手から離れだらんと垂れ下がる腕。それを武醒魔導器(ボーディブラスティア)の前にもっていき詠唱を小さく呟けば自分の周りを覆う透明な壁が現れる。なんとか失敗せずに済んだとほっと息をついていると上出来じゃない、とリタちゃんがにんまりと笑った。気恥ずかしい思いでありがとう、と笑い返して不意に肩越しに振り返る。フレンさん、と名前を呼べば彼は穏やかな笑みを浮かべながら軽く首を傾げた。

「こんなこと、わたしに言われる筋合いないかもしれないですけど……」
「なんだい?」
「……あんまり無茶、しないでくださいね」

 そんなに大きな声ではなかったと思う。しっかりとフレンさんに伝わったのかも分からなかったけれど反応を見るのも少し怖い。軽く頭を下げてからすぐに前を走るリタちゃんを追いかけた。

***

 リタちゃんがいて魔術を発動させてはいたけれど魔物の群れがいるところに飛び込むというのはそれなりの勇気が必要で。出来るだけ殺気立った瞳と視線がかち合わないように俯き加減で走っているといつの間にか全員と合流していた。唯一、結界魔導器のある場所を知っているカロルくんを先頭にひたすら足を動かしているとカロルくんがあれだよ! と声を張り上げる。階段を上った少し先、淡い光を放ち本来ならダングレストを護っているはずの魔核(コア)。
 だけど階段の手前、無造作に転がるそれを見つけぐっと眉間に力がこもった。。

「もう手遅れです。なんてひどい……」

 ぴくりとも動かない体を見つめエステルちゃんは悲しげに声を震わせる。この街の魔導士だろうか。リタちゃんと同じように結界魔導器を直そうと考えたのかもしれない。長い間見続けられる程の余裕はなく、視線を下に落とす。ラゴウの屋敷の時のような吐き気は込み上げてはこないものの慣れるものではない。平気か? と声をかけてくるユーリさんに口は開かず頷くことで答える。その間にリタちゃんは階段を駆け上がっていて静かに動く結界魔導器に向かっていた。その華奢な背中をみんなから一歩遅れて追いかける。

「リタ、危ない! 後ろ!」

 階段を上りきったかと思えば突如聞こえたエステルちゃんの叫び声。はっと顔を上げるとリタちゃんの前に立ちはだかる見覚えのある黒装束。仮面の下から覗くぎょろりとした目はカプワノールで見たものと同じ。無慈悲に人を殺す瞳だ。全身が逆立つような感覚に手に込められる力も自然と強くなる。前衛に立つユーリさんたちは次々と武器を構え出した。そのまま戦闘状態になるのも時間の問題だろう。

「ったく、ほんと次から次に! もうっ!」

 リタちゃんの声を皮切りにユーリさんたちが駆け出す。敵は三人、極端に多くはない。まずは自分を守るために魔術を発動させる。激しく刃のぶつかる音が聞こえ身体が委縮した。ユーリさんたちの戦いをこんな間近で見るのは初めてに近い。どうしたらいいかとおろおろしているとリタちゃんがわたしの名前を呼んだ。魔術主体で戦うリタちゃんは後衛にまわることが多く、その結果戦闘において近くになることは珍しくない。帯のような武器を手に持った彼女は一瞬だけこちらに目を向けると再び前を見据えた。その先ではユーリさんたちを始めとする前衛組が黒装束と刃を交えている。

「一番後ろにいるやつ、狙うわよ」

 多分、カロルくんが戦っている敵を指しているのだろう。自分より大きな武器を振り回す姿はみんなの影に隠れているわたしよりずっと逞しい。だけど、攻撃魔術で練習してきたのは切り株や岩といった動かない物体。同じ場所に留まらない敵をどうやって狙うのだろう。リタちゃんはわたしのコントロール力ならなんとかなるって言ってくれたけれど、やはり誰かに当たってしまわないかと不安は残る。でも……渋る時間はない。

「わ、分かった」

 ペンダントを握りしめ神経を研ぎ澄ませる。ぼんやりと淡い光を持ち始めた武醒魔導器(ボーディブラスティア)が一瞬不自然に瞬いたように見えたが今はそれを気にしている暇はなかった。


top