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 なんとか黒装束を倒し、リタちゃんが結界魔導器(シルトブラスティア)を直し終わるとダングレストは少しずつだが落ち着きを取り戻していった。それだけ住人に与えていた影響が大きかったということなのだろう。再び出会ったフレンさんも帝国騎士団を引き連れて街の外の魔物の討伐に向かっていった。街中を縦横無尽に駆け回っていた魔物もほとんど姿を見ない。ダングレストが元通りになるのもそう遠くはないだろう。緊張感の切れた身体がどっしりと鉛のように重たい。そういえば、あの親子は無事に逃げ切ることが出来ただろうか。
 本来、ユーリさんたちがダングレストを訪れたのはバルボスの情報を探る為。途中まで向かっていたユニオンに訪れたまでは良かったのだがドン・ホワイトホースという人物は魔物の群れを追って街を出てしまったらしい。完全に手詰まりになってしまい、先にリタちゃんが騎士団長から頼まれていたケーブ・モック大森林の調査に向かうことになった。

「よっ、偶然!」

 また雨が振り始めたのか雨粒が葉っぱを叩く音が聞こえる。それでも身体に当たる雫が音に対して少ないのは頭上に伸びる樹木が傘の役割を果たしているからなのだろう。上を見上げれば異常ともいえる程に広がった新緑。お世辞にも神秘的とは言い難い。頬を撫でるひんやりとした風がまるで誘い込むように背中から流れ込む。
 そんなケーブ・モック大森林で出会ったのがラゴウの屋敷で出会った紫色の羽織。前回が良いように利用された経験もあるからか、ユーリさんたちの反応は冷たい(話を聞けばカプワトリムでも会っているらしい)。二度も同じような目に遭わされているのなら疑ってしまうのも仕方のない事なのかもしれない。ユーリさん、特にリタちゃんの表情は明らかに怪訝なものに変わっている。

「こんなとこで何してんだよ?」
「自然観察と森林浴って感じだな」
「うさん臭い……」

 からからと笑うレイヴンさんはあまり気にしていないようだ。それどころかユーリさんたちについていきたいと言い出した。まさか本気なのだろうか。びっくりするカロルくんを余所にリタちゃんが冷やかに言い放つ。

「背後には気をつけてね。変なことしたら殺すから」
「リタちゃん流石にそれは……」
「いいのよ別に、こっちはあいつの所為で散々な目に合ってるんだから」

 そう言ってリタちゃんはすたすたと歩き始めてしまった。ラゴウの屋敷の件を根に持っているのか、それともカプワトリムで余程苦い経験をさせられたのか。もしくはその両方か。彼女の態度を見る限り信用していないのは間違いないだろう。流石に機嫌を損ねてしまったのではないかとちらりとレイヴンさんを横目で追ったけれど特に気にした様子はなかった。それどころか俺ってば、そんなにうさん臭い? とユーリさんに尋ねる始末。もしかしたらあっけらかんとした性格なのかもしれない。とりあえずレイヴンさんの琴線には触れなかったようで内心ほっと息を吐く。

「ああ、うさん臭さが、全身からにじみ出てるな」
「どれどれ……」
「余計な真似したら、オレ何するかわかんないからそこんところはよろしくな」

 唇の両端を綺麗に持ち上げながらも冷徹な言葉を放つユーリさんにリタちゃんとはまた違う焦りを感じたのは言うまでもない。再びレイヴンさんに視線を送れば今度こそ彼は頬を引きつらせていた。

***

 途中でレイヴンさんの弓捌きから同行が正式に決まり六人と一匹で奥地へと進んでいく。雨足は弱まることを知らずしとしとと樹木を濡らしてゆく。雨でぬかるんだ地面に足を取られないように慎重に歩いていると不意にわたしの後ろを歩いていたレイヴンさんが声を上げた。

「ありゃ? お嬢さん、カプワトリムじゃ見かけなかったわね」
「わたし、ですか……?」

 カプワトリムと言えば丁度ユーリさんたちと別行動を取っていた時だ。彼らがその時にレイヴンさんに間違った情報を与えられカルボクラムに向かったことはカロルくんから既に聞いていた必然的に当てはまるのはわたしだろう。足を動かしたまま肩越しに振り返るとにんまり口角の上がったレイヴンさんと目がかち合う。

「そそ、お嬢さんのことよ」
「あの時は、ちょっと休んでまして」
「体調が悪かったとか?」
「まあ……そうですね」

 正確に言えば沈没しそうな船から飛び降りて救助された安心感から気を失ったのだけれどそこまで伝える必要はないだろうと曖昧に頷く。短い会話を繰り返していたらいつの間にかレイヴンさんは隣に並んでいた。話術の達者な人は距離の詰め方も上手だなとぼんやり見上げる。自分には到底できそうにない。頬に張り付いた雨粒を手で払いつつ苦い笑みを浮かべるとそっか、と呟いてそれ以上は追及してこなかった。

「……ケーブ・モックには何か用事があったんですか?」
「そうよーお嬢さんも疑ってる感じ?」
「いえ、森林浴するならもう少し適した場所があるんじゃないかと思いまして……。ここは少し気味が悪い感じがするから」

 常識では考えられないような蔓の長さも樹木の太さも幻想的な雰囲気を通り越して気味が悪い。環境汚染とはほとんど無縁な生活を送っているこの世界ならもっと自然観察でも森林浴でも最適な場所があるだろう。魔物の気配に怯える必要がない場所だって。ふとレイヴンさんの奥に映った大きなカブトムシのような魔物を見つけ、思わず眉間に力がこもる。レイヴンさんの実力ならそんなこと気にする必要もないのかもしれないけれど。

「世の中にこんなに優しい子がいるなんておっさんかんげ……ぎゃあ!」

 大きな叫び声と共に火の玉が目の前を横切る。同時に鼻孔を掠めた焦げ臭いにおいと慌てたように前髪を抑えるレイヴンさん。この至近距離で一人だけ狙うなんて流石のコントロール力としか言いようがない。リタちゃんは次の攻撃も準備万端のようで武器を構えてこちらを睨みつけていた。驚いたのはユーリさんも鞘を抜いていたことで。そういえばユーリさんも物騒なことを言っていたような気がする。

「変なことしたら殺すって言ったわよね」
「オレも何するかわかんないって言ったよなおっさん?」
「い、いや、俺様まだ何も」
「ぶっとべ!」

 こうなってしまったリタちゃんを止められる術をわたしは知らない。火の玉に追いかけられるレイヴンさんにこっそりと合掌した。


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