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 一番最初に異変に気が付いたのはカロルくんだった。

「……何か……声が聞こえなかった?」
「声?」

 ふとその場に立ち止まりきょろきょろと辺りを見渡し始めたカロルくん。彼の後ろを歩いていたわたしも自然と足が止まる。ケーブ・モックもそれなりに奥地まで進んできた。結界魔導器(シルトブラスティア)の加護もない辺境地に訪れる物好きがレイヴンさんの他にいるというのだろうか。耳を澄ましてみてもカロルくんが言うような声は聞こえない。気の所為ではないかと口を開きかけたその時、聴覚が雨音と一緒に確かに少女のそれを拾った。

「うちをどこへ連れてってくれるのかのー」
「この声、どこかで……」

 わたしも聞き覚えがあった。年齢に似合わない特徴的な話し方は胸やけがしそうな環境下でも強く印象に残っている。だけど肝心の姿が見当たらない。確か最初に出会った時はぐるぐる巻きにされて吊るされていたんだっけ。エステルちゃんたちも考えていることは同じようで首を右往左往させている。見当たらないですね、と互いに顔を見合わせているとカロルくんが頭上を見上げあんぐりと口を開けていた。パ、パティ……!? と彼の声が辺りに響く。追いかけるように視線を送り――唖然とした。見間違いでなければ彼女の身体は空を飛ぶ魔物に捕えられ宙ぶらりんの状態になっている。

「なに? お馴染みさん?」
「助けなきゃ……!」
「あーほいほい、俺様にお任せよっと……」

 唯一、のんびりと構えていたレイヴンさん。パティちゃんが知り合いだと知ると即座に弓を構えて魔物に焦点を定める。放たれた弓は頭上を飛び回る魔物を一度で仕留めた。驚いた魔物はぱっと彼女を掴んでいた手を離した。重力に習って真っ直ぐ落下するパティちゃん。このままだと怪我をしてしまう、そう思った時には既にユーリさんは動いていた。魔物の下まで駆け寄っていたユーリさんはそのままパティちゃんを軽々と受け止める。それは属に言う"お姫様抱っこ"というやつで。

「ナイスキャッチなのじゃ」

 何事もなかったかのように笑うパティちゃんと彼女を黙って見下ろすユーリさん。他人事のように見れるけれど、わたしも彼女の立場を経験している。あれはカプワノールから船で逃げるラゴウを追いかけていた時のことだった。港から船に飛び移るときにユーリさんに抱きかかえられて……。あの時のわたしたちは今の二人みたいに見えていたのだろうか。

(変なの思い出した)

 不意に背中やひざ裏にまわされた手のひらの感触が鮮明に蘇ってくる。不可抗力ながら触れてしまった硬い胸板の感触も。一度考え出すとじわりじわりとあの時の羞恥心が込み上げてきて堪らず顔を下に落とした。動揺を隠している内にも話は進んでいく。パティちゃんは今もアイフリードのお宝を探していて、ギルドの情報からケーブ・モック大森林を訪れているらしい。

「本当にこんなところに宝が? 誰に聞いてきたのよ」
「測量ギルド、天地の窖(てんちのあなぐら)が色々と教えてくれるのじゃ。連中は世界を回っとるからの」
「それでラゴウの屋敷にも入ったって訳? 結局、なにもなかったんでしょ」

 カプワノールとケーブ・モック大森林。彼女は一体どうやって海を渡ったのだろう。カプワノールの定期船はラゴウの策略によってほとんど使い物にはなっていなかった。けれどこの世界で飛行機は一度も見たことがない。おそらく船しか移動手段はないだろう。だとすると、考えられるのは随分と絞られてくる。
 ……誰かの船に乗せてもらったのだろう、きっと。

「とりあえず、うちは宝探しを続行するのじゃ」
「一人でウロウロしたら、さっきみたいにまた魔物に襲われて危険なことに……」
「あれは襲われてたんではないのじゃ、戯れてたのじゃ」
「たぶん、魔物の方はそんなこと思ってないと思うけどな」

 下手をすればカロルくんより幼いであろうパティちゃん。エステルちゃんが心配するのも当たり前だ。さっきだって魔物に連れ去られようとしていたのだから(彼女はあくまでも戯れていたと主張しているが)。それでも彼女が食い下がろうとした時、突然パティちゃんの背後に魔物が現れた。刹那、パティちゃんが振り向いたかと思うとケーブ・モックに銃声が響き渡る。銃口から伸びる煙はほんのりと火薬のにおいがした。思わぬ実力にユーリさんは諦めたように溜め息をつく。

「つまり、ひとりでも大丈夫ってことか」
「一緒にいくかの?」
「せっかくだけど、お宝探しはまたの機会にしとくわ」
「それは残念至極なのじゃ」

 サラバなのじゃ。黄金色のおさげを揺らしながら彼女はわたしたちが向かう方向とは別の道を駆ける。気を付けてね、と声をかける余裕もない。あっという間に特徴的な海賊帽子も茂みに隠れて見えなくなってしまった。
 最初の出会いがあまりにも衝撃的だったからかパティちゃんの大胆な行動にもさほど衝撃はなかった。これくらいはもしかしたら出来てしまうのかもしれない、それくらいにまで思わせてしまうのが彼女で。けれど、あの幼さで目的を果たす為に魔物にも臆せずひとりで旅を続ける。その辛さと過酷さを当時のわたしはまだ知らないでいた。


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