062
「これ、ヘリオードの街で見たのと同じ現象ね。あの時よりエアルが弱いけど間違いないわ……」
魔導器(ブラスティア)を使用するのに欠かせないエアルという物体は普段は目に見えなくても一カ所に集中していると肉眼で見ることができるのだという。蛍火のように淡く光るそれを冷静に分析するリタちゃんの隣でわたしはぼんやりと同じものを見つめていた。きっとこの世界独特の物質なのだろうが、つい原理を考えてしまうのは周りを科学に囲まれて生きてきた所以なのだろう。
「アズサ」
背後から聞こえたユーリさんの声に肩越しに振り返ると漆黒の瞳が静かにわたしを見つめていた。「はい」と短く返事をすればユーリさんの瞳はわたしからエアルへと向けられる。そのまま引き結んでいた薄い唇をゆっくりと開いた。
「おまえは、何か感じないのか?」
「エアルのことですか?」
「そうだ」
「綺麗だとは、思いますけど……」
質問に含まれた意図が見えずわたしは首を傾げる。おそらく今の答えはユーリさんの求めていたものではなかったのだろう。変化のない表情に疑問と不安が過ぎった。わたしは何か、変なことを言ってしまったのだろうか。
「ユーリさんは何か感じるんですか?」と逆に尋ねようと口を開きかけたその時、思わぬ来訪者により話は遮断された。サソリのような姿をした魔物が突然頭上から降って来たのだ。ユーリさんたちは武器を構え、わたしはすぐにバリアーを張って戦闘の邪魔にならない場所に移動した。
「あの魔物もダングレストを襲ったのと様子が似ています」
「来やがったぞ!」
鋭い尾が勢いよく振り回されるたびに誰かに刺さってしまうのではないかとひやひやする。鋭利な鎌をカロルくんに振りかざすのが見えて咄嗟にバリアーを張ると彼の周りに透明な壁が現れて鎌が弾かれた。ホッと安堵の息を吐きながら再び自分にもバリアーを施す。同時に何人もバリアーを張れれば良いのだけど、流石にわたしの技量ではまだ難しそうだ。
「木も、魔物も、絶対、あのエアルのせいだ!」
「ま、また来た!」
やっと魔物が倒せたかと思ったら、今度は同じ魔物が次々と降ってくる。逃げようにもあっという間に全体を囲まれてしまって身動きが取れなくなってしまった。
それぞれが背中合わせになり何体もの魔物と向き合う。
「ああ、ここで死んでしまうのか。さよなら、世界中の俺のファン」
「世界一の軽薄男、ここに眠るって墓に彫っといてやるからな」
「そんなこと言わずに一緒に生き残ろうぜ、とか言えないの……!?」
こんな最悪の状況でも軽口を叩いていられるのはこの二人くらいだろう。明らかにリタちゃんは焦った表情を浮かべているし、カロルくんに至っては顔が真っ青になっている。耳に届くラピードの低い唸り声。わたしたちが劣勢なのは目に見えていた。
エアルの供給過多が原因で魔物が暴れているのなら供給を抑えてしまえばいいのはなんとなく理解できる。けれど、その方法をリタちゃんがまだ見つけられていないのだろう。魔物の隙間からうっすらと見えるエアルはさっきまで綺麗な黄色だったのに、今はヘリオードの結界魔導器(シルトブラスティア)が暴走した時と同じくらい真っ赤に染まっていた。
「ひっ……!」
魔物の一匹と視線がぶつかったような気がして身体が震える。じわじわと確実に距離を詰めてくる魔物に思わず足を引くと誰かの背中がぶつかった。それだけわたしたちが追い詰められているという証拠だ。
先に動き出すのはどちらか、そんな緊迫した場面で流れを変えたのはユーリさんたちでも魔物でもなかった。突然、背後から眩い光と強風がわたしたちを襲いたまらず瞼を閉じる。舞い上がる髪を抑えつつおそるおそる目を開けるとあんなにたくさんいたはずの魔物が一匹残らず消えていた。何が起きたのか分からず呆然としているとぽつりと呟くエステルちゃんの声が耳に届いた。
「誰……?」
戸惑うエステルちゃんの視線を追いかけて見つけた人物にどくりと心臓が跳ねる。艶のある銀髪が薄暗い森林の中で不釣り合いに輝いている。まさかこんな場所で再会することになるなんて思ってもみなかった。嫌でもデイドン砦での記憶が思い起こされる。彼の後ろで光るエアルは知らない間に黄色に戻っていた。真っ赤なエアルは影も形も残っていない。
何も言わず立ち去ろうとするその人をリタちゃんが呼び止める。どうやら彼の手に握られた剣がさっきの現象の原因のようだった。
「あ、あの、危ないところをありがとうございました」
「エアルクレーネには近付くな」
「エアルクレーネって何? ここのこと?」
「世界に点在するエアルの源泉、それがエアルクレーネ」
エアルクレーネ。また、知らない言葉が飛び出してきた。
リタちゃんと彼の会話を黙って聞いていると、不意に射貫かれるような視線がこちらに向けられて身体が強張る。勘違いだと思いたかったけれど、彼の言葉はまっすぐにわたしを捉えていた。
「まだここにいたのか――早くしないと手遅れになるぞ」
まただ。また、この人はわたしのことを知っているような口ぶりをする。誰も知らないはずなのに。
ひゅっと乾いた空気を呑み込んで必死に口を噤む。ユーリさんたちがいる手前、下手なことを喋って怪しまれるのだけは避けたかった。けれど彼はそれ以上何も言わずそのまま森林の中へと消えていってしまった。姿が見えなくなると今度はユーリさんたちから不思議そうな視線を送られてしまう。変な疑いをかけられないためにもここは知らないふりを貫き通すしかない。
「アズサ、あの人と知り合いなの?」
「前にデイドン砦で話したことはあるけど……知り合いじゃないよ。わたしも全然知らない人」
「手遅れになるって言ってましたけど、どういう意味なんです?」
「……わたしもよく分からなくて」
嘘は言っていない。デイドン砦で会ったのも手遅れの意味が分からないのも本当だ。
「多分、人違いしてるんだと思います」と言えばエステルちゃんたちも納得したように頷く。上手く誤魔化せたみたいで良かった。ふと見ればユーリさんが何か言いたげにこちらを見つめていたけれど、それは気づかなかったことにした。