064


 一度は結ばれると思っていたギルドと帝国の提携もヨーデルさんの密書により破棄になってしまったどころか事態はさらに悪化した。ギルドの元首であるドン・ホワイトホースを先頭に帝国と戦争を始めるとまで言い出したのだ。再びダングレストはざわめきに包まれる。絶えず街のあちこちから武装した男の人が中心部に集まってくる。異常な雰囲気に住民も戸惑っているようで士気を高める彼らを横目で追っていた。
 隣に並ぶエステルちゃんはユーリさんがユニオンに捕えられたフレンさんのところに向かってからというもの(本人は落とした財布を取りに行くと言っていたけれど)薄い唇を引き結びずっと黙り込んでいた。わたしたちの中で一番ヨーデルさんに近しいのは言うまでもなく彼女であって、密書の内容を聞いた時にも誰より驚いていた。きっと今の状況に混乱しているのだろう。エステルちゃん? と名前を呼ぶとはっとしたように目を見開く。翡翠の瞳がわたしを捉えると眉尻が悲しげに垂れ下がった。

「わたし、ヨーデルがあんな密書を送るなんて考えられません……」
「――うん。わたしも、そう思うよ」

 わたしがヨーデルさんと関わった時間は彼女と比べればほんの些細なものだろうけれど、その短い時間からでも彼からはあんな物騒な密書を送る人物だとは考えづらかった。常に相手を想う心優しい人だったように思う。そうでなければ初対面の人間に一緒に馬車に乗せるようなことはしないだろう。争い事は好みそうにない柔和な笑みを浮かべる人だった。

「あっ」

 まずはユーリさんが戻ってこないと動くにも動けない。彼に言われた通りに四人と一匹(レイヴンさんもドンと一緒にどこかへ行ってしまった)で待っているとカロルくんが突然声を上げる。彼が小さく指さす方向に視線を滑らせれば剣や斧を背負った集団。ドンに募ったギルドのように見えるがどうも違うらしい。

「あれ、紅の絆傭兵団(ブラッドアライアンス)だよ」
「どうしましょう、このままだと見失ってしまいます。でもユーリがまだ……」

 紅の絆傭兵団を追いかければバルボスに会えるかもしれない。だけどユーリさんが戻ってきていない。すれ違いになったらと心配するエステルちゃんにリタちゃんが口を開く。わたしとリタちゃんで紅の絆傭兵団を追い、エステルちゃんとカロルくんでユーリさんを待とうと。カロルくんは相手に顔が知られているかもしれないしエステルちゃんは顔は知られていないとはいえギルドと相反する帝国の人間。この街に縁もゆかりもないわたしたちが追いかけるのが適任だろう。

「エステルちゃんとカロルくんはここでユーリさんを待ってて。後で合流しよう」
「でもアズサ……」
「リタちゃんもいるから、大丈夫」

 不安げに眉尻を下げるエステルちゃんにそっと口元の両端を持ち上げてみせる。迷っている時間はあまり残されていない。危なくなったらすぐに逃げるから。渋る彼女の言葉に自分のそれを重ねて踵を返す。前を走るリタちゃんを追いかけるとその横にラピードがくっ付いてきた。どうやらわたしたちについて来てくれるらしい。じいっとこちらを見つめる鋭い瞳がとても頼もしく感じる。

「ありがとうラピード」
「ワンッ」

***

「アズサ、隠れて」

 無造作に置かれた看板の後ろに隠れたリタちゃんがわたしの腕を掴み同じ場所に引き込んだ。乱れた呼吸を整えつつ男たちの様子を窺うとお店の前で固まる彼ら。扉の上に木製の看板はあったが彫られた文字はさっぱり読むことが出来ない。何か話し合いをしているようだったが今いる位置からはその声も聞こえなかった。あれがアジトかな。小声でリタちゃんに尋ねるとそうみたいね、と男たちから視線を逸らさないまま返事が返ってきた。
 しばらくすればユーリさんを引き連れたカロルくんたちが到着した。男たちはその場から動く気配は感じられずお店の前で立ち往生している。ギルドのアジトが目の前にあるだけに立ち止まっている時間が惜しい。こうして踏みとどまっている間にも帝国とギルドの争いは着々と進んでおり、フレンさんの命が危ぶまれているのだから。

「ありゃ、ちょっと無理矢理押し入るってわけにゃいかなそうだな」
「でも、あの中にバルボスがいるとしたら……」
「指くわえて見てるってわけにもいかねぇよな」

 全ての元凶はバルボスだ。水道魔導器(アクエブラスティア)の魔核(コア)を盗んだのも下町の人に有らぬ疑いをかけられたのも旅に出ることになったのも。あの一件さえなかったらわたしは下町でユーリさんの物語の始まりを見守っているはずだった。その時がくるまでいつか訪れるであろう終焉を待っているはずだった。でも、バルボスから魔核さえ取り戻せたらわたしは――。

(……そっか)

 やっと、下町に戻ることが出来るのか。

「いーこと教えてあげよう」

 妙に間延びした声にはっと意識を浮上させる。背後を見ると紫色の羽織が目に映った。レイヴンさんの登場にリタちゃんはげんなりとした表情を浮かべた。好意的ではない態度も華麗に流してしまうレイヴンさん。その精神力は見習うものがあるかもしれないとぼんやり考えながら事を見守る。彼は酒場に行って話を聞かないかと持ちかけてきた。過去の経験から簡単に信用は出来ないらしく、ユーリさんたちの反応は良くない。特にレイヴンさんを毛嫌いしているらしいリタちゃんは。状況が状況だからこそエステルちゃんやカロルくんも難色を示していた。

「いいから、いいから、騙されたと思って」
「そんなこと言われて騙された奴がいると思って……!」
「二度騙されるのも三度騙されるのも一緒だ。でも、仏の顔も三度までって言葉、おっさん知ってるよな」

 この世界でもことわざは通用するんだ、と内心で場違いなことを考える。怪訝そうな視線を浴びても相変わらずレイヴンさんは飄々としていた。

「そんな怖い顔しなくても、わかってますって。ほら青年、笑って笑って。こっちよ」


top