065


「この街の地下には複雑に地下水道が張り巡らされてる。その昔、街が帝国に占領された時、ギルドはこの地下水道に潜伏して反撃の機会をうかがったんだと」

 かつんかつんと、ブーツが地面を叩く度に木霊する。深く息を吸い込むと冷たい空気が肺に入り込んだ。
 レイヴンさんに引っ張られてやってきたのは彼の所属するギルド、天を射る矢(アルトスク)が経営する酒場だった。アルコール臭漂う店内を歩き辿り着いたのはドンが密会を行うという部屋。ここにバルボスのアジトに向かう手だてが本当にあるのだろうか。怪訝な空気が漂うわたしたちにレイヴンさんはにんまりと口角を持ち上げておもむろに壁に垂れ下がる幕を捲り上げた。

「うわぁ、真っ暗です……」
「迷子になって永遠に出られねえってのは勘弁だぜ」

 用途が用途なだけに十分な照明が設置されていないのも納得できる。それ以来使われていないのなら尚更。ブーツからの感触や壁の質感から考えるに石造りと思われるが、長い期間放置されていたとなると脆くなっていたりしないか心配になる。水路がどれだけ深いのか分からないだけに足を踏み外すことだけは勘弁したい。

「ほら、天才魔導士のお嬢ちゃんよ。ここは一つ、火の魔術でバーンと先を照らしてくれんかね」
「あたしをランプ代わりにしようっての? いい根性してるわね」

 小さな明かりがあるだけでも視野は随分と広がる。けれどレイヴンさんの発案にリタちゃんは首を縦に振らなかった。火の魔術はあくまでも攻撃用であって長時間持続させることは出来ないらしい。魔術というのは万能だと勝手に思っていたけれど案外そうではないようだ。明かりを持続させるにはまた別の魔導器(ブラスティア)が必要だという。

「ありゃ……そなの?」
「当てが外れたみたいな、おっさん」

 ふっ、と脳裏に浮かび上がるのはこの世界にいる限り使うことはないだろうと破れた制服のポケットにしまったままの携帯電話。どこかのボタンを押せばライトが光る仕組みではなかっただろうか。手のひらに蘇るつるつるとした感触。こんな事態になるなら持ってきた方が良かったかもしれない。ユーリさんたちが肌身離さずに持つ武器に比べたらずっと軽いのだから。
 そんなことを考えているとつんと足元に何かが当たる。視線を落とすとラピードがある口に物を咥え、わたしを見上げていた。下町にいた時から感じていたがラピードは想像以上に賢い。ユーリさんとの関係も主従というよりは相互に近い。それだけお互いを信頼しているという事なのだろう。膝を折ってラピードと視線を合わせ口に咥えたものを受け取る。辺りは薄暗く自分が何を受け取ったのかさっぱり分からないが今の状況に必要なもので間違いないのだろう。ありがとう、と呟けば彼も小さく吠えた。

「リタちゃん。これ、ラピードが見つけてくれたみたいなんだけど……」
「ん……? これ魔導器? だいぶ傷んでるけどなんとか使えそうね」

 手探りでリタちゃんが魔導器を弄り始めたかと思ったら、突然それから強い光が発せられる。思わず咄嗟に目を瞑りそろそろと瞼を持ち上げると彼女の手にはランプのような形をした光照魔導器(ルクスブラスティア)が淡い光を帯びていた。やっぱりラピードはすごいなと感心してしまう。

「さすがです、リタ」
「でもかなりガタきてるみたいだから、多分、長持ちしないと思うわ」
「じゃあ、こいつが光ってるうちにとっとと行こうぜ」

***

 迷路のように複雑に入り組んだ地下水道。光照魔導器で薄暗い道を照らしながら進んでいくと明かりを必要としない空間に辿り着いた。久方ぶりに足元を心配する必要がなくなり肺に溜まった空気を吐き出す。同じ地下水道でも新たに吸い込んだ空気はずっと澄んでいるように感じた。

「ん、なんかここに刻んであるな。……文字か、なんだ?」

 先頭を歩くユーリさんが見つけたのは壁に彫られた文字の羅列。次第に集まりだすそこに吸い寄せられるようにわたしも足を向けた。荒々しく刻まれた言葉をエステルちゃんが優しくなぞっていく。

「……かつて我らの父祖は民を護る務めを忘れし国を捨て、自ら真の自由の護り手となった。これ即ちギルドの起こりである。しかし今や圧制者の鉄の鎖は再び我らの首に届くに至った。我らが父祖の誓いを忘れ、利を巡り互いの争いに明け暮れたからである。ゆえに我らは今一度ギルドの本義に立ち戻り持てる力をひとつにせん。我らの剣は自由のため。我らの盾は友のため。我らの命は皆のため。ここに古き誓いを新たにす」
「ねえ……これって『ユニオン誓約』じゃない?」

 数多のギルドにより成り立つ街、ダングレスト。その昔、帝国のように皇帝という確かな存在がいなかったのもあって街を統制するはっきりとした人物はいなかった。その為かギルドが団結する機会は少なかったという。

「そのギルド勢力を率いたのがドン・ホワイトホースなんだ!?」
「そそ。そん時、この地下水道も大いに役に立ったはずよ」
「じゃあ、その時ここで結成の誓いを立てたってことなんだね」
「そういうことみたいね。確かに誓約書の実物がどこかにあるって話だったけど、こんな壁の落書きだったとはね」

 誓約書の署名欄には森で出会ったパティちゃんの探しているアイフリードの名前も刻まれていた。レイヴンさんの情報ではドン・ホワイトホースとも知り合いだったらしい。頭の回る食えない人物だった、と。けれど、誓約書に名前を記したくらい気心の知れた仲間だったとも言える。
 目の前の誓約があって今のダングレストがある。長い歴史の中で守られてきた古い誓い。その約束を破ろうとしているのなら――やはり彼は断罪されるべき存在なのだろう。

「面白いもんが見れたが、今はバルボスだ。そろそろ行こうぜ」

 目的地はすぐそこまで迫っていた。


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